ネオ・シャーマニズムの特徴・類型・技法 [現代]

カルロス・カスタネダの一連の出版シリーズが、ヒッピーの聖典の一つになったことをきっかけにして、「ネオ・シャーマニズム」と総称される宗教・思想潮流が、1960年代末以降、徐々に大きな潮流になりました。

「ネオ・シャーマニズム」と言われるものには、様々なものが含まれます。
このページでは、その大まかな特徴と、類型、技法についてまとめます。


<シャーマンの定義>

「ネオ・シャーマニズム」という言葉に共有される明確な定義はありませんが、各地の伝統的なシャーマンの世界観や技術を核としながら、何らかの意味で新しい要素を加えた宗教・思想・実践潮流のことでしょう。

「ネオ・シャーマニズム」のリーダーは、自身が一種のシャーマンとして、病気治療やヒーリング、セラピー、心の解放などの実践・指導を行っていることが特徴です。

「ネオ・シャーマニズム」では、シャーマンとは「エクスタシー(脱魂的トランス)」を利用した技術を使う人を指しています。

広義のシャーマンが行う「トランス(変性意識状態)」は、一般に2種類に分けられます。
一つは、「エクスタシー(脱魂・飛翔)」、もう一つは「ポゼッション(憑依・憑霊)」です。

「エクスタシー」は自意識を保っている状態で、「ポゼッション」は意識を失った状態であることが多いようです。
また、個人的な印象では、前者は狩猟文化の男性シャーマンに多く、後者は農業文化の女性シャーマンに多いようです。

「ネオ・シャーマニズム」は、前者のトリップ型トランスを「シャーマン」の特徴とし、後者を特徴とする者を「スピリット・メディアム(霊媒、巫女)」として区別します。
これは、エリアーデのシャーマニズム観を継承していると言えます。

ですから、心霊主義のような「降霊」、現代アメリカで言う「チャネリング」、神道の「神憑り」など、「ポゼッション」を特徴とする潮流は、「ネオ・シャーマニズム」とは呼ばれません。

ですが、「エクスタシー」を行うシャーマンも、守護霊やパワー・アニマルなどが「ポゼッション」したと言えるような状態にもなります。
ただ、これは意識を保持しながらです。

また、ネオ・シャーマニズムの場合、「エクスタシー」といっても、完全なトリップ体験ではなく、夢見や白昼夢に類した状態も含んでいます。

ですから、部族文化的な治療を行っても、「トランス」状態を利用しないものは、単なる「メディスン・マン(呪医)」であって、「シャーマン」とは考えません。

以上の定義では、西洋の「ネオ・ペイガニズム(新異教主義)」に属する「ウィッカ(魔女宗)」、あるいは、「ネオ・ドゥルイディズム」、「ゲルマン・ネオ・ペイガニズ」と呼ばれる潮流の中にも、該当するものがあると思います。

ですが、通常は、「ネオ・シャーマニズム」とは呼ばれないようです。


<変性意識状態の類型>

「エクスタシー(脱魂)」状態になるシャーマンは、2つの意識状態、2つの世界(リアリティ)の間を行き来します。

変性意識状態が体験する「非日常的世界」と、日常的意識状態が体験する「日常的世界」です。
マイケル・ハーナーは前者の意識を「シャーマン的意識状態」と表現します。

ですが、厳密に言えば、他にも意識状態があります。

一つは、「霊視」の状態です。
シャーマンのこの霊視能力は、「スピリット・ヴィジョン」とか「シャーマン的エンライトメント」と呼ばれます。

これは、「エクスタシー」状態にならずに現実世界にいながら、霊的存在を現実世界に重ねて見る意識状態です。
明るい昼間には霊的存在は見にくいので、「霊視」は主に夜に変性意識状態になって見ます。

具体的には、パワー・アニマル、スピリット・ヘルパー、エネルギー・フィールドなどを、現実世界の中で見ます。

また、「エクスタシー」の意識状態には、様々なレベルがあります。
つまり、異世界を体験する時に、現実世界を完全に忘れてその世界に行ききってしまう場合もあれば、現実世界をかなり認識している場合があります。

一般に、シャーマンがドラムとダンスで「エクスタシー」の状態に入ると、動けなくなって寝転びますが、自分が寝転んでいることや、周りの状態を音などによって知覚していることが多いようです。

また、昼間に行う「夢見」でも、夢の世界に完全に入り込む場合と、白昼夢に近い場合があります。


<伝統に対する立ち位置からの類型>

ネオ・シャーマニズムは、その伝統に対する立ち位置から、次の2つに分けることができると思います。

一つは、いくつかの伝統的なシャーマニズムの世界観、技法から普遍的なものを抽出して、それを現代人のヒーリングやセラピーなどに役立てるために再構成したものです。
(このページでは「普遍型」と表現しましょう。以下、同様に「〇〇型」と表現。)

これは、ネオ・シャーマニズムの先駆者の、人類学者だったマイケル・ハーナーに代表されます。
彼は、自身の実践体系を「コア・シャーマニズム」と命名していますが、この名前は、シャーマニズムの核の部分を抽出していることを意味しているのでしょう。
「コア・シャーマニズム」をネオ・シャーマニズムの基本形のように考えることもできます。

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*マイケル・ハーナー

「普遍型」の系統には、キューバ生まれの心理学者・医療人類学者で、多数の機関で活動するアルベルト・ヴィロルド、トランスパーソナル心理学協会の理事を務めた先住民の心理学者レスリー・グレイ、ナイジェリアでシャーマンに学んだ人類学者のハンク・ウエスルマンなどがいます。
人類学や心理学、心理療法どの研究を背景にした人が多いようです。

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*アルベルト・ヴィロルド

もう一つは、何らかの伝統的なシャーマニズムの流派に基づいていて(そう主張して)、そこに他の宗教や心理療法などの影響を取り込んだものです。(継承型)

「継承型」には、ハワイのシャーマニズムのフナを継承するサージ・カヒリ・キング、メキシコのシャーマニズムのトルテックを継承するドン・ミゲル・ルイス、ルハン・マトゥスなどがいます。

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*サージ・カヒリ・キング、ドン・ミゲル・ルイス

ですが、彼らの場合、どこまでが伝統的なもので、どこからが他の要素の影響であるのかが、はっきりせず、それを実証的に確定することは困難です。

扱いが難しいのが、カルロス・カスタネダです。
彼の場合、トルテックの伝統的であると主張していいて、その研究で博士号を取得しています。

ところが、彼の書・研究はフィクションであると疑われていて、どこまでが事実に基づいたもので、どこからがフィクションであるのか、どこからが他の影響を取り入れたものであるのかが分かりません。
ほとんどがフィクションであるとすれば、彼の著作は、文学というジャンルで考えざるをえなくなります。
ですが、彼の弟子的存在が実際にワークショップを行っているので、その意味では、文学を越えて、宗教・思想・実践運動であると考えられます。


<目的からの類型>

伝統的なシャーマンは、部族社会やそのメンバーのために働く存在です。
病気の治療をしたり、豊穣のために部族を代表して霊的存在との間のコミュニケーションを取り持ったり、雨を降らせたり、死者の魂の案内をしたり、などなどです。

ですが、シャーマンになるには、一定の修行が必要で、その過程においては、個人の霊的成長と呼べるものが求められます。

そのため、ネオ・シャーマニズムにも、他人の病気治療、ヒーリング、セラピーといったものを重視する潮流(ヒーラー型)と、個人の意識の霊的成長を重視する潮流(求道者型)があります。

傾向としては、上記の「普遍型」には「ヒーラー型」が多く、「継承型」には「求道者型」が多いようです。

ですが、アルベルト・ヴィロルドやカヒリ・キングには、両方の側面があるようです。

マイケル・ハーナーは、カスタネダの師のドン・ファンが、ヒーリング(病気治療)に興味を持たない理由が、「戦士型」のシャーマンだからだと言っています。

カスタネダ(ドン・ファン)は、様々な意識状態を体験して人間の全体性を理解して、知を得る道を歩む者を「戦士」と表現し、意志で物事を変えようとする「呪術師(ブルホ)」と区別します。
「戦士」は「知ある者(賢者)」とほぼ同じ意味であり、その初期段階として「狩人」になることも必要とされます。

ミゲル・ルイスは、抑圧的な日常的リアリティを強いる存在を「パラサイト」と表現し、それと戦う者を「戦士」と表現します。
ルイスの「パラサイト」は、カスタネダの「捕食者」に当たります。

ルイスも「狩人」という表現を使います。
「狩人」は獲物に「忍び寄る」ので、ルイスはこれを無意識的なもの(森にひそむ獲物)への「気づき」の象徴と考え、一方、カスタネダは信念体系や行動パタン(動物の行動様式)を自覚し、操作することの象徴として捉えているようです。

これらに対して、カヒリ・キングは、病気や抑圧などの問題を擬人化してそれと戦うのではなく、力として調和させる、敵に愛を送るような道を歩む者を「冒険者」と表現し、自身のシャーマニズムを特徴づけています。


<哲学的類型>

マイケル・ハーナーは、シャーマンが体験する2つのリアティ、「非日常的リアリティ」と「日常的リアリティ」を、シャーマンが区別していて、混同することはないと言います。

例えば、シャーマンが飛んだり、変身したりするのは、「非日常的リアリティ」での出来事であって、「日常的リアリティ」の出来事ではない、と切り分けているのだと。

あるいは、「スピリット・ヘルパー」なら、「日常的リアリティ」では植物などの姿をしていて「パワー・オブジェクト」と呼ばれますが、「非日常リアリティ」では昆虫や動物のような動く生き物にもなります。

マイケル・ハーナーの「コア・シャーマニズム」では、個々人が持つ「日常的リアリティ」を変える必要がないと言います。

つまり、もともと持っている「日常的リアリティ」をそのままに、それと区別した「非日常的リアリティ」を付け加えるのです。
「神話」でしかないと思っていかものが、「もう一つの現実」だったことに気づく、というような感じです。

一般に、伝統的な部族シャーマニズムの社会では、「日常的リアリティ」と「非日常的リアリティ」の2つの世界を区別してはいても、その2つが一体で、その部族の世界観を構成しています。
「非日常的リアリティ」が「日常的リアリティ」の基盤になる世界と考えることが多いですが、それぞれが矛盾することはなく、それぞれの世界の実在性を疑いません。

ですが、現代では、2つのリアリティを一体的に考えることは難しいし、その実在性を疑わないことも難しいのではないでしょうか。
ハーナー流のネオ・シャーマニズムは、そこをあまり深く考えずに、プラグマティックに、相対的なリアリティを持った2つの世界を考えます。

こういったネオ・シャーマニズムを、その哲学的立場から一つの類型として考えることができます。(実在主義型)

これに対して、「日常的世界観」が、恣意的、抑圧的、否定的で、間違ったものなので、変更する必要がある、と主張するネオ・シャーマニズムの潮流があります。
つまり、既存の「日常的リアリティ」の実在性、真実性を認めない立場です。(幻影主義型・非実在主義型)

「幻影主義型」は、カルロス・カスタネダ、カヒリ・キング、ミゲル・ルイス、アルベルト・ヴィロルドなど、「求道型」のネオ・シャーマニストに多いようです。

「幻影主義型」ネオ・シャーマニズムの場合、「非日常的リアリティ」に関しても、単に「もう一つの世界」という認識ではなくて、動的に流動する力の世界、光の世界であり、一つではなく多層的な世界であり、説明不可能なもの、と捉えることが多いようです。


<幻影主義型シャーマニズムのバックボーン>

文化人類学は、様々な部族の世界観を対象とするので、文化相対主義的な哲学を持つ傾向があります。
つまり、個々の部族や現代西洋人の世界観を相対的に見ます。

1954年に「エスノメソドロジー」を提唱した社会学者のハロルド・ガーフィンケルは、社会秩序・世界観が、人間の会話を通して、都度に相互主観的に形成されているものであると考えました。
そして、日常の会話の中でそれを解体する実験を行いました。

ガーフィンケルはカルフォルニア大学の人類学科で教えていたため、カスタネダが彼の影響を受けたと推測されます。
また、そのカスタネダからの影響もあって、「幻影主義型」のネオ・シャーマニスト達は、間接的にであれガーフィンケルの影響を受けていると思います。

もちろん、ネオ・シャーマニスト達には、日常の現実を幻影にすぎないと見なす、仏教やヴェーダーンタ哲学も勉強している人も多いので、その影響もあるでしょう。

では、こういった日常的世界観を否定し、それを変えようとするのは、現代の「幻影主義型」ネオ・シャーマニズムに特徴的なもので、伝統的なシャーマニズムには、存在しないのでしょうか?

「幻影主義型」ネオ・シャーマニストが継承しているというトルテックやフナの歴史的実証ができないので、その答えは分かりません。

一般に、部族文化が王国文化になる時、世界観の大きな変化があり、一種の普遍化を伴います。
この時、部族文化は相対化されてしまいますが、もう一方で、王国文化の世界観が抑圧的なものとして現れます。
そのため、両者を乗り越えようとするような、つまり、特定の日常的リアリティやそこにある抑圧を否定するような思想・宗教が生まれる可能性があります。

仏教もそのような宗教の一つです。
他にも、国家的なものに反抗する文化や宗教運動については、南米のインディオを対象にしたピエール・クラストルの研究もあります。

中南米のシャーマニズムは、テオティワカン、トルテカ(トゥーラ)、インカなどの王国や帝国時代を経ていますし、ハワイのシャーマニズムも王国を経ています。
その歴史のどこかで、幻影主義型のシャーマニズムが生まれ、現代までを継承されてきた可能性はあります。


<変性意識への入り方による類型>

ネオ・シャーマニズムにおける変性意識状態への入り方には、様々な方法があって、複数の方法を使う人が多いのですが、どの方法を重視するかによって類型化することもできます。

中南米の伝統的なシャーマンの多くは、幻覚性植物の摂取を利用します(幻覚植物型)。
カルロス・カスタネダも、マイケル・ハーナーも、幻覚性植物の摂取からこの道に入りました。

ですが、現代のネオ・シャーマニズムが、これを推薦することはできません。

ネオ・シャーマニズムにおける代表的な方法の一つは、連打するドラム音に導かれてトリップする方法です。
実際には、これに加えて、ガラガラの音や、「パワー・ソング」と呼ばれるシャーマン自身が歌う歌や、ダンスを伴って行います。

この類型(ドラム型)は、マイケル・ハーナーが代表です。

もう一つの方法は、「夢見」です。
そもそも「脱魂的トリップ」は、「夢見」だとも言えます。

「夢見」は、夜に寝る前に目的をはっきりと言い聞かせてから「自覚夢(明晰夢)」を見るやり方が一つです。
あるいは、昼に半ば覚醒した状態で行うこともできます。

もう一つの方法は、一種の「瞑想」的方法です。
例えば、カスタネダは、日常的な認識・判断・思考を停止させることを重視し、これを「しないこと」、「世界を止める」、「内的おしゃべりを止める」と表現します。

また、記憶の想起や、観想という方法で瞑想状態に入ることもあります。
後者の場合、「夢見」との基本的な違いは、内容を意識的にコントロールすることです。

「夢見」や「瞑想」は、多くのネオ・シャーマニストが使います。


<ヒーリング技法>

ネオ・シャーマニズムの主な治療の実践・技法を紹介します。

まずは、「パワー・アニマル」に関わるもので、「パワー・アニマル」を取り戻す、新たに見つける、助言を得るなどです。

「パワー・アニマル」は、動物の姿をした「守護霊(ガーディアン・スピリット)」ですが、人に力や能力、助言を与える存在です。
「パワー・アニマル」がいないと、人は力をなくして重大な病気になります。

シャーマンは、変性意識状態になって地下世界などに行って、自分の、あるいは他人(患者)の「パワー・アニマル」を見つけ、そのエッセンスを持ち帰ります。
また、その動物のダンスを踊ることによって、その力を得て、結びつきを維持します。


カヒリ・キングの場合は、天上世界にいる「パワー・アニマル」を中間世界にある「内なる庭」に来てもらいます。


次は、異世界へ旅によって、自他のために、力を得る、癒やされる、何らかのインスピレーション、助言を得るなどの技法です。

シャーマンが変性意識状態で訪れる世界は、たいてい、天上、中間、地下の3つの領域からなります。

「地下世界」は、パワー・アニマルやスピリット・ヘルパーなどがいる、挑戦と力の場所です。
「中間世界」は、自分専用の「内なる庭」や、先輩シャーマンなどがいる場所がある、新しいものを見出す場所です。
「天上世界」は、指導霊(ティーチング・スピリット)や守護霊、英雄などがいて、助言やインスピレーションを受ける場所です。

カヒリ・キングは、中間世界に「内なる庭」があるとしてここを毎日、訪れます。
この庭は、様々な自分の問題が庭の様子として表現されるので、それを直すことで治療し、問題を解決します。
また、パワー・アニマルや守護霊などを招いて会う場所でもあり、様々な場所へ行くための拠点でもあります。

アルベルト・ヴィロルドは、地下世界に「原初のエデン」、「傷の部屋」、「契約の部屋」、「恵みの部屋」、「宝の部屋」があるとして、それぞれで癒しや力を得る目的で利用します。


カスタネダの場合は、「夢見の中でやって来る場所」を、現実に存在する場所として探しました。
この場所は、「力」と出会い、秘密が明らかにされる場所であり、死ぬ前にそこで踊る場所だと言います。
これは、「内なる庭園」と似てた性質を持っています。


次に、マイケル・ハーナーが行っている、邪悪な霊の吸い出しによる病気治療です。
これは難易度が高いので、専門的なレベルに達していないとできません。

変性意識状態の霊視などによって、患者の邪霊とその取り付いた場所を特定して、口で吸い出し、口の中にある「パワー・オブジェクト」とその実体である「スピリット・ヘルパー」がそれを吸着します。

カヒリ・キングは、原因を邪霊として実体化しない方法でも治療を行います。
例えば、患部が見る「夢」を見て、その内容を良い方向に誘導するという「夢見」の方法です。


次に、「エネルギー・フィールド」を対象とした治療、ヒーリング方法です。

ネオ・シャーマニストの何人かは、人には「エネルギー・フィールド」、つまり、エーテル体、アストラル体のような霊的な体があるとして、それを霊視、あるいは観想して、治療や意識変容に利用します。

カスタネダは、人間の「エネルギー・フィールド」を「光る玉(卵)」と表現し、その表面に「集合点」というものがあって、その場所を移動させると、意識やその意識が知覚するリアリティが変わるという考え方を示しています。
このような考え方は、他では聞いたことがありません。
カスタネダにおいては、「集合点」を様々な場所に移動して、様々な意識、全体意識を獲得することが目標とされます。

アルベルト・ヴィロルドは、「輝くエネルギー・フィールド(LEF)」と表現し、ヒーリングの実践においてそれを操作することを重視します。
彼は、タントリズムのチャクラの考え方と、カスタネダの「集合点」の考え方を彼なりに結びつけます。

ヴィロルドは、エネルギー・フィールドを4層あるとし、各層で治療を行います。
基本的な方法は、自分の「輝くエネルギー・フィールド」で患者を包み、頭上の第8チャクラに観想した光を導いたり、チャクラを反時計周りに回転させることで、エネルギーの質を変えるのです。

通常、第8チャクラの位置にあるとする「集合点」を、観想によっていくつかのチャクラに位置に移動させることで意識の拡大や調和を促します。


カヒリ・キングの場合は、患部と身体のエネルギー・スポットを、左右の手でつなぐことで治療をします。


<心の解放の技法>

個々人の信念体系が、その人の日常的世界を作っているというのは、「求道者型」、「幻影主義型」のネオ・シャーマニストがほぼ共有する見解です。
そのため、彼らは、その信念を自覚して、変更することを求めます。

ミゲル・ルイスは、過去の体験を思い出しながら、間違った信念を自覚し、その体験を肯定的な世界観によって受け止め直します。
そして、肯定的な感情によって過去の感情を浄化することで、コンプレックス、トラウマ的な緊張のエネルギーを解放します。

ルイスはこれを「棚卸し」と呼びます。
カスタネダが「総括」と読んでいたのも、ほぼ同様の作業だと思いますが、ルイスはカスタネダよりしっかり体系化された方法として説明します。


ルイスもカスタネダも、この時に呼吸法を利用します。
カスタネダは良いエネルギーと悪いエネルギーを分離することを重視するようなイメージですが、ルイスは愛を吹き込みます。

カヒリ・キングは、過去の体験の解釈だけでなく、体験した事実内容そのものを、肯定的な方向で書き換えます。
体験の記憶は夢と同様のものだからです。

ルイスは、現在の体験に関しても、常に気づいていることで、否定的な信念による反応をやめて、肯定的なものに変容させます。
彼は、これを「忍び寄り」と呼びますが、これも、カスタネダの使う意味を限定しています。


ルイスやキングは、特別に方法化されたものというわけではなくても、肯定的な姿勢、つまり、肯定的な信念体系と感情を重視します。
それは、あるがままな自分を肯定する「愛」であり、否定や敵対のない「調和」です。

それらが実現されているものに対しては、「祝福」を行い、何か間違ったことがあった場合も、自他を「許し」ます。
常に、そう念じ、そういう感情を起こすようにします。

*もう少し具体的な実践方法、技法については、個別のページを参照してください。

マイケル・ハーナーのコア・シャーマニズム
カルロス・カスタネダとドン・ファン・シリーズ
カスタネダのドン・ファン・シリーズの思想
ドン・ミゲル・ルイスのトルテック(メキシコ)
アルベルト・ヴィロルドのワン・スピリット・メディスン(南米)
サージ・カヒリ・キングのフナ(ハワイ)

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