欧米新仏教とインド新仏教 [現代]

このページでは、20C後半から現れた仏教の新しい形態である、「欧米新仏教」と「インド新仏教」について簡単に紹介します。
中心とするのは「欧米新仏教」とその背景です。

ただ、「欧米新仏教」と「インド新仏教」は、どちらも当サイトでの呼称です。
「欧米新仏教」とは少し意味は違いますが、類似した言葉としては、アメリカには「ナイトスタンド・ブッディズム」という呼称もあります。
「インド新仏教」は、一般には「インド仏教復興運動」と呼ばれます。

両者には共通した側面もありますが、まったく異なるものです。


<欧米新仏教の特徴>

20世紀後半くらいから、欧米では、仏教が独特な受容をされ、新しい運動体になっています。
はっきりと一つの性質を持ったものではなく、多様な運動ですが、新しい仏教の世界的な潮流として捉えることもできます。

仏教史の観点から見れば、仏教が新しい形に変化・進化していると言っても良いでしょう。
大きな見方をすれば、原始仏教、部派仏教、大乗仏教、密教に継ぐ新しい形態とも見なせます。

別ページで紹介した「ネオ・オリエンタリズム」の一潮流とも言えます。

「欧米新仏教」の最大の特徴は、広く一般人(在家仏教徒や仏教に関心のある人)が瞑想を行うことです。
これは、長い仏教の歴史の中でも稀なことです。

また、仏教は一種の心理療法としても受け止められていて、これら仏教の瞑想法を取り入れた心理療法が生まれました。

「欧米新仏教」は、東南アジアの上座部仏教のヴィパッサナー瞑想と、日本やベトナムの禅宗の座禅と、チベット仏教の後期密教やゾクチェン、マハー・ムドラーなどの瞑想法などをバックボーンとしてます。

「欧米新仏教」は、教団仏教・寺院仏教ではなく、旧来の寺院組織とは距離を置く傾向があり、超宗派的です。
供養や儀礼を中心にした葬式仏教、儀式仏教でもありません。

拠点は特定の宗派の寺院ではなく、瞑想センターです。
アメリカには少なくとも1000以上の瞑想センターがあり、その一割以上が超宗派です。

アメリカの仏教徒は 約300万人ですが、仏教に大きな影響を受けた人は 約2500万人という調査があります。
特定の組織に属さずに、日常生活の中で仏教を勉強している人達を指して「ナイトスタンド・ブッディスト」と呼ぶこともあります。
仏教に関心を持つ層は、かなり知的なレベルの高い傾向があり、女性も多いのです。

「欧米新仏教」の指導者は、アジアから来た僧侶であったり、アジアの僧侶に学んだ欧米人です。
ですから、もともとは何らかのアジアの宗派と結びつきがあります。
ですが、多くは意図的にそれから距離を置き、独自の思想・組織・活動形態を持つに至ります。
指導者は出家していないことが多く、また、師の権威を絶対化しない傾向があります。

そして、死後にあまり関心がなく、出家主義ではなく、この世での自由な生き方を求めます。
社会運動にも積極的で「エンゲージド・ブッディズム」と呼ばれることもあります。

経済的には、布施よりも会費や参加費が基盤になります。
インターネットの活用も多く、「ヴァーチャル・サンガ」と呼ばれることもあります。

思想的には、初期仏教の基本思想に重点を置いて、現代的解釈で各派の思想が抽出される傾向があります。

瞑想法では、気づき(マインドフルネス)瞑想を中心に各派の修行法が折衷されます。
指導者も勉強している人も、特定の宗派にも、特定のセンターにも、依存せず、複数の宗派(上座部仏教、チベット仏教、禅宗)などの修行法を勉強する傾向があります。

以下、上記の3つの宗派・瞑想法が「欧米新仏教」に与えた影響について説明します。


<上座部のヴィパッサナー瞑想>

上座部の正式な瞑想法は、アビダルマ哲学や『清浄道論』に基礎をおいた複雑なもので、なかなか一般人が実践できるものではありません。
ですが、50年ほど前にミャンマーで、誰でも行えるように簡略化した瞑想法が作られ、「改革派」の潮流が生まれました。
マハーシ・サヤドーや、レディー・サヤドーの3代目の弟子でインド人のS.N.ゴエンカらが作った新しい「ヴィパッサナー瞑想」です。

この簡略化された「ヴィパッサナー瞑想」の広がりによって、出家者が在家の瞑想指導を行うことが当たり前になりつつあります。
これは、上座部の伝統の中では新しい出来事です。

この種の瞑想は、欧米では「マインドフルネス・メディテーション」、「インサイト・メディテーション」、日本では「気づき瞑想」と呼ばれ、現在、欧米、アジア諸国を中心に、世界的に猛烈な勢いで広まっています。
カウンセリングや心理療法とも親近性が強く、様々な交流があります。

アメリカでの最初の大きなきっかけになったのは、タイで仏教に出会い、インドでゴエンカの指導を受けたジョセフ・ゴールドスタインと、タイでアチャン・チャー(タイ有数の森林僧院であるワット・パー・ポンの設立者)に従事して僧侶になったジャック・コーンフィールドが、2人で設立したマサチューセッツの「インサイト・メディテーション・ソサイエティー」です。

コーンフィールドはその後、カルフォルニアに「スピリット・ロック・メディテーション・センター」を設立します。

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前者が『入出息念経』や『四念処経』をベースにした伝統的な指導スタイルなのに対して、後者は心理療法なども取り入れた総合的なプログラムを行いました。
彼らは上座部の組織や信仰・思想とは距離を置き、新しい運動体(欧米新仏教)となっていきました。 

禅が日本人禅師など、チベット系仏教が亡命チベット僧侶らの直接指導とカリスマ性の元に始まったのに対して、ヴィパッサナー瞑想は、欧米人が海外から持ち帰って流行させたものであるという特徴があります。

また、スリランカの僧侶バンテ・ヘーネポラ・グナラタナは、ウェストバージニア州の森林に僧院と瞑想センター、バーワナー・ソサエティを設立して、一般に向けても指導を行い、影響を与えました。


<禅宗と座禅>

日本の禅が欧米で人気なのは日本人も良く知るところです。
ニューエイジのネオ・オリエンタリズムとネオ・シャーマニズム」で紹介したように、「禅仏教のエッセイ」シリーズなどの著作で知られる鈴木大拙、「サンフランシスコ禅センター」などを設立した鈴木俊隆、「ロサンゼルス禅センター」などを設立した前角博優などが、アメリカやヨーロッパに大きな影響を与えました。
彼らは日本の臨済宗や曹洞宗と距離を置いた活動をしたことが特徴です。

前角の弟子でアメリカ人のローリ大道は、「ゼン・マウンテンモナストリー(山川教団)」を設立し、新しい禅宗を作っています。
「十牛図」に対応した10階梯を設けるなど、独自の組織化された僧院を創設し、在家者にも出家者用修行を指導し、学問研鑽も行っています。
また、彼は亡命チベット僧のチョギャム・トゥルンパの影響も受けています。

しかし、欧米では日本の禅だけではなく、ベトナム、台湾、韓国の禅も注目されています。
これらの国の禅は臨済宗系の禅宗ですが、日本と違って総合仏教的な性質が強く、日本ほど座禅にこだわりません。

ベトナムの禅は、「ニューエイジのネオ・オリエンタリズムとネオ・シャーマニズム」で紹介したティク・ナット・ハンの欧米での活躍によって、知られるようになりました。
彼は、ダライ・ラマと並んで世界的に有名な仏教僧です。
アメリカには彼の禅センターが200ほどあります。

彼の禅は「行動する仏教(エンゲージド・ブッディズム)」として知られていますが、これは、必ずしも社会運動をするということではなく、仏教や瞑想を日常社会の中で生かすこと、日常の行為を瞑想的に行うことを重視しています。
思想や瞑想法は折衷的で、上座部的なシンプルなヴィパッサナー瞑想に、大乗的な慈悲の心、禅宗的な現世肯定の思想が組み合わさっています。
例えば、五戒を現代的に解釈し、それを瞑想するといった方法もあります。
「生命に敬意を払う」、「寛容になる」、「性的責任を果たす」、「深く耳を傾け愛をこめて話す」、「意識的な消費をする」などです。

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<ゾクチェン、マハー・ムドラー>

1950年の中国の侵攻によりチベットの仏教僧たちは、インド、ネパール、欧米などに亡命して、チベット仏教は新たな時代を迎えました。
ダライ・ラマやチベット仏教の各宗派は、亡命先で伝統宗派に基づいた活動もしています。
ですが、チョギャム・トゥルンパ、タルタン・トゥルク、ナムカイ・ノルブなど、独自の活動をしている亡命チベット僧達もいて、彼らの活動の方が「欧米新仏教」のバックボーンになっています。

彼らが説いた「ゾクチェン」や「マハー・ムドラー」は、高度に発達した仏教思想で、欧米では仏教の研究者にすら知られていなかった、未知の思想でした。

「マハー・ムドラー」をアメリカに紹介したチョギャム・トゥルンパは、生け花、茶道、医術、武道などにも興味を示し、無宗教・超宗教なアプローチを行いました。

「ゾクチェン」をアメリカに紹介したタルタン・トゥルクは、チベット仏教の伝統に即した活動をするだけではなく、現代的で総合的なアプローチで「ヒューマン・ディヴェロップメント・トレーニング・プログラム」も行い、ニューエイジ系の学者が参加しました。

彼らは、伝統的な枠組みで、伝統的な仏教用語で伝えるのではなく、仏教を対象化して、抽象的に捉え直して、西洋人に向けて、新しい表現で新しい言葉で説きました。

ナムカイ・ノルブは、イタリアの高名な仏教学者のトゥッチに招かれてナポリ大学で学者としての研究を行う一方、ゾクチェンの瞑想指導を行い、その組織は世界に広がっています。
彼の書籍は日本でも多数翻訳されていますが、学者でもあることから、ゾクチェンと仏教の他の思想との違いや、歴史についても、分かりやすく説明してくれます。

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<心理療法への影響>

仏教やその瞑想法は、現在の欧米諸国では、一種の心理療法として受け止められているという側面があります。
実際、釈迦の思想は、苦しみの原因を究明して取り除く方法を示すという、医学的発想に近いものでしょう。

仏教が影響を与えた現代心理療法には、「マインドフルネス認知療法」、「マインドフルネス心理療法」、「マインドフルネス・ストレス低減法」、カウンセリングの「ロジャーズ派(クライアント中心療法)」などがあります。

間違った認識を改めることで、鬱などの治療を行うのが「認知療法」ですが、これに瞑想的な技法を利用するのが、「マインドフルネス認知療法」です。
無意識に行っている認識の間違いを自覚して修正する、という点は仏教と共通します。
ただ、「マインドフルネス認知療法」は、常識的な判断に沿って認識を改めると点で、仏教とは異なります。

これに対して、鬱などが直るのは、間違った認識を改めるからではなくて、認識や感情を、客観的に自覚して、それを受け入れ、それと距離を置くからだと考えるのが、「マインドフルネス心理療法」です。
ヴィパッサナー(マインドフルネス)瞑想は、自覚のための方法として利用できます。
また、認識や感情と自分を同一視せず、距離を置くという意識のあり方は、仏教の無我観と共通するところがあります。
ただ、価値判断をしない点は仏教と異なります。

「マインドフルネス・ストレス軽減法」は、禅やヴィパッサナー瞑想、ハタ・ヨガなどの影響を受けたジョン・カバットジンによって作られました。
これは、心理療法ではなくて行動医学の一つで、その名の通り、マインドフルネス瞑想を用いてストレスを減らします。
日常のすべてを自覚することによって自我のあり方そのものを変えることで、結果的にストレス症状が癒されます。
その技法はほとんどマハーシ式、ゴエンカ式のヴィパッサナー(サティ)瞑想そのままです。
目的意識を持たずにただ坐れと言う道元の「只管打坐」からの影響もあるようです。

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「治療」よりも「自己実現」を目指す「人間性心理療法」に属する「ロジャーズ派(クライアント中心療法)」のセラピストの多くも、それぞれに仏教を取り入れようとしています。
ロジャーズ派は、原則としてすべての判断や感情に対して肯定的で、それを表現し、発展させるので、仏教の中でも、あるがまま瞑想に近いでしょう。
親仏教派では、クライアントもカウンセラーも、自我の外に出て空虚な状態になることを重視します。
これは仏教の無我観に近づくもので、ここに至っては、ロジャーズ派は「人間性心理療法」を越えて「トランスパーソナル心理療法」に近づいていきます。

ロジャーズ派のセラピストでニューエイジ系の論客の一人でもあったジョン・ウェルウッドについては、「トランス・パーソナル心理学」でも紹介しました。
彼は、「空」を心理学的に心的なプロセスにおける、多数の層として捉え直しました。
通常の、言葉やイメージなどの「形」を対象化した意識に対して、その「形」の「背景」となる心のプロセス、意味を発生させる場を掘り下げていきました。
<インド新仏教>

「インド新仏教(インド仏教復興運動)」は、原始仏教回帰(ファンダメンタリズム)という点で、「欧米新仏教」と共通する側面を持っているので、付記します。

一般に仏教は、非言語的認識を重視するので、当サイトではこの点で神秘主義として扱っています。
ですが、「インド新仏教」はこの傾向をほとんど持っておらず、「欧米新仏教」のバックボーンでもありません。

 日本ではあまり知られていませんが、インドではここ数十年の間に仏教徒が急増しています。
これほど短期間に急激に多数の仏教改宗者が出たことは、インドの歴史上でも始めてではないでしょうか。

 「インド新仏教」は、アウトカーストの指導者、ビームラーオ・アンベードカル(1891-1956)に始まります。
彼は政治家としては、カースト制度の廃止の消極的だったガンディーを批判し、1949年には、法務大臣として、不可触民制度の廃止を謳うインド新憲法の制定に寄与しました。
また、彼は、ヒンドゥー教が差別の根源であると考え、仏教の傾倒しました。
1954年にはインド仏教徒協会を設立、1956年には、自身が仏教徒に改宗し、50万ほどのアウトカーストの民衆が彼に続いて改宗しました。

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その後、日本人の佐々井秀嶺(1935-)が引き継いで発展させ、インド仏教のトップとして信者(一説では1億人を超えるという)を束ねています。
カースト差別からの解放という、インドにおける仏教本来の役割が、20世紀になって復活したことで、大きな社会運動になっています。

アンベードカルの死の翌年、その著「ブッダとそのダンマ」が刊行されました。
彼のインド新仏教の思想は、この著に表現されています。
それは、近代主義的な立場から徹底的に合理的に解釈された仏教で、神秘主義的側面は皆無です。

死後の輪廻も、魂の存在も認めません。
人が死ぬと肉体の四大に分解されますが、四大がまた結合するして肉体になることが再生です。
霊魂は再生せず、再生した新しい肉体は別人です。

また、涅槃とは、身心の止滅ではなく、八正道による煩悩のない正しい生活です。
現世における人間の幸せを目指しています。
カルマは一つの人生の中での法則なのです。

つまり、釈迦の教説は道徳であり、瞑想より社会的な実践を重視します。

ですが、佐々井秀嶺は、真言宗で得度した日本の大乗仏教の出身であり、タイで上座部の修行もしているので、アンベードカルに比較すると、いくぶん折衷的になっているのではないでしょうか。
佐々井は、「新仏教」という名前を否定する一方、「極大乗」という言葉も使っています。
佐々井にとっては、アウトカーストの民衆救済こそが重要であり、教義にこだわることは本末転倒なのでしょう。

インドでは仏教は途絶えていたので、伝統的な寺院組織はありませんでした。
インド新仏教は、スリランカの上座部や日本の仏教との交流がありましたが、思想的に大きな隔たりがあり、事実上まったく新しい道を歩みつつあります。

実際、内外の上座部や大乗仏教から、数々の批判がなされています。
ですが、「インド新仏教」の方が釈迦の本来の思想に近い部分もあります。

「インド新仏教」は、原始仏教回帰運動(ファンダメンタリズム)です。
これは世界的な仏教の傾向の一つです。
例えば、ネパールのシャカ族の仏教は、伝統的にハイブリッドですが、ファンダメンタリズム的な回帰運動もあるようです。



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