無上ヨガ・タントラの究竟次第 [中世インド]
一方、不二タントラとされる「カーラチャクラ・タントラ」は「性のヨガ」が優位のため、母タントラ的です。
<父タントラ系の死のヨガ>
これは、「死」の瞬間に起こる体験をシミュレートするもので、「光明」のヴィジョンに「空」の認識を加えることで、三身を獲得します。
チベットではこれを「トンラ」と呼びます。
ナーディとチャクラは経典や流派によってその数が異なり、3脈4輪~6脈6輪です。
心滴は、頭頂のチャクラの中には「白い心滴」、ヘソのチャクラには「赤い心滴」、胸のチャクラには「不滅の心滴」があります。
これを「風のヨガ」と呼びます。
この死の瞬間に、意識、末那識、アーラヤ識が解体される時とその後に現れるヴィジョンである「四空」を体験します。
これを「聚執(塊取、ピンダグラーハ)」と呼びます。
2 極空 :顕明増輝:頭頂の白い心滴が下降
3 大空 :顕明近得:赤白の心滴が胸の心滴に接触
4 一切空:光明 :赤白の心滴が胸の心滴に融解
これは、人が死後に「中有」の時に、幽霊の状態でいる体です。
しかし、空の認識を得た後に、これを創造すると、浄化された「報身」を獲得することができます。
死後に希望すれば、变化身を現すことができるとします。
これは、「智恵」と「方便」の一体、「等引智」と「後得智」の獲得に相当します。
<母タントラ系の性のヨガ>
これは、「性行為」と「受胎」の時に起こる体験をシミュレートするもので、「歓喜」の体験に「空」の認識を加えることで、三身を獲得します。
・ビンドゥ・ヨガ、チャンダリーの火
ですが、そこから「不滅の心滴」にプラーナを収束されるのではなく、赤白の心滴に集中し、プラーナを集めることで、融解させ、その融解液を中央管の中を通って上昇、下降させます。
これを「ビンドゥ・ヨガ」、「チャンダリーの火(火のヨガ)」と呼びます。
ヘソのチャクラに中にある「赤い心滴」を発火(融解)させたものを、「チャンダリーの火」、「智恵の火」、「菩提心」、「経血」と呼びます。
これは、チャクラに集中し、プラーナを導き入れたり、心滴の融解液を生むための準備となります。
「種字」は、意識とプラーナの集中によって、「心滴」と同様、あるいは、それを先導して発火したり、融解したり、一体になったりします。
次に、中央管内のチャクラに種字を観想して意識を集中し、肛門、尿道からもプラーナを吸い込みつつ、左右管からプラーナを中央管に入れ、ヘソのチャクラの場所に「瓶」があるとイメージし、そこにプラーナを留めます。
最後に、中央管をプラーナがゆっくり上昇すると想像して、プラーナを外に輩出します。
これを「瓶ヨガ」と呼びます。
これを「下から堅固になる四歓喜」、「逆観」などと呼びます。
これを「上から降りる四歓喜」「循観」などと呼びます。
融解液は、最後に、妃がいるヘソのチャクラに留めることが多いのですが、これは、子宮での受胎の象徴でもあるのでしょう。
これによって三身を獲得します。
また、ターラ尊を本尊とする母タントラなどでは、胸に観想し虹色のターラ尊から虹光が流出して、中央管、身体全体、世界全体に広がる観想を行うとなどして、「虹身光身」と呼ばれる特別な身体を獲得します。
これら「空色身」、「虹身光身」は、法身でも報身でもなく、「微細身」も「極微身」も尽きた時に現れる身体です。
・一切如来の「火」「甘露」との一体化
「火」の体外排出に関しては、実際に行うのでしょう。
まず、5感覚器官(目、耳、舌、鼻、性器)に観想した「心滴」と共にプラーナを胸の心滴に流入させます。
その後、観想した金剛杵(法源の中にある)と共にプラーナを逆流させ、胸の「心滴」から感覚器官へと送ります。
感覚に「空」=「楽」を一体化することで、感覚を浄化すると共に、活性化させることができます。
無上ヨガ・タントラの生起次第 [中世インド]
この項では、二次第の修行に入る前に必要な灌頂の体系と「生起次第」について説明します。
<灌頂>
密教は秘密の教えなので、灌頂や密教の戒律を受けなければ、修行することも、教義を教えてもらうこともできませんし、本来は、合体尊などの秘密仏を見ることもできませんでした。
これは修行の階層と考えることができます。
その内容は下記の通りです。
2 秘密灌頂 :阿闍梨がヨーギニーと性ヨガを行い、菩提心を入門者の口に入れる
3 般若智灌頂:入門者がヨーギニーと性ヨガを行い、大楽を得る
4 第四灌頂 :師が言葉によって「究竟次第」の修行の意味や目的、真理を説く
ただし、1の前に、名前や法具などを授与される従来の灌頂を複数段階に分けて置く流派もあります。
「不二タントラ」に属する「カーラチャクラ・タントラ」も同様ですが、1をヨーギニーの胸(=乳の入った瓶)に触れることとします。
「秘密灌頂」では、「究竟次第」の本格的な修行が許可されます。
「智慧灌頂」では、「究竟次第」で「空」の認識を獲得する「光明」の修行などが許可されます。
「第四灌頂」では、「究竟次第」の最終段階の修行が許可されます。
<生起次第>
密教では、仏として修行や六波羅蜜を行うことで、早く修行を進め、福徳を積むことができると考えます。
そのため、観想は、イメージのない「虚空(光明)」から現わし、最後は「虚空(光明)」に溶け入れます。
胸の「光明」への融解の観想法は「随滅(アヌベーダ)」と呼びます。
この「虚空」の時、一切のイメージや概念をなしにした無念無想の状態でいます。
また、観想をしている時も、それが「空」であることを認識している必要があります。
大乗の後得智と同じです。
この状態を「深明不二」と呼びます。
例えば、「月輪」→「日輪」→「種字(仏を象徴する梵字)」→「三昧耶(金剛杵などの象徴)」→(拡大・収束)→「仏身」です。
「鬘」は梵字やマントラの文字が列につながった(輪になった)ものです。
このプロセスは「真実摂経」に説かれた仏になるプロセスである「五相成身観」と関係付けられ、その後、人間の胎児が成長するプロセスとも重ね合わせされました。
この意識的に形成したイメージは「三昧耶薩埵(サンマヤ・サットヴァ)」と呼びます。
真実の仏の象徴という意味ですが、あくまでも象徴なので、この後、象徴を越える必要があります。
これは、意識せずに現れるイメージであり、自然に動き、意識的に描いた姿とは異なることもあります。
深層意識から現れる、創造的想像力による内的、原型的イメージです。
そして、「三昧耶薩埵」と「智恵薩埵」を一体化させます。
「三摩地薩埵」についてはよく分からないのですが、音や光に近い、直感的な存在でしょう。
そして、最終的に自身を「三摩地薩埵」に一体化します。
この観想法を「三重薩埵」と呼びます。
これは、教義上は「智恵」と「方便」の一体性と表現されますが、妃には「智恵」以外にも「エネルギー(ヒンドゥー・タントラの「シャクティ」に対応)」という側面も秘めています。
母タントラの場合、「父母仏」の回りにダーキニーなどの女尊が取り囲みますが、これらの女尊も「エネルギー」を象徴します。
ですから、自身を本尊として観想する場合、仏母も観想します。
まず、マンダラの構造物(楼閣など)を観想した後、数々の尊格を生み出します。
具体的には、例えば、「心滴」が頭頂から自分の中に入り、男根を経て妃の子宮に移動し、そこで個々の尊格になります。
それを男根で吸い上げて自身の中に入れ戻して、胸から外に出し、マンダラの所定の位置につけます。
これは、仏として輪廻を体験するものです。
本行の前の準備として本尊を現わした後、一旦、尊格を光明に融解して法身になるのが「死」の浄化です。
次に、「五現等覚」で報身としての尊格を現すのが「中有」の浄化です。
最後に、本尊の性ヨガを通して自身を変化身として現わし、身体に付置された諸尊を観想するのが「受胎」の浄化です。
「他利円満」は、仏が他者を救済する観想です。
「自利円満」で現した本尊を「因」の本尊、「他利円満」で現した本尊を「果」の本尊と表現して区別することもあります。
本尊の出現、諸尊の出生が行われ、諸尊が世間に出て利他行を行います。
鼻先や男根の先などに、心滴や三昧耶、仏身やマンダラを観想するのが「微細ヨガ」、それを拡大して空間に遍満させ、再度一点に戻すのが「広観・斂観」です。
これは言葉による利他の象徴として位置付けられています。
無上ヨガ・タントラの思想と潮流 [中世インド]
「方便・父(ウパーヤ・ヨーギン)タントラ」と、「般若・母(パンニャー・ヨーギン)タントラ」、「不ニタントラ」の3つに分けられます。
そのため、「身語心」の三密が、「貧瞋痴」の三大煩悩と、さらには如来、部族と対応づけられました。
そして、僧院外の修行者や、霊験を持った「シッダ(成就者)」と呼ばれる存在が重視されるようになりました。
「反出家主義」は、大乗仏教の本来の理念ですから、そこに回帰したのだとも言えます。
別項で紹介したような霊的生理学に基づき、「仏の三身(四身)」の獲得という形での成仏を目指します。
これを「三身(四身)修道」と呼ばれることもあります。
「仏の三身(四身)」の獲得は、輪廻のサイクルの、「死(死の瞬間)」、「死後(中有)」、「生」、それに加えて「受胎」の3つ(4つ)の時点の意識を、智恵にして浄化することで、「法身」、「報身」、「変化身」、「倶生身(清浄身)」という仏の三身(四身)を獲得する行法です。
行法は、自分が仏として曼荼羅の諸尊を生み出す観想によって「空」を認識する「生起次第」と、プラーナをコントロールしたヨガで「空」を認識する「究竟次第」の2種類があります。
「仏の三身(四身)」の獲得は、初めに「生起次第」で、仏として輪廻する観想によって浄化を先取りし、その後、「究竟次第」で、プラーナをコントロールによる各状態のシミュレートによって実際に「仏の三身(四身)」を獲得します。
父タントラ系の「究竟次第」では、「中有」につながる「死」をシミュレートするヨガによって「光明(プラバースヴァラ)」を体験する中で「空」を悟ります。
母タントラ系の「究竟次第」では、「受胎」につながる「性」をシミュレートするヨガによって、「大楽(マハースカ)」を体験する中で「空」を悟ります。
「無上ヨガ・タントラ」は、「空」=「光明」=「大楽」とするのが、特徴です。「ヨガ・タントラ」では、一番根源的な仏は、五仏を統括する「大日如来(ヴァイローチャナ)」でしたが、「無上ヨガ・タントラ」では、「阿閦如来」が中央に来たり、五仏を生み出すより本源的な仏としての「本初仏(アーディブッダ)」という概念が生まれました。
「本初仏」は、具体的には、大乗の理想の菩薩の普賢菩薩と、密教の調伏の力を持った金剛手が合体した「金剛薩埵(ヴァジュラサットヴァ)」や、その発展形の「持金剛(ヴァジュラダラ)」、「法身普賢(サマンタバドラ)」などです。
マンダラの諸尊も、多くは父母仏の姿で描かれます。
女性尊格は「明妃(ヴィディヤー・ラージュニー)」と呼ばれ、仏の妃の場合は「仏母」です。
仏母が静的原理の「智恵」、仏が動的原理の「方便」です。
「無上ヨガ・タントラ」、特に「母タントラ」では、「ダーキニー(空行母、荼吉尼天)」などの「明妃」が「シャクティ」に対応する動的な女性原理です。
忿怒形の本尊は、金剛薩埵などがヒンドゥーの尊格を調伏するために忿怒尊に变化した「明王」が発展した尊格です。
踊る姿、多面多臂、父母仏の姿が特徴です。
「母タントラ」の忿怒の本尊「ヘールカ」は、降三世明王(シヴァを調伏)の後身で、ヒンドゥー教の女神(シヴァの妃など)や、忿怒尊(ヴァイラヴァと妃カーララートリなど)を調伏します。
後者はヒンドゥー・タントラのシャークタ派に対抗する必要から生まれた尊格です。
初期の三尊形式の段階から、金剛手の金剛部は、調伏という働きを持っていました。
ですが、ヒンドゥー教では、ドゥルガーやカーリーのように、女神には調伏的な側面があり、ヒンドゥー・タントラでは生命力である「シャクティ」を重視します。
母タントラでは、この影響を受けて、「シャクティ」に対応する動的な女性原理を、「明妃」、「ダーキニー」などと表現します。
<方便・父タントラ>
また、「究竟次第」では、「死のヨガ(聚執=ピンダグラーハ)」によって、「中有」につながる「死」をシミュレートし、すべてのプラーナを心臓の心滴に収束させ、空性を「光明」として体験(法身の獲得)します。
さらには、プラーナを流出させて「報身」を生み出します。本尊はシヴァ神を調伏するヤマーンタカです。
また、「貪欲行」としては、定期的に集団で性ヨガを行う、饗宴的な「ガナチャクラ(聚輪)」が重視されます。
マンダラは、本尊の回りにダーキニーら女尊を8人もしくは4人を配置する「大楽倫」があるのが特徴です。
そして、左右管に子音・母音を配置して12宮と対応させたり、呼吸に合わせて1日でプラーナが身体を循環すると考えるなど、時間を体系に組み入れました。
最初の母タントラの主要経典である「サマーヨガ・タントラ」は、「理趣広経」の影響を受けて、8C中頃に、スワット渓谷で生まれた経典です。
「最高の楽」という意味の「サンヴァラ」という概念を重視します。
また、「真実摂経」の5部に「金剛薩埵部」が追加され6部となり、6部が平等に扱われます。
ヴァイローチャナと金剛薩埵以外は、金剛部の「ヘールカ」他、いずれも新しい尊格です。
マンダラでは、主尊の回りに8尊の女神が配置され、「大楽輪」が始まります。
これは、ヒンドゥー・タントラのマートリカー(母神)信仰の影響でしょう。
これは金剛薩埵とその妃の象徴であり、両者の生殖によって森羅万象を生み出すと観想します。
さらに、ヘソの月輪を観想し、その中心の微細な穴から文字鬘が光ながら上昇、下降する、ビンドゥ・ヨガが説かれ、後の究竟次第につながります。
次の主要なタントラである「ヘーヴァジュラ(呼金剛)・タントラ」は、雑多な要素が混在する未整理な経典です。
この経典には、死肉や糞尿を食することを重視したり、慈悲をもって悪行を行うことを勧めたり、息災(請雨)・増益(敬愛)・調伏(呪殺)などの呪術に関する記述も多数見られます。
曼荼羅は、「サマーヨガ・タントラ」のヘールカ族タントラを継承し、主尊を8人のダーキニーが囲む大楽輪があります。
一方、「秘密集会タントラ」の5部を継承し、中央と四方の5ダーキニーは5仏に対応し、4隅の4ダーキニーは4大(仏母)に対応します。
これら聖地には、尸林があり、シヴァの聖地とも重なっています。
ここには、護方神、土地神、ナーガ、死体、夜叉、羅刹、餓鬼、ダーキニー、ダーカなどがいます。
また、各歓喜は、四つの灌頂に対応します。
2 最勝歓喜:胸 :法輪 :輪廻:秘密灌頂:極空 :顕明増輝
3 離喜歓喜:喉 :受用輪 :涅槃:般若灌頂:空 :顕明
4 倶生歓喜:頭頂:大楽輪:止揚:第四灌頂:一切空:光明
「へーヴァジュラ・タントラ」での対応は、順番を合致させていません。
<不二タントラ>
「カーラチャクラ・タントラ」は、六仏に対応した6部(金剛薩埵部を追加)での体系化を行いました。
また、仏の四身(従来の三身に倶生身を付加)、四ライフサイクル(誕生、生、死、中有)、四意識(覚醒、夢、熟睡、性的絶頂)を対応させた、四周期理論を体系化しました。
また、身体曼荼羅では、12ヶ月を12護法神に、28日を28女神に対応させ、占星学と統合しました。
瞑想法に関しては、父タントラの「死よヨガ」と母タントラの「性のヨガ」の両方を使い、心滴の融解液を中央管の中に満たすことで、4つの心滴から「仏の四身」と、「空色身(虹身)」を得ます。
「カーラチャクラ・タントラ」は、最後のインド仏教の経典であり、その原型は、イラン系の人間によって、中央アジアで作られたと推測される経典です。
こうして、全インド仏教を統合すると共に、終末論、占星学などの西方の思想も統合し、インドにおける神智学の一大統合をなしとげました。
金剛乗と金剛頂経 [中世インド]
狭義では、その最初の経典である「真実摂経」を指し、「初会の金剛頂経」とも表現します。
この経典は、7C後半、南インドで生まれました。
しかし、広義の「金剛頂経」には、第4段階に当たる経典もあります。
この経典は生得的な快楽を肯定する母タントラにつながる経典です。
また、「九会」は、「母タントラ」に属する「サマーヨガ・タントラ」の原初的経典です。
そして、「十五会」は、「父タントラ」に属する「秘密集会タントラ」です。
<金剛乗、ヨガ・タントラ>
もちろん、「金剛乗」の方が優れているとします。
「壊すことができない悟りの智恵」を、「金剛杵」で象徴するものです。
「金剛乗」は、「ヨガ・タントラ」クラスの密教だけではなく、「無上ヨガ・タントラ」クラスの密教をも指します。
「金剛杵」を仏の悟りの象徴とし、その観想を重視します。
また、欲望を否定せずに修行法(貧欲行)に転化したり、仏教以外の神などの「降伏」も特徴とします。
尊格を体系的に整理したパンテオンでもあり、宇宙論です。
密教的には、煩悩のない真実の清浄な世界です。
もちろん、「マンダラ」は絵に書かれた平面的存在ではなく、立体的存在です。
絵に書かれた「マンダラ」は、基本的に中央の主尊から見える光景を平面に倒して描いたものです。
そして、無念無相の「空」の認識と同時に行う「深明不二」が目指されるのは「行タントラ」を継承しています。
・口密(法印) :マントラ
・意密(三昧耶印):仏身の観想
ですが、「大印」は、性ヨガの相手となる女性を暗示することもあります。
また、手印を「大印」と呼び、「行為(の観想)」を「羯磨印」と呼び、四印(四密)で考えることもあります。
<真実摂経>
この主尊は、本来、姿を越えた存在(法身)です。
太陽を神格化した存在なので、イラン系宗教の主神の「ミトラ」や「アフラ・マズダ」の影響があるかもしれません。
さらに、忿怒形の「降三世明王」にも化身し、シヴァ神らを調伏します。
「月輪のようなもの」→「月輪」→「金剛杵」→灌頂を受け「金剛杵を堅固に」→加持を受け「如来の姿」に、とマントラを唱えながら順次観想をして、自身をヴァイローチャナと一体化します。
悟りの内容が、四諦や十二縁起、四法印、空などではなく、「マンダラ」であるという点でも革命的です。
・金剛部:東 :青:阿閦如来 :大円鏡智:触地印 :金剛杵
・宝部 :南 :黄:宝生如来 :平等性智:与願印 :宝珠
・蓮華部:西 :赤:阿弥陀如来 :妙観察智:禅定印 :蓮華
・羯磨部:北 :緑:不空成就如来:成所作智:施無畏印:羯磨金剛
5つの内4つの智恵は、唯識思想から取り入れたもので、「阿頼耶識」、「末那識」「意識」「前五識」が転依(浄化)したものです。
8供養菩薩は、大日如来と4如来が互いに供養する象徴で、供養天女の姿で描かれます。
4摂菩薩は、四方の門の門衛であると共に、人々を招き入れて智恵に導く存在です。
・法マンダラ :禅定する尊格の心臓に金剛など象徴を描く
・羯磨マンダラ :菩薩を供養天女の姿で描く
・四印マンダラ :簡略形
・一印マンダラ :簡略形
日本でよく知られる九会の金剛界マンダラは、これらを組み合わせを元に作られたものです。
密教(タントラ仏教)の発展段階 [中世インド]
それまでの大乗仏教との違いを、一言で表すと、自分自身を本尊であると観想する修行(成就法、本尊ヨガ、我生起)を行うのが密教です。
密教自身の呼称では、「金剛乗(ヴァジュラ・ヤーナ)」か「真言乗(マントラ・ヤーナ)」です。
また、仏教学の用語としては、「タントラ仏教」があります。
しかし、密教自身の呼称では、密教以前の大乗仏教を、「波羅蜜乗」と呼びます。
2 行(チャリヤー)タントラ :勤行重視
3 ヨガ・タントラ :五部の体系化
4 大ヨガ(マハー・ヨガ)タントラ:男性尊・死のヨガを重視
5 母(ヨーギニー)タントラ :女性尊・性のヨガを重視
しかし、4の「無上ヨガ・タントラ」では、「真言乗」という表現を否定する場合もあります。
「金剛乗」は、本来、「金剛頂経」系の密教を表しますので、主に3のクラス以降の密教を指します。
「左道密」と呼んできました。
しかし、現代の仏教学では、1、2を「初期密教」、3を「中期密教」、4、5を「後期密教」と呼びます。
これは、4、5の両方を「無上ヨガ(アヌッタラ・ヨガ)タントラ」とし、さらにそれを3分類にします。
4B 般若・母(プラジュニャー・ヨーギニー)タントラ
5 双入不二タントラ
5 方便・父(ウパーヤ・ヨーギン)タントラ
<プトゥンの分類>
しかし、瞑想に関しても、「前方生起(自分の前に仏を観想して浄化する)」だけではなく、「我生起(自分を仏として観想する)」などの内面的な瞑想がないわけではありません。
釈迦から教えられた秘密の教えを執金剛が説くのが一般的で、マンダラは、その前形態としての三尊形式があります。
祈祷や儀式を内面的に解釈し、悟りを目指すための日々の勤行が重視されるようになります。
瞑想法は、身(印・座法)・口(マントラ)・意(観想)の「三密」として体系化が進みます。
また、「有相ヨガ」と「無相ヨガ」を対比して整理し、本尊の観想と、イメージのない「空」とが、一体となる「深明不二」を目指します。
「金剛杵」を仏の悟りの象徴とし、その観想を重視し、「金剛乗」を名乗りました。
また、欲望を否定せずに修行法(貧欲行)に転化したり、仏教以外の神などの「降伏(調伏)」も特徴とします。
主尊は法身大日如来(マハー・ヴァイローチャナ)です。
五仏・五智など、様々なものを五部(五族)の体系として整理し、悟りの内容がマンダラとして表現されました。
また、マントラをマンダラの諸尊の忿怒形、ダラニを諸尊の三昧耶形に対応させて、体系化しました。
瞑想法としては、マンダラを身体の部位に観想する「微細ヨガ」や、マンダラを広げたり収縮させる「広観・斂観」を行います。
シッダと呼ばれる僧院外の修行者が重視され、反出家主義、反戒律的傾向が強まります。
無上ヨガ・タントラは、煩悩や欲望を否定せず利用し、また、生得的な欲望を肯定します。
忿怒尊が重視され、異教の神の調伏を行いますが、煩悩の破壊をも意味します。
それは、煩悩や欲望の単なる否定ではなく、浄化、変容、活性化です。
ここに、タントラ・密教が、「活性化の道」、「変容の道」と呼ばれるゆえんがあります。
行法としては、尊格とマンダラの生滅を観想してそれに一体化する「生起次第」と、生理学的ヨガ(プラーナをコントロールするヨガ)である「究竟次第」の2系列があります。
本尊は忿怒の「父母仏(=合体尊、歓喜尊)」が中心となります。
「死の浄化」をテーマにしていて、ヒンドゥー教の冥界王ヤマを調伏する「ヤマーンタカ」を重視します。
死を浄化する「死のヨガ(ピンダグラーハ)」によって「光明」を体験して「空」を理解します。
母タントラは、「性・生命力の浄化」をテーマにしていて、ヒンドゥー教の生命力を象徴する女神を調伏する「ヘールカ」が本尊で、女性忿怒尊も重視します。
受胎を浄化する「性のヨガ(ビンドゥヨガ)」によって「大楽」を体験して「空」を理解します。
全インド仏教を統合すると共に、終末論、占星学などの西方の思想も統合し、インドにおける神智学の一大統合をなしとげました。
<ニンマ派の分類>
そして、独自の観点から、ニンマ派のみが伝承する、より上位なものとして、5「アヌ・ヨガ」、6「アティ・ヨガ」を立てます。
5 アヌ・ヨガ :本質を重視して一挙にイメージする観想、到達する境地はゾクチェンと同じ
6 アティ・ヨガ :観想は行なわず、自然に清浄な現れが生まれるようにする
ただし、「アティ・ヨガ」は、「ゾクチェン」とほぼ同じですが、密教的な方法を使い、段階を追って進む道という点で、純粋な「ゾクチェン」とは区別ができます。
タントラの身体論 [中世インド]
これに類したものは、オリエントやヨ-ロッパの神智学にはありませんが、中国にあり、相互に影響関係があったと推測されます。
また、修行や医療の基礎理論にもなりました。
様々な器官は、そのように存在するというより、そのように観想して操作するためのものです。
つまり、客観的存在というより、主観的・操作的存在です。
後期密教においては、これらは、「生起次第」と「究竟次第」という形で体系化されました。
タントラの霊的生理学の構成要素は、微細で流体的な力である「プラーナ(生命風)」、その流路である管脈の「ナーディ」、中枢的な器官である「ビンドゥ(ティクレ、点、心滴)」、「チャクラ」、プラーナのエネルギーである「クンダリー」と「アムリタ(甘露)」などです。
<プラーナ(ヴァーユ)>
ですが、ひっくるめた総称としても「プラーナ」という言葉が使われることもあり、それ以外では、「ヴァーユ(風)」、「ヴァータ」という言葉も使われます。
・アパーナ:肛門周辺を流れ、排泄に関わる、通常は下向きに流れる
・ヴァーナ:身体全体を流れ、すべての運動やエネルギーに関わる
・サマーナ:へそ周辺で消化に関わる
・ウダーナ:頭部及び手足を流れ、知覚や思考に関わる
一般のナーディを流れるものは「粗大なプラーナ」、中央管を流れるものは「微細なプラーナ」、ビンドゥの中は「極微のプラーナ」とされ、それぞれが意識の微細さに対応します。
<ナーディ>
大小多数のナーディがあり、ナータ派ではその数は7万2千と言われ、へそ下の「カンダ」に発するとします。
主要なものは、ナータ派は10、シュリー・クラ派では14など、いつくかの数え方がありますが、最も主要なものは、中央管、左右管の3本です。
・中央管:スシュムナー:アヴァドゥーティー:ウマ
・左管 :イダー :ララナー :キャンマ
・右管 :ピンガラー :ラサナー :ロマ
また、中央管は4重の構造になっていて、外から「スシュムナー」、「ヴァジュラー」、「チトリニー」、「ブラフマ」と呼ぶ説もあります。
そして、左右の鼻孔、あるいは、眉間や頭頂のチャクラまで至る、とする諸説があります。
右管は中央管に右巻きで巻き付き、左管は左巻きで巻き付き、チャクラの間は、右管は常に右側、左管は常に左側を通ります。
そして、胸にチャクラのみ2回、あるいは、3回巻き付き、他のチャクラは1回巻き付きます。
<チャクラ(パドマ)>
シュリー・クラ派では「パドマ(蓮華)」と呼び、この呼名は仏教でも使います。
一方、後期密教では、チャクラは、脊髄とは垂直に放射状に伸びるナーディとされ、頭頂と胸のチャクラの脈管は傘の軸が下向いているように、喉と臍のチャクラは上向きになっています。
左右管が中央管を締め付けているため、それをゆるめると、チャクラから中央管の中にプラーナを流入させることができるとします。
それに対して、ヒンドゥー教では、一般に7つのチャクラがあるとされますが、決して伝統的に7に決まっていたわけではありません。
ウパニシャッドには、詳しい記述はなく、経典によって数も異なります。
10-11Cの「クブジカー・タントラ」は、7つのチャクラを説きます。
ですが古くから、多数のチャクラが数えられ、主要なチャクラに関しても、7つとは限りません。
その開祖的人物であるマツェーンドラは、主要なチャクラを8つとします。
最初のハタ・ヨガ経典であるナータ派の「ゴーラクシャ・シャタカ」でのチャクラとその対応は下記の通りです。
・頭頂:マハー・パドマ :虚空 :ハ :破壊のシヴァ
・眉間:名称無表記 :風 :ヤ :イーシュヴァラ
・口蓋:ランピカー :火 :ラ :ルドラ
・喉 :ヴィシュダ :水 :ヴァ
・心臓:アナーハタ :土 :ラ
・臍下:マニプーラ
・性器:スワディスターナ
・基底:アーダーラ
そのチャクラの数が7つで、細かく見ると9つです。
神智学のバックボーンには、オリエントの神智学の影響があります。
・頭頂:サハスラーラ :1000弁
・眉間:アージュニャー : 2弁 :OM
・喉 :ヴィシュダ :16弁 :HAM
・心臓:アナーハタ :12弁 :YAM
・臍下:マニプーラカ :10弁 :RAMEN
・性器:スワディシュターナ: 6弁 :VAM
・会陰:ムーラダーラ : 4弁 :LAM・KLIM
・頭上:ビンドゥ(ドワーダシャーンタ):コールハタ
・頭頂:ナーダ :アムリタ(ランピカー)
・額 :シャクティ(トリヴェーニー) :トリヴェーニー
ちなみに、ナータ派では、「コールハタ・チャクラ」です。
頭上というのは、クンダリーを上昇させて頭頂で止めずに抜け出させた時、ここに至るとするのです。
ここには、「チャンドラ(月)」もあり、つまり、「アムリタ(甘露)」の源です。
ナータ派では「アムリタ・チャクラ」、「ランピカー」と表現し、細かくは、さらにこの下に「チャンドラ・チャクラ」があるとします。
また、このチャクラは、「ソーマ・チャクラ」、「チャンドラ・チャクラ」、「マナス・チャクラ」、「カーラ・チャクラ」、「ララナー・チャクラ」など多数の異名を持ちます。
ナータ派は「トリヴェーニー・チャクラ」と呼びます。
ここにも、シヴァ神がいるとされます。
ここは、二元性を克服するチャクラとも言われ、また、ここにアートマンがあるとされます。
ここには生命力(アムリタ)を消費する「スーリア(太陽)」があります。
「カンダ」は「球」であり、クンダリーを運ぶハンサ鳥の卵、ヴァーユの源です。
そして、「ヨーニ」は三角で表される子宮です。
頭(眉間)部は「大楽輪」、喉部は報身の「受用輪」、心臓部は法身の「法輪」、臍下部は変化身の「变化輪」です。
・頭部 :大楽輪 :32弁:下向き :HAM :風
・喉 :受用輪 :16弁:上向き :OM :火
・心臓 :法輪 : 4弁:下向き :HUM :水
・臍下 :变化輪 :64弁:上向き :AM :地
・会陰 :守楽輪 :32弁:下向き
<グランディ、リンガ/シャクティ>
上から、眉間部の「ルドラ」、心臓部の「ヴィシュヌ」、会陰部の「ブラフマ」の「グランティ」です。
これは、クンダリーが通る上の障害となっているため、それをゆるめておく必要があります。
・アージュニャー:ルドラ :トゥリーヤ :パラー・クンダリニー
・アナハタ :ヴィシュヌ:パーナ :チット・クンダリニー
・ムーラダーラ :ブラフマ :スワヤンブー:プラーナ・クンダリニー
<クンダリー(クンダリニー、チャンダリー)>
「軍茶利明王」は女神で、甘露と関係しています。
ヒンドゥー教における初出は、10-11Cの「タントラ・アーローカ」です。
「クンダリー」の原義は不明ですが、おそらく、火の性質を持った生命力・創造力のシャクティで、女神でもあり「クンダリニー」とも表現されます。
これを覚醒させて、頭頂、あるいは頭上まで上昇させることが目指されます。
そして、「クンダリニー」が頭頂のサハスラーラ・チャクラに登ることを、「シャクティ」と「シヴァ」の合一と考えます。
これは、神話的には、宇宙創造時への回帰でもあります。
また、鳥(ハンサ鳥)に乗って飛翔する姿でもイメージされます。
<ビンドゥ(ティクレ)、チャンドラ/スーリア>
「ビンドゥ」は秘音「ナーダ」の根源で、それが消え入るところとされることもあります。
・白いティクレ(化作の心滴):頭頂のチャクラにあり、父親に由来する
・赤いティクレ(秘密の心滴):臍下のチャクラにあり、母親に由来する
また、観想においては、鼻先や男根に、「ビンドゥ」を観想することもあります。
<アムリタ、菩提心>
ヒンドゥー・タントラや医学では、根源的な生命力としては「オージャス」という言葉も使われます。
つまり、人間の生命力は、アムリタとして現れ、それが「スーリア」による消化や、性器による性行為によって消費されることで、老化し、死ぬのです。
また、性ヨガ(ヴァジローリー・ムドラー)によって「ビンドゥ」と「ラジャス」を混合し、身体を浄化・滋養します。
これらの行は、錬金術的な哲学とも対応しています。
そして、両者を混ぜたり、それによって全身を滋養したりします。
また、すべての風を「不滅のティクレ」に流入させることもあります。
特に、臍下のチャクラの「チャンダリー」を明妃「ヴァジュラ・ヴァーラーヒ(ダキニ)」としました。
<輪廻の霊的生理学>
同時に、不滅の心滴は開かれ、極微の意識とプラーナが外に出ていき、中有の霊的な身体が誕生する
また、「不滅の心滴」から一部が頭頂と臍下のチャクラへと分かれて行き、「白い心滴」、「赤い心滴」になり、それぞれが全身を滋養する
タントラ(ヴァジュラヤーナ、密教)の思想 [中世インド]
タントラは、インド及び周辺地域に台頭した中世の宗教運動を特徴づけるものです。
5Cのグプタ朝後期頃に生まれ、9-12C頃が最盛期でした。
タントラは、非アーリア人(インド原住民)の宗教を、仏教、ヒンドゥー教、ジャイナ教が吸収した超宗派の宗教潮流で、神秘主義的傾向が強い思想です。
また、西方の神智学の影響を受け、それを発展させた部分もあります。
「タントラ」という語はサンスクリット語で「横糸」を意味し、そこから「知識(意識)を広げる」という意味も持ち、(特定の種類の)教義、経典を指すようになります。
欧米の学問では「タントリズム」、仏教のそれは、「タントラ仏教(タントリック・ブッディズム)」という言葉を使います。
本ブログでは、思想を指す場合は、主に「タントリズム」を使用します。
ヒンドゥー教では、「ヴァデディカ(ヴェーダ派)」に対して「タントリカ(タントラ派)」という言葉が使われます。
仏教自身の表現では、「波羅蜜多乗(パーラミターヤーナ)」に対する「金剛乗(ヴァジュラヤーナ)」、あるいは「真言乗(マントラ・ヤーナ)」になります。
漢字文化圏では、「顕教」に対する「密教」ですが、狭義で「密教」と言えば、「タントラ仏教」を指します。
「タントラ」は、特定の経典に関する呼称ですが、一般に、「スートラ(縦糸)」に対する「タントラ(横糸)」として対比することが多いのです。
タントリズムの多くの経典は「タントラ」と名付けられていますが、すべてがそうではありません。
ヒンドゥー教シヴァ派では、実践的経典を「アーガマ」、理論的経典を「ニガマ」、ヴィシュヌ派では「サンヒター」と呼ぶこともあります。
<バックボーン>
タントリズムのバックボーンは、非アーリア人、カーストで言えば、第4カーストのシュードラやアウトカーストの文化です。
これには、大きく分けると、男性神・男性原理を重視する潮流と、女神・女性原理を重視する潮流の2種類があります。
前者は、太陽神・嵐神などを信仰する新石器・農業文化の豊穣・聖婚信仰で、シヴァ教やヴィシュヌ教、父タントラに影響を与えたと思われます。
後者は、太母・地母神などを信仰する旧石器・狩猟文化以来の豊穣信仰で、シャクティ教や母タントラに影響を与えたと思われます。
ヒンドゥー教に入らない土着の女神宗教の「マリアイ」は、こちらでしょうか。
グプタ朝滅亡後、7、8Cには、女神信仰が興隆しました。
ヒンドゥー教では、各地の女神が、大女神のデーヴィー、あるいは、ドゥルーガーやカーリーと同一の神であるとして、あるいは、シヴァの前身のルドラの妃サティの生まれ変わりとして、シヴァの妃として、ヒンドゥー教に取り込まれました。
南インドの各地の女神がシヴァと婚姻したという考えによって、南インドの宗教はヒンドゥー教と習合しました。
インドでは、時代が進むに従って、後者の女神を重視する潮流が重要となります。
タントラは、その核心部において、「屍林の宗教」と呼ばれる、死体置き場の性的儀礼を含む女神信仰の影響を受けていると考えられます。
インドの葬送形態は風葬のための、都市周辺に遺体置き場の森(屍林)がありました。
そこには、先住民独自の女神信仰があり、その女司祭と、そこで修行を行うヨガ行者がいました。
女司祭は、オリエントの神殿聖娼のような、女神に仕えて、性的儀礼を行う司祭、信者だったのでしょう。
ヨガ行者は、灰を体に塗り、プラーナのコントロールを行うような、古くからのヨガの伝統を受け継ぐ行者だったのでしょう。
祭りにおいては、ディオニュソス的な狂宴が行われました。
タントリズムは、そんな「屍林の宗教」を強く受けて生まれました。
11~12Cになると、「ヨーギニー」と呼ばれる魔女的な、性ヨガも行う女性修行者が興隆します。
農耕文化をバックボーンに持つ忿怒の女神から、非農耕的で、より秘教的・実践的な女性神格に変化したのでしょう。
<展開と宗派>
タントリズムが台頭してきたのは、グプタ朝後期5・6C頃で、北東部のベンガルやアッサム、北西部のカシミールを中心に興りました。
はっきりしたことは分かりませんが、最初に仏教が、少し遅れてヒンドゥー教が、その後、ジャイナ教がタントリズムを取り入れたようです。
ヒンドゥー教は、上位3カーストしか救済の対象にしません。
しかし、タントリズムは、非アーリア人や第4カーストの宗教を取り入れたものなので、反ヴェーダ、反バラモン的傾向を持つ場合もあります。
もともとカーストを認めず、グプタ朝下ではヒンドゥー教に押されていた仏教の方が、積極的にタントリズムを生み出す要因があったと予測できます。
ただし、ヒンドゥー教も様々で、シヴァ教には、初期からタントラ的要素あったようです。
ヒンドゥー教系のタントリズムは、主神の違いから3つに分けられます。
・シヴァ教(シャイヴァ) :聖典シヴァ派、カシミール・シヴァ派、ナータ派 など
・ヴィシュヌ教(ヴァイシュナヴァ):パンチャラートラ・ヴィシュヌ派 など
・シャクティ教(シャークタ) :シュリー・クラ派(シュリー・ヴィドヤー派) など
* これらは、一般にヒンドゥー教の「シヴァ派」、「ヴィシュヌ派」、「シャークタ派」と呼ばれますが、それぞれで主神が違うので、当ブログでは「シヴァ教」、「ヴィシュヌ教」、「シャクティ教」と表現します。
シャクティ教は、シヴァの妃のシャクティ、カーリーやトリプラスンダリーなどの女神、女性原理を信仰する一派です。
それぞれの派の中にも、タントラ色の強い派もあれば、伝統色の強い派もありますが、全体として見れば、シャクティ派>シヴァ派>ヴィシュヌ派 の順にタントラ色が強いようです。
タントラ仏教の場合は、本来の主尊は仏陀なので、ヒンドゥー・タントリズムのように主尊で宗派を分けることはできず、タントラ(経典)の発展段階での分類が重要です。
ですが、女性尊・女性原理(般若)を重視する母タントラ、男性尊・男性原理(方便)を重視する父タントラ(マハー・タントラ)があり、どちらを重視するかによって、宗派の特徴を区別することは可能でしょう。
<思想的特徴>
タントリズムは、多様な潮流があるので、その特徴をまとめることは、困難です。
ですが、列記すると、下記のようなものがあります。
・現世肯定的(欲望を単純に否定しない)
・身体を重視し、神の神殿と考える
・万物照応(階層的世界観と象徴的連鎖)の世界観
・霊的生理学を有し、プラーナをコントロールするヨガを重視する
・波動を主体とした宇宙論を持ち、マントラを重視する
・呪術的(増益、調伏、息災、敬愛)
・グルを重視し崇拝する
・寺院への出家よりも、遊行や在家を好む
・教義の学習よりも瞑想実践を重視する
・象徴を重視し、瞑想においては観相法を重視する
・尊格を自分自身として観相する行法である成就法(サーダナ、本尊ヨガ)を重視する
・プージャ(供養)やホーマ(護摩)の儀礼を重視する
・秘密主義であり、灌頂の儀礼や独特の戒を有する
・占星学や錬金術、魔術を有する
・性的表現や性ヨガを重視する
・死(墓場、死体、骸骨、灰)や精液、血、糞尿などを重視する
・豊富なパンテオンを有する(表現としてのマンダラ、ヤントラ)
・女神信仰や女性的な力を重視する
・本来は低い位階の精霊や悪鬼などとされていた存在が、高位の尊格に昇格することがある
・イコンは、多面多臂、分怒相、合体相(歓喜相)、舞踏相を特徴とする
など
タントリズムの最大の思想的な特徴は、従来のインド思想が「現世否定」的性質が強いのに対して、「現世肯定」的性質が強いことでしょう。
ヒンドゥー教では、従来の思想(ブラフマニズム)の方法が、「ニヴリッティ・マールガ(寂静の道)」と表現されるのに対して、タントリズムは「プラヴリッティ・マールガ(増進の道)」と表現されます。
ヒンドゥー教では、「四住期」という考えがあって、人生の前半の第1、2期では世俗的繁栄を目指す「増進の道」を歩み、後半の第3、4期では精神的至福・解脱を目指す「寂滅の道」を歩むべきとされました。
しかし、人生の時期の違いではなく、目指すものの違い、思想の違いとしても、表現されるようになったのです。
チベットのニンマ派でも、これに対応するような、「放棄の道」に対する「変容の道」という表現があります。
簡単に言えば、心身を止滅させる解脱を目標とする(だけ)ではなく、心身を活性化することも目標とします。
あるいは、解脱の方法論として、心身の活性化を採用します。
例えば、「欲望」を否定せず、それを純粋なエネルギーに変えて浄化することを目指す傾向があります。
タントリズムは現世肯定的なので、「身体」を重視することも特徴です。
旧来の現世否定的思想では、身体は、否定されるべきものですが、タントリズムでは、身体は「神の神殿」と考えます。
身体的な瞑想修行法(ハタ・ヨガ)においても、身体のエネルギーとしての身体基底部にあるクンダリニー(=シャクティ)を、頭頂のシヴァに帰一させた後、再度、下降させ、身体性を清浄なものとして再創造し、活性化します。
<哲学的特徴>
タントリズムの、現世肯定的特徴は、その哲学にも表現されます。
サーンキヤやヴェーダーンタのなどの古典哲学では、世界創造は誤認(マーヤー)に基づく汚れであり、否定的な意味を持つ行為です。
しかし、タントラ哲学では、世界創造は、解脱のための必要なプロセスとして肯定的に考えられたり、神の「遊戯」として絶対肯定されます。
世界創造を「遊戯」とする立場は、「自由」を最大限に重視する思想的表現です。
東方の神智学は、至高存在を、「静的次元(元母・両性具有)/核的次元(原型・意志・父―素材・知恵・母)/創造的次元(光・言葉・子)」の3段階・3原理で考えましたが、タントリズムは、男女の2段階・2原理で考えました。
「静的な男性原理」の「シヴァ」と「動的な女性原理(世界創造のエネルギー)」の「シャクティ」などです。
この男女の2原理が、神として、聖婚、合一し、世界を創造します。
これは、サーンキア哲学の「プルシャ(純粋意識)/プラクリティ(根本原質)」のタントラ版ですが、人格神的な要素が加わっているのが特徴です。
また、2原理の不二性・一体性を説きます。
密教では、抽象的な原理としては「方便/智慧」、尊格としては「仏/仏母(明妃、ダキニ)」などとして表現されます。
仏教の場合、「方便」などの男性原理が動的で、「智恵」などの女性原理が静的原理となり、ヒンドゥー教とは逆です。
ですが、母タントラでは、動的女性原理である「ダキニ」が重視されるようになります。
サーンキヤ哲学では、世界はプラクリティに帰一し、プルシャから切り離すことが目指され、プルシャは否定されます。
このように、旧来の思想では、現世否定的な傾向があります。
しかし、タントリズムでは、男性原理と女性原理の一体性を重視し、さらには、女性原理による動的創造を重視する傾向があります。
タントリズムは現世肯定の思想であるため、イメージや概念なども否定しません。
イメージや概念は「象徴」性を高めて使われ、それをより根源的な次元に上昇したり、心身を浄化するための手段とします。
そのため、マントラの念誦や観想を重視します。
マントラ重視の背景には、世界を様々な周波数の波動として捉える世界観があります。
マントラは、特定の神的エネルギーの表現であると考えられます。
神的存在を表現するにあたっては、否定神学や空思想のように、「○○でない」といった否定的表現を行うことは少なく、象徴的に表現したり、言語表現をせずに「それだ」と直接的に指し示します。
もちろん、概念的に表現する場合はパラドキシカルになります。
象徴は、照応的世界観の要でもあります。
内外、心身、上下の位階の世界は、象徴を通して結びつきます。