ケン・ウィルバーのアートマン・プロジェクト [現代]

ケン・ウィルバーこと、ケネス・アール・ウィルバー・ジュニア(1949-)は、トランス・パーソナル心理学の代表的論客として知られていますが、彼は、トランス・パーソナル心理学の領域を越えたインテグラル理論の提唱者でもあり、ニューエイジを代表する思想家でもあります。

彼の思想の中心にあるのは、ヒンドゥー教や仏教を中心して想定した「永遠の哲学(永遠の心理学)」に、進化論や発達心理学を結びつけたものであり、神智学の現代版の一つであるとも言えます。

ウィルバーの思想の特徴は、大きな枠組みを構築して、その中に様々な心理学・心理療法や、東洋の諸宗教・瞑想法を、強引に解釈し、位置づけることです。

ウィルバーについては、「トランス・パーソナル心理学」でも簡単に紹介しました。
このページでは、ウィルバーが個人の意識のトランス・パーソナルな発達を体系化した「アートマン・プロジェクト」の思想を中心に、簡単にまとめて、評価します。


<スペクトル理論>

まず、ウィルバーの最初の著作であり、主著の一つである「意識のスペクトル」(1977)についてごく簡単に紹介します。

「意識のスペクトル」は、「永遠の心理学」をもとにして、西洋の諸心理学の考察に広い視野を与える意識のモデルを提示しようとしたものでした。

近代以前に、地域を越えて、普遍的で伝統的な神秘主義的な世界観があったという考え方があり、これを「永遠の哲学」と表現します。
この言葉は、最初にスピノザが使い、ニューエイジ思想のバックボーンの一人であるオルダス・ハクスリーも、このテーマ、タイトルで著作を出版しました。
「永遠の心理学」は、その心理学ヴァージョンです。

ウィルバーは、この意識のスペクトル・モデルで、西洋の発達心理学(ジャン・ピアジェや「意識の起源史」のエーリッヒ・ノイマンなど)の延長上に東洋の諸宗教(ヴェーダーンタ哲学、仏教など)をつなげました。
これによって、様々な心理学・心理療法と東洋の諸宗教の道を、俯瞰的かつ体系的に整理して位置づけました。

「意識のスペクトル」の意識モデルは、自他全体をスペクトルと見て、自他の境界をそのどこに置くかで、階層的に考えます。
そして、ウィルバーは、様々な心理学・心理療法、東洋の諸宗教を、それぞれのレベルの治療法として対応づけました。

具体的には、下記の通りです。

 (レベル)         (自他の境界)  (治療法)
・ペルソナのレベル      :ペルソナ/影 :カウンセリング
・哲学的帯域
・自我のレベル        :自我/身体  :精神分析的自我心理学
・生物社会的帯域               :社会心理学、基礎家族療法
・実存(ケンタウロス)のレベル:有機体/環境 :実存心理学、人間性心理学、ハタ・ヨガ
・トランス・パーソナルの帯域         :ユング派、ヴィジャ・マントラ
・心(宇宙的意識)のレベル  :宇宙(無境界):一元論的な神秘主義

つまり、自己のアイデンティに関して、まず「無境界」なレベルが存在し、それが「有機体/環境」と2分され、次に「有機体」が「自我/身体」に2分され、最後に「自我」が「ペルソナ/影」に2分されるのです。
また、その各レベル内(各レベル間)にも、帯域として違いが存在します。

この分化は、人間の生後の成長(心理発達)と共に進みますが、その後のトランス・パーソナルな霊的成長によって分化は統合へと反転します。
分化・上昇は「進化(エヴォリューション)」、統合・下降は「内化(インヴォリューション)」と呼ばれます。

階層・スペクトルの移動は、まず、二元的分裂(上昇・進化)から反転して統合(下降・内化)へと進む、大きなタイムスケールで行われます。
ですが、それと同時に、個人の意識の中での、瞬間瞬間に揺れ動くプロセスもあるのです。

また、意識には階層構造は、決してはっきりと分かれたものではなく、各レベルは重なり合っていて明確に分離できるものではない、と言います。

意識の発達・成長は、特定のレベルに障害があっても、その段階に対応する治療が行われて正常な成長を果たすと、自然に次のレベルに移行します。

ですが、次のレベルの移行には、治療が必ずしも必要とは限りません。
東洋の心理学は、「心」のレベルに関心を集中し、他のレベルの治療には無関心であると言います。

また、あるレベルに対応する心理学や心理療法は、その下位レベル(より成長するレベル)に対して無理解で、それを病的なものと見る傾向があります。
つまり、そのレベルへの、心理的な還元主義の発想があるのです。
このことは、「意識のスペクトル」が、その心理的還元主義を克服する理論として重要な意味があったということでもあります。

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<アートマン・プロジェクトの段階論>

「意識のスペクトル」では、意識の発達は、「プレ・パーソナル」から「パーソナル」、そして、「トランス・パーソナル」へと進みます。
このスペクトル理論では、境界をどこに置くかということを重視していましたので、個人化の前後、つまり、「プレ・パーソナル」なレベルと、「トランス・パーソナル」なレベルが混同されるという難点に対して、十分な記述を尽くしていませんでした。
ウィルバーは、この混同を「前・後の混同(Pre/Post Fallacy)」と呼びます。

そのため、1980年の出版の「アートマン・プロジェクト」では、個人の意識の発達段階の観点から、その違いを明確化して論じました

それに伴って、「進化(エヴォリューション)」、「内化(インヴォリューション)」が意味するものが変わりました。

「意識のスペクトル」では、成長の前半に当たる分化・上昇が「進化(エヴォリューション)」と呼ばれましたが、「アートマン・プロジェクト」では、これは「外向する弧」と呼ばれるようになりました。
「外向する弧」の分かりやすい表現は、英雄物語です。

これに対して、成長の後半に当たる統合・下降は「内化(インヴォリューション)」と呼ばれましたが、これは「内向する弧」と呼ばれるようになりました。
「内向する弧」は、聖者の回帰の道です。

  (3つの段階)        (表現・特徴)
1 プレ・パーソナル(潜在意識) :外向する弧
2 パーソナル(自我意識)    :外向から内向への折り返し
3 トランス・パーソナル(超意識):内向する弧

そして、前後半を合わせた成長の全体が、「進化」と呼ばれるようになりました。
これに対して、人の誕生以前のプロセス、輪廻で言えば死後から再生に至るプロセス、宇宙輪的に言えば創造のプロセスが「内化」と呼ばれるようになりました。

ウィルバー自身が書いているように、この言葉の使い方は、オーロビンドと同じです。
ウィルバーは、個人の成長は進化のミニチュアであると考えます。
つまり、個体発生が系統発生を繰り返すという考えがあるように、個人の意識の成長は、進化と同じ様に起こると考えているのです。


「アートマン・プロジェクト」で語られる階層は、語る場面によって分け方の細かさが違いますが、大きくは、次の通りです。

 (レベル)          (特徴)
1 プロレーマ的自己     :自他未分化
2 ウロボロス的自己     :最初の自他分化
3 テュポン的自己      :感覚運動、身体感覚
4 言語的メンバーシップの自己:神話的思考
5 心的―自我的自己     :自我・概念的思考
6 生物社会的帯域      :社会的プログラム
7 ケンタウロス(実存)的自己:人間性・実存派心理学、高次の空想・超言語
8 サトル(微細)自己    :ESP、体外離脱、直観、元型的神
9 コーザル(原因)自己   :無形性、最終神
10 アートマン(真我)    :無形性の中心であり全形象世界

「プロレーマ」はグノーシス主義由来の名称ですが、このレベルは、自他未分化な幼児、絶対的非二元論、原初的楽園の状態です。
ピアジェの「原形質的」な段階、ヒンドゥーの「アンナマヤ・コーシャ」はこれに当たるとされます。

「ウロボロス」はノイマン由来の名称という側面が多く、このレベルは、最初の自他分離、自我意識の芽生え、口愛的なレベルです。
ヒンドゥーの「アンナマヤ・コーシャ」はこれに当たるとされます。

「テュポン」のレベルは、感覚、感覚運動、身体感覚、快不快のレベルです。
ヒンドゥーの「プラーナマヤ・コーシャ」はこれに当たるとされます。
また、「中軸的身体・プラーナ」と「中軸的イメージ」の2段階に分けられます。

「言語的メンバーシップ」はカルロス・カスタネダ由来の名称ですが、神話的思考はこのレベルです。
フロイトの「二次過程」、ピアジェの「現実的思考」の段階です。
ヒンドゥーの「マノーマヤ・コーシャ」は、このレベルからが当たるとされます。

「心的―自我的」のレベルは、自我、概念のレベルであり、「構文的―メンバーシップ的」とも表現されます。
仏教の「意識」はこれに当たるとされます。

また、このレベルは、「初・中期の自我」、「後期の自我」、「成熟した自我」の3段階に分けられます。
「初・中期の自我」は、男根期、ピアジェの「具体的操作的思考」が当たり、身体の分離・操作が行われます。
「後期の自我」は、思春期、ユングの「ペルソナ」、ピアジェの「形式的操作」が当たります。

次の「生物社会的帯域」の段階は、「意識のスペクトル」でも語られたものですが、「アートマン・プロジェクト」ではほとんど語られません。
ヒンドゥーの「マノーマヤ・コーシャ」は、ここまでが当たるとされます。

「ケンタウロス」は、心身の統一を目指すレベルです。
心理学・心理療法では、人間性・実存派心理学、ゴールドスタインの自己実現、ロジャーズの有機体的価値付けなどが、このレベルに当たります。
仏教の「応身」は、ここまでが当たるとされます。

高次の空想、超言語的なものがこのレベルの言語となります。
超言語は、前言語的段階(一次過程)と言語的段階(二次過程)の魔術的総合です。
感覚意識は自我的文化的覆いを取り除かれると、高次の諸エネルギーが流入した超感覚意識になっていきます。

次の「サトル」のレベルは、仏教の「報身」、ヒンドゥーの「ヴィジュニャーナマヤ・コーシャ」に当たるとされます。
また、このレベルは上位と下位の2段階に分けられます。

「下位サトル」は、サイキックな領域であり、アストラルと呼ばれてきた領域です。
「上位サトル」は、インスピレーション、音と光の開示、元型の頂点としての神格、などに当たります。
また、仏教の「末那識」であり、ヒンドゥーの「ヴィジュニャーナマヤ・コーシャ」はここまでが当たるとされます。

ちなみに、ウィルバーは、「元型」という言葉を使っていますが、これはユングと異なる意味で、「微細な種子的形態」とも表現しています。
これは、ストア派の「種子的ロゴス」、シュタイナーの「霊的原像」、インドの「種子」概念に近いようと思います。
それに対して、ウィルバーは、ユングの「元型」は、魔術的・神話的構造の中にある古代的イメージにすぎないと考えています。

「コーザル」のレベルは、仏教の「法身」であり、ヒンドゥーの「アーナンダマヤ・コーシャ」はここまでが当たるとされます。
また、このレベルは上位と下位の2段階に分けられます。

「下位コーザル」は、最終神、すべての元型形態の点源です。
仏教の「阿頼耶識」、ヒンドゥーの「サヴィカルパ・サマディ」はここに当たるとされます。
「上位コーザル」は、無形性の領域です。
ヒンドゥーの「ニルヴィカルパ・サマディ」はここに当たるとされまます。

最後の「アートマン」のレベルは、無形性の中心であり、それは全形象世界でもあります。
仏教の「自性身」、ヒンドゥーの「サハジャ・サマディ」はここに当たるとされます。

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<発達の法則>

「アートマン・プロジェクト」の一連の成長は、最初のレベルから最後のレベルまで、同一の法則で行われます。
新しいレベルの構造が自然に浮上し、意識は古いレベルの構造に対して脱同一化します。
そして、新しい構造に同一化し、新しい構造は古い構造を統合します。
統合というのは、古い構造を含み込んで、操作できるようになることです。

「アートマン・プロジェクト」という概念は、意識が究極的なアートマンを実現しようとする衝動を持って成長することを示すものです。
ですが、ここには、2つの傾向があります。

まず、この絶対的な統一を探求するのが、「アートマン傾向(アートマン・テロス)」と呼ばれます。
これに対して、各レベルに制限があって、その中で探求するのが、「アートマン拘束(アートマン収縮)」と呼ばれます。
この両者の妥協、総合が「アートマン・プロジェクト」です。

ウィルバーは、意識の「表層構造」と「深層構造」を区別します。

「深層構造」は、あるレベルを定義づける基本的な構造です。
「深層構造」の変化は、「変容」と表現されます。
つまり、新しい階層の構造が発現することが「変容」です。

「表層構造」は、「深層構造」の一部が発現したものです。
「表層構造」の変化は、「変換」と表現されます。
「表層構造」の「変換」は、学習によってなされますが、「深層構造」の「変容」は、すでに存在するものを「想起」することで行われます。

つまり、新しい階層(上位のレベル)の構造は、下位から作り出されるのではなく、最初から内包されたていたものが現れるだけです。

ウィルバーは、意識の最深層に「基底無意識」があるとし、そこにすべての段階の構造が潜在的に内包されているとします。
そして、その「基底無意識」からまだ浮上していない「深層構造」を「発現無意識」と表現します。
「発現無意識」を「想起」することで、新しい構造が浮上し、それに同一化することができるようになります。


<瞑想と発達>

ウィルバーは、様々な瞑想修行を行った経験があるようです。
いつであるかは知りませんが、ロサンゼルス禅センターの前角禅師のもとで禅を学んだこともりあります。
また、1980年代後半頃だと思いますが、ナローパ研究所でチベット密教の瞑想修行を行ったこともあります。

ウィルバーによれば、瞑想は、トランス・パーソナルなレベルの発達のための方法です。
彼は、瞑想について次のように書いています。

「瞑想は単に持続された発達ないし成長」
「瞑想とは進化である、それゆえに変容である」
「トランス・パーソナルな領域は実は発現無意識の一部であり、瞑想はその発現を加速するにすぎない」

また、次のようにも書いています。
「瞑想は…現在の変換を行き詰まらせ、新たな変容を鼓舞することを意味する」

つまり、瞑想では、概念的思想を無効にするのですが、ウィルバーは、「心的―自我的」のレベルの概念的思考を止めると、下位レベルへの退行と上位レベルの諸側面の侵入が同時に発生すると書きます。
精神分裂症には、両者の混合が見られますが、統合に失敗して、自我的リアリティに戻ってくることができないと、病的な退行をしていまします。

また、サトル・レベル以上の各レベルに対応する瞑想の種類、病的障害としては、次のような対応があります。

  (レベル)        (瞑想)            (病気・障害)
・下位サトル(応身クラス):ハタ・ヨガ、クンダリニー・ヨガ:霊的体験への執着
・上位サトル(報身クラス):ナーダ・ヨガ、シャブダ・ヨガ :至福体験への執着
・コーザル (法身クラス):ラマナ・マハルシ、禅     :下位構造の残存


<内化>

ウィルバーは、「ヒンドゥー教によれば」と書きながら、オーロビンドのみが主張する「進化」と「内化」の概念を紹介します。
「内化」は、「進化」と反対で、ブラフマンによる現象世界の創造プロセスです。

そして、ウィルバーは、「チベット死者の書」が死後から再生するまでを語るプロセスを、「内化」の過程であると解釈します。
それは、法身の意識状態から、報身、そして、粗大な領域を反映して、テュポンやウロボロスといった身体に束縛されたあり方に向かうプロセスです。

そして、この「内化」の法則は、「アートマン拘束」や「エロス」によって機能するもので、変容が下方に向かいます。

また、「内化」は、人の誕生以前だけではなく、覚醒している時にも、瞬間ごとにその全過程を体験します。
これは「意識のスペクトル」でも語られたことで、また、実際、チベット仏教でも説かれることです。
人は本来的にブッダでありアートマンですが、思考の瞬間ごとに分離した自己となるのです。
これをウィルバーは、「ミクロ発生」と表現します。

ウィルバーは、この時、その人が進化した分だけ想起できると書きます。
つまり、例えば、一般の人は、自我は想起できても、法身の意識は想起できない、ということです。


<インテグラル理論>

「アートマン・プロジェクト」までは、個人の内的な心理・意識を対象にして、その発達・進化を理論化しました。

ですが、「エデンより」(1981)以降、より本格的には「進化の構造(Sex, Ecology, Spirituality)」(1995)以降、ウィルバーは、ホラーキー・システムとしての宇宙、人間、文化の進化と階層を、総合的に捉えて体系化しました。
これらは、「トランス・パーソナル」という領域を越えたもので、「インテグラル(統合)理論」、「AQAL(All Quadrants, All Levels)理論」などと呼ばれます。

この統合理論について、その枠組だけをごく簡単に紹介します。

前提として、ウィルバーは、アーサー・ケストラーの「ホロン理論」に従って、世界の存在を「ホラーキー・システム」であると考えます。
つまり、ある存在は、「ホロン」であり、つまり、独立した全体であると同時に、上位システムの部分です。
ホロンは、水平軸では、全体としての「独立性」と、部分として他の部分との「交流」という2つの動因を持ち、垂直軸では、高いレベルへの「自己超越」と、低いレベルへの「自己崩壊」という2つの動因を持ちます。

そして、ウィルバーの統合理論は、このホラーキー・システムとしての世界を,「レベル」、「ステート」、「象限(クアドラント)」、「ライン」、「タイプ」という5つの観点から捉えます。

「レベル」は、発達段階です。

「ステート」は、発達段階とは別の、瞬間瞬間の意識状態のことです。
例えば、一日の中で循環する覚醒、夢見、熟睡の3状態です。
「永遠の心理学」がそうであるように、統合理論では覚醒以上に、熟睡の意識状態を重視します。

「象限」は、思考、感情、感覚などの「個人の内面」、行動、身体、脳・神経など「個人の外面」、文化、相互理解などの「集団の内面」、社会制度、物理的環境などの「集団の外面」という4つの領域です。
この4象限あることで、「トランス・パーソナル」を超える観点を獲得することになります。
人間の進化は、個と集団が相補的に影響し合いながら進むと考えます。

「ライン」は、認知、自我、感情、世界観、実存、スピリチュアリティ、セクシュアリティ、ジェンダー、経済、科学などの発達の領域です。

「タイプ」は、性格や行動傾向の類型のことです。
例えば、ユング系のMBTIの16タイプや、エニアグラムの9タイプなどです。

以上の5つの観点から万物、つまり、個人と社会、歴史などをトータルに捉えるのがウィルバーの統合理論です。

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<ケン・ウィルバー思想の評価>

心理学・心理療法が、東洋の諸宗教・神秘主義思想を十分に理解しない状況があったのに対して、ウィルバーの理論が、その意味を西洋人に分かりやすく説き、位置づけたことは評価すべきでしょう。

一方、東洋の諸宗教・神秘主義思想の中にある、現世否定や一面的な価値観に対して、総合的な発達という観点を重視したことも、現代的で評価できます。

ですが、ウィルバーは、「永遠の哲学」という観点から様々な宗教思想・神秘思想を捉えて、自身の思想の根拠とします。
そのために、諸思想の差を見ずに、強引に、彼自身の観点から同一視することになってしまいがちです。

ウィルバーが、東洋宗教の霊的な道と進化を結びつけるのは、インドの伝統ではなく、神智学やオーロビンドのような西洋の思想を取り入れた思想の系譜のニュー・ヴァージョンであると言えるでしょう。
そのため、ウィルバーは、進化を認めず、堕落論的な宗教思想に対しては、「回顧的浪漫主義者」であると批判します。

ウィルバーの思想は、「原初の智恵」と「永遠の哲学」の違いはあれ、一つの普遍的な伝統を根拠にする点で、ブラヴァツキーの神智学と同じです。
その意味で、ブラヴァツキーの神智学が「近代神智学」の代表とすれば、ケン・ウィルバー理論は「現代神智学」の代表であると捉えることもできるのかもしれません。
ちなみに、ウィルバーは神智学に関しては、ほとんど言及しません。

ウィルバー理論では、あらかじめ基底無意識に、進化・成長のすべての構造が内包されていると考えます。
彼は、「永遠の哲学」がそう考えるからそうなのだと語りますが、実際には、発達心理学的な発想から来ているのではないでしょうか。

また、ウィルバーは、成長・進化のレベルに対して、仏教の言葉の「応身」→「報身(末那識)」→「法身(阿頼耶識)」を当てはめます。
ですが、これはかなり適当です。

仏教においては、「応身」、「報身」、「法身」は仏になって初めて獲得できる身体です。
「死者の書」に即して言っても、例えば、バルドで法性の光を体験しますが、その本質を認識しない限り「法身」を獲得することはできません。
次のバルドでも、「報身」(のイメージ)を見ますが、その本質を認識しない限り「報身」を獲得することはできません。
「報身」を見ている者が持っているのは「意成身」にすぎません。

それに対して、「末那識」や「阿頼耶識」は、これらと違う煩悩性のもので、決してウィルバーの言うようなトランス・パーソナルなものではなく、単に潜在意識です。

ちなみに、ウィルバーは、ナローパ研究所でチベット密教の瞑想修行を行ったことがあるにも関わらず、後期密教やゾクチェン、マハームドラーのような高度な仏教の思想を取り入れることはなかったようです。

ブラヴァツキーの神智学や後期密教などをしっかり吸収しないかぎり、本当の意味で現代的な神智学とは言えません。

一方、ウィルバーの思想が、過去の神秘思想と類似する興味深い点は、次の点です。

ウィルバーの理論では、成長の前半と後半、つまり、プレ・パーソナル段階とポスト・パーソナル段階が、パーソナルな自我段階を折り返しとして対称的な構造があります。

こういった対象性は、新プラトン主義のプロクロスや、シュタイナーのような、西洋の神智学に見られるものです。
特に、順次下位レベルを意識化することで上位レベルの意識が生まれるとする点で、シュタイナーと似ています。

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