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無上ヨガ・タントラの究竟次第 [中世インド]

「究竟次第(完成のプロセス)」は、父タントラ系の「死のヨガ(風のヨガ、聚執)」と、母タントラ系の「性のヨガ(火のヨガ、ビンドゥ・ヨガ)」の2種類があります。

多くの派の次第では、両方の要素が含まれていますが、どちらを中心として、後で行うかによって、父タントラ系か母タントラ系かという傾向が判断できます。

母タントラと分類される「ヘーヴァジュラ・タントラ」のドーンビヘールカ流や、「チャクラサンヴァラ・タントラ」のガンターパ流は、「究竟次第」の観点では、「死のヨガ」が優位のため、父タントラ的です。
一方、不二タントラとされる「カーラチャクラ・タントラ」は「性のヨガ」が優位のため、母タントラ的です。


<父タントラ系の死のヨガ>

「死のヨガ」は、父タントラ系で重視される方法で、胸の「不滅の心滴」にすべてのプラーナを収束させます。
これは、「死」の瞬間に起こる体験をシミュレートするもので、「光明」のヴィジョンに「空」の認識を加えることで、三身を獲得します。

・前行

本行の前に、次のような前行を行います。

体を実体視しないように、体を空虚な壺として観想します。
チベットではこれを「トンラ」と呼びます。

次に、プラーナの通りを良くするための運動を行います。チベットではこれを「トゥンコル」と呼びます。

次に、ナーディとチャクラ、心滴の観想を行います。
ナーディとチャクラは経典や流派によってその数が異なり、3脈4輪~6脈6輪です。
心滴は、頭頂のチャクラの中には「白い心滴」、ヘソのチャクラには「赤い心滴」、胸のチャクラには「不滅の心滴」があります。

・風のヨガ

まず、胸のチャクラの中の「不滅の心滴」の場所に「ア字の読点」を観想し、「オーム(入る音)」、「アーハ(住する音)」、「フーム(出る音)」の3つの種字の「金剛念誦」を唱えながら、胸のチャクラの上下にまきついている左右の脈管をゆるめて、プラーナを上部から中央管へ、そして胸のチャクラに入れたり、出したりします。

中央管にプラーナが入ると、概念的思考が停止し、死に際して身体を構成する「四大」が解体される時のヴィジョンである「四相(五相)」を体験します。
これを「風のヨガ」と呼びます。

・聚執

次に、胸の「不滅の心滴」にすべてのプラーナを収束させます。
この死の瞬間に、意識、末那識、アーラヤ識が解体される時とその後に現れるヴィジョンである「四空」を体験します。
これを「聚執(塊取、ピンダグラーハ)」と呼びます。

「四空」の呼び名、その時に体験する「光明」の呼び名、その時にプラーナの状態は下記の通りです。

1 空  :顕明  :ヘソの赤い心滴が上昇
2 極空 :顕明増輝:頭頂の白い心滴が下降
3 大空 :顕明近得:赤白の心滴が胸の心滴に接触
4 一切空:光明  :赤白の心滴が胸の心滴に融解

最後の段階では、「随滅」の観想を行いながら、清浄な「光明」を体験しますが、この時に、「空」の認識を加えることで、「法身」を獲得することができます。

また、「不滅の心滴」からプラーナを再度、逆に流出させると、微細なプラーナでできた「幻身」と呼ばれる魂の体を創造することができます。
これは、人が死後に「中有」の時に、幽霊の状態でいる体です。
しかし、空の認識を得た後に、これを創造すると、浄化された「報身」を獲得することができます。
死後に希望すれば、变化身を現すことができるとします。

「法身」=「一切空」の認識と、「報身」の両方を獲得することを「双入」と呼びます。
これは、「智恵」と「方便」の一体、「等引智」と「後得智」の獲得に相当します。


<母タントラ系の性のヨガ>

「性のヨガ(火のヨガ、チャンダリーの火、ビンドゥ・ヨガ)」は、母タントラ系で重視される方法で、「白い心滴」と「赤い心滴」を融解して混合させます。
これは、「性行為」と「受胎」の時に起こる体験をシミュレートするもので、「歓喜」の体験に「空」の認識を加えることで、三身を獲得します。


・ビンドゥ・ヨガ、チャンダリーの火

「性のヨガ」は、プラーナを中央管の中に入れるまでは、「死のヨガ」と同じです。
ですが、そこから「不滅の心滴」にプラーナを収束されるのではなく、赤白の心滴に集中し、プラーナを集めることで、融解させ、その融解液を中央管の中を通って上昇、下降させます。
これを「ビンドゥ・ヨガ」、「チャンダリーの火(火のヨガ)」と呼びます。

頭頂の「白い心滴」の融解液を、「菩提心」、「精液」、「甘露」と呼びます。
ヘソのチャクラに中にある「赤い心滴」を発火(融解)させたものを、「チャンダリーの火」、「智恵の火」、「菩提心」、「経血」と呼びます。

・種字の観想

「性のヨガ」でも、「死のヨガ」と同様の前行を行いますが、これに加えて、4つのチャクラに、「種字(象徴的な梵字)」を観想します。

例えば、頭頂に白い逆さの「ハム字」、喉に赤い「オーム字」、心臓に青い逆さの「フーム字」、臍に赤い「ア字」です。
これは、チャクラに集中し、プラーナを導き入れたり、心滴の融解液を生むための準備となります。

本行においても、種字の観想を行いながら、プラーナや融解液のコントロールを行います。
「種字」は、意識とプラーナの集中によって、「心滴」と同様、あるいは、それを先導して発火したり、融解したり、一体になったりします。

・瓶ヨガ

「チャンダリーの火」の前に、まず、呼吸と共にプラーナを左右管に入れます。
次に、中央管内のチャクラに種字を観想して意識を集中し、肛門、尿道からもプラーナを吸い込みつつ、左右管からプラーナを中央管に入れ、ヘソのチャクラの場所に「瓶」があるとイメージし、そこにプラーナを留めます。

「死のヨガ」と同様、プラーナを中央管に入ると、微細なプラーナに融解し、死に向かう時に経験するヴィジョン「5相」を体験します。
最後に、中央管をプラーナがゆっくり上昇すると想像して、プラーナを外に輩出します。
これを「瓶ヨガ」と呼びます。

・四歓喜

ヘソのチャクラの「赤い心滴」を発火(融解)させた「チャンダリーの火」を中央管の中を通って頭頂のチャクラまで上昇させる時、各チャクラで「歓喜」を体験します。
これを「下から堅固になる四歓喜」、「逆観」などと呼びます。

「チャンダリーの火」を上昇された後、ないしは、発火させた後に、頭頂のチャクラの「白い心滴」を融解させた「甘露」を中央管の中を通ってヘソのチャクラ、ないし、男根の先まで下降させる時、各チャクラなどで「歓喜」を体験します。
これを「上から降りる四歓喜」「循観」などと呼びます。

どちらの場合も、順に、「歓喜」→「最勝歓喜」→「離喜歓喜」→「倶生歓喜」という「四歓喜」を体験します。

「倶生歓喜」の時、赤・白の「心滴」の融解液は混合したものになりますが、これを、主尊ヘールカと妃(ダーキニー、ヴァジュラヴァーラーヒーなど)の交会と表現します。
融解液は、最後に、妃がいるヘソのチャクラに留めることが多いのですが、これは、子宮での受胎の象徴でもあるのでしょう。

歓喜を体験する時、言葉のない意識状態になるので、「空」の認識と結びつけて、「楽空無別の智恵」と呼ばれる知恵を得ます。
これによって三身を獲得します。

「カーラチャクラ・タントラ」では、中央管の中に赤・白の「心滴」を蓄積して満杯にすることで、「空色身」と呼ばれる特別な身体を獲得します。

また、ターラ尊を本尊とする母タントラなどでは、胸に観想し虹色のターラ尊から虹光が流出して、中央管、身体全体、世界全体に広がる観想を行うとなどして、「虹身光身」と呼ばれる特別な身体を獲得します。

これら「空色身」、「虹身光身」は、法身でも報身でもなく、「微細身」も「極微身」も尽きた時に現れる身体です。

・一切如来の「火」「甘露」との一体化

「チャクラサンヴァラ・タントラ」系の「究竟次第」では、「火」を上昇させた後、体外に排出し、それが一切如来の体内の中央管を通って、一切如来の「火」や「甘露」と一体化させ、それを再度、行者に流入させると観想します。
「火」の体外排出に関しては、実際に行うのでしょう。

・感覚の浄化

「チャクラサンヴァラ・タントラ」系の流派によっては、「チャンダリーの火」の前に、「風のヨガ」の一種によって、感覚器官の浄化を行います。
まず、5感覚器官(目、耳、舌、鼻、性器)に観想した「心滴」と共にプラーナを胸の心滴に流入させます。
その後、観想した金剛杵(法源の中にある)と共にプラーナを逆流させ、胸の「心滴」から感覚器官へと送ります。

この行法は、「風のヨガ」、「聚執」に類した方法なので、「死のヨガ」に近く、父タントラ的ですが、胸の「心滴」を融解させたり、「チャンダリーの火」を利用することもあるので、母タントラ的な側面もあります。
感覚に「空」=「楽」を一体化することで、感覚を浄化すると共に、活性化させることができます。


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無上ヨガ・タントラの生起次第 [中世インド]

無上ヨガ・タントラの主要な2つの行法が、「生起次第」と「究竟次第」です。
この項では、二次第の修行に入る前に必要な灌頂の体系と「生起次第」について説明します。


<灌頂>

「生起次第」や「究竟次第」を行うためには、灌頂(仏教修行のイニシエーション)を受ける必要があります。
密教は秘密の教えなので、灌頂や密教の戒律を受けなければ、修行することも、教義を教えてもらうこともできませんし、本来は、合体尊などの秘密仏を見ることもできませんでした。

灌頂儀礼は、基本的に4段階に体系化されました。
これは修行の階層と考えることができます。
その内容は下記の通りです。

1 瓶灌頂  :曼荼羅の諸尊から瓶の聖水を頭からかけてもらい加持される
2 秘密灌頂 :阿闍梨がヨーギニーと性ヨガを行い、菩提心を入門者の口に入れる
3 般若智灌頂:入門者がヨーギニーと性ヨガを行い、大楽を得る
4 第四灌頂 :師が言葉によって「究竟次第」の修行の意味や目的、真理を説く

1は、「ヨガ・タントラ」までの灌頂とほぼ、同じで、2以降は「性ヨガ」がテーマで、「無上ヨガ・タントラ」で付け足されたものです。
ただし、1の前に、名前や法具などを授与される従来の灌頂を複数段階に分けて置く流派もあります。
「不二タントラ」に属する「カーラチャクラ・タントラ」も同様ですが、1をヨーギニーの胸(=乳の入った瓶)に触れることとします。

一般に、「瓶灌頂」では、「生起次第」の修行が許可されます。
「秘密灌頂」では、「究竟次第」の本格的な修行が許可されます。
「智慧灌頂」では、「究竟次第」で「空」の認識を獲得する「光明」の修行などが許可されます。
「第四灌頂」では、「究竟次第」の最終段階の修行が許可されます。


<生起次第>

「生起次第(生成のプロセス)」は、下記のように行われます。

・本尊ヨガ(我生起)と随滅

「無上ヨガ・タントラ」の成就法「生起次第(生成のプロセス)」の本質は、自分自身を仏として観想する「本尊ヨガ(我生起)」です。
密教では、仏として修行や六波羅蜜を行うことで、早く修行を進め、福徳を積むことができると考えます。

「本尊ヨガ」では、仏の姿を観想するだけではなく、「慢」と呼ばれる仏の意識・プライドも保持することが必要です。

観想された仏などの姿はイメージであって、それは「空」であるという認識が必要であり、また、観想を通して空性を理解することが必要です。
そのため、観想は、イメージのない「虚空(光明)」から現わし、最後は「虚空(光明)」に溶け入れます。
胸の「光明」への融解の観想法は「随滅(アヌベーダ)」と呼びます。
この「虚空」の時、一切のイメージや概念をなしにした無念無想の状態でいます。
また、観想をしている時も、それが「空」であることを認識している必要があります。
大乗の後得智と同じです。
この状態を「深明不二」と呼びます。

・五現等覚

「虚空」から仏の姿を現す時、いきなり仏身を観想するのではなく、いくつかの段階を経ます。
例えば、「月輪」→「日輪」→「種字(仏を象徴する梵字)」→「三昧耶(金剛杵などの象徴)」→(拡大・収束)→「仏身」です。
「鬘」は梵字やマントラの文字が列につながった(輪になった)ものです。

これを「五現等覚」と呼びます。
このプロセスは「真実摂経」に説かれた仏になるプロセスである「五相成身観」と関係付けられ、その後、人間の胎児が成長するプロセスとも重ね合わせされました。

「五現等覚」などで我生起する場合、眼前に観想してそれに一体化したり、胸に観想して自身に一体化するなどの方法があります。

また、「無上ヨガ・タントラ」の後期には、父からの「白い心滴」と、母からの「赤い心滴」、意識、意識を運ぶプラーナの4者が母胎で一体一体になり、「不滅のティクレ」が生まれて受胎することを象徴して、「母音の鬘が乗った白い月輪」、「子音の鬘が乗った赤い日輪」、「白いフーム字」、「黒いヒ字」が一体化して「ハム字」になり、そこから仏身が現れると観想する場合もあります。

・三重薩埵

一体化する仏身は、最初は意識的にイメージを形作ります。
この意識的に形成したイメージは「三昧耶薩埵(サンマヤ・サットヴァ)」と呼びます。
真実の仏の象徴という意味ですが、あくまでも象徴なので、この後、象徴を越える必要があります。

「三昧耶薩埵」の胸にさらに仏を観想して、そこに「智恵薩埵(ジュニャーナ・サットヴァ)」を招きます。
これは、意識せずに現れるイメージであり、自然に動き、意識的に描いた姿とは異なることもあります。
深層意識から現れる、創造的想像力による内的、原型的イメージです。
そして、「三昧耶薩埵」と「智恵薩埵」を一体化させます。

さらに、「智恵薩埵」の胸にフーム字を観想して、それを「三摩地薩埵(サマディ・サットヴァ)」にします。
「三摩地薩埵」についてはよく分からないのですが、音や光に近い、直感的な存在でしょう。
そして、最終的に自身を「三摩地薩埵」に一体化します。

このように三段階で、仏のイメージを仏そのものに近づけていきます。
この観想法を「三重薩埵」と呼びます。

・父母仏

「無上ヨガ・タントラ」の場合、本尊は「父母仏」として表現されます。
これは、教義上は「智恵」と「方便」の一体性と表現されますが、妃には「智恵」以外にも「エネルギー(ヒンドゥー・タントラの「シャクティ」に対応)」という側面も秘めています。
母タントラの場合、「父母仏」の回りにダーキニーなどの女尊が取り囲みますが、これらの女尊も「エネルギー」を象徴します。
ですから、自身を本尊として観想する場合、仏母も観想します。

・マンダラ

また、真理は本尊(父母仏)だけではなく、マンダラとして表現されますので、生起次第の観想も、本尊の我生起から、自身を中心としたマンダラ全体へと拡張します。
まず、マンダラの構造物(楼閣など)を観想した後、数々の尊格を生み出します。

構造物の出現は、物質的な宇宙の創造に当たるので、オリエント神智学の第一質料に相当する法源から4大元素(4輪)の創造などを観想します。

尊格の出現は、「父母仏」が、生殖によって生み出す形になります。
具体的には、例えば、「心滴」が頭頂から自分の中に入り、男根を経て妃の子宮に移動し、そこで個々の尊格になります。
それを男根で吸い上げて自身の中に入れ戻して、胸から外に出し、マンダラの所定の位置につけます。

さらに、身体上で対応する場所に付置して、「身マンダラ」とします。

・三身修道

「身マンダラ」までの観想の中で、死・中有・生を浄化して、仏身の三身(法身・報身・変化身)を観想するのが「三身修道」です。
これは、仏として輪廻を体験するものです。
本行の前の準備として本尊を現わした後、一旦、尊格を光明に融解して法身になるのが「死」の浄化です。
次に、「五現等覚」で報身としての尊格を現すのが「中有」の浄化です。
最後に、本尊の性ヨガを通して自身を変化身として現わし、身体に付置された諸尊を観想するのが「受胎」の浄化です。

・自利円満と他利円満

多くの場合、「生起次第」は、「自利円満」と「他利円満」の2つの観想からなります。

「自利円満」は、上記したような「本尊ヨガ」です。
「他利円満」は、仏が他者を救済する観想です。
「自利円満」で現した本尊を「因」の本尊、「他利円満」で現した本尊を「果」の本尊と表現して区別することもあります。

「自利円満」は仏とマンダラを「虚空」へ融解する「随滅」で終わりますが、「他利円満」は再度、4人の仏母が仏を勧請することに始まります。
本尊の出現、諸尊の出生が行われ、諸尊が世間に出て利他行を行います。

・微細ヨガ、斂観・広観、金剛念誦

マンダラ観想の応用編として、「微細ヨガ」、「斂観・広観」があります。
鼻先や男根の先などに、心滴や三昧耶、仏身やマンダラを観想するのが「微細ヨガ」、それを拡大して空間に遍満させ、再度一点に戻すのが「広観・斂観」です。

そして、「文字鬘(梵字の列)」を明妃との間で循環させるのが「金剛念誦」です。
これは言葉による利他の象徴として位置付けられています。


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無上ヨガ・タントラの思想と潮流 [中世インド]

「無上(アヌッタラ)ヨガ・タントラ」は、チベットのプトゥンによる密教の発達段階の第4段階に当たるクラスです。
「方便・父(ウパーヤ・ヨーギン)タントラ」と、「般若・母(パンニャー・ヨーギン)タントラ」、「不ニタントラ」の3つに分けられます。

チベットでは、「無上ヨガ・タントラ」クラスの仏教が常識であり、ここに至って初めて、仏教が仏教になったと考えます。

「無上ヨガ・タントラ」には、様々な特徴があります。

怒りや性欲などの煩悩を、単に否定するのではなく、積極的に修行に利用しようとすること、そして、煩悩のない自然な欲望を肯定します。
そのため、「身語心」の三密が、「貧瞋痴」の三大煩悩と、さらには如来、部族と対応づけられました。

それと関係して、「反出家主義」、「反戒律」が掲げられました。
そして、僧院外の修行者や、霊験を持った「シッダ(成就者)」と呼ばれる存在が重視されるようになりました。
「反出家主義」は、大乗仏教の本来の理念ですから、そこに回帰したのだとも言えます。

また、プラーナを高度にコントロールした瞑想法を利用した修行を行うことが特徴です。

別項で紹介したような霊的生理学に基づき、「仏の三身(四身)」の獲得という形での成仏を目指します。

これを「三身(四身)修道」と呼ばれることもあります。

「仏の三身(四身)」の獲得は、輪廻のサイクルの、「死(死の瞬間)」、「死後(中有)」、「生」、それに加えて「受胎」の3つ(4つ)の時点の意識を、智恵にして浄化することで、「法身」、「報身」、「変化身」、「倶生身(清浄身)」という仏の三身(四身)を獲得する行法です。

行法は、自分が仏として曼荼羅の諸尊を生み出す観想によって「空」を認識する「生起次第」と、プラーナをコントロールしたヨガで「空」を認識する「究竟次第」の2種類があります。

「仏の三身(四身)」の獲得は、初めに「生起次第」で、仏として輪廻する観想によって浄化を先取りし、その後、「究竟次第」で、プラーナをコントロールによる各状態のシミュレートによって実際に「仏の三身(四身)」を獲得します。

父タントラ系の「究竟次第」では、「中有」につながる「死」をシミュレートするヨガによって「光明(プラバースヴァラ)」を体験する中で「空」を悟ります。

母タントラ系の「究竟次第」では、「受胎」につながる「性」をシミュレートするヨガによって、「大楽(マハースカ)」を体験する中で「空」を悟ります。

「無上ヨガ・タントラ」は、「空」=「光明」=「大楽」とするのが、特徴です。

ただ、「無上ヨガ・タントラ」が「光明」や「大楽」と共に理解する「空」は、大乗の「空」とは違って、「微細な空」として、その優位が説かれます。


「ヨガ・タントラ」では、一番根源的な仏は、五仏を統括する「大日如来(ヴァイローチャナ)」でしたが、「無上ヨガ・タントラ」では、「阿閦如来」が中央に来たり、五仏を生み出すより本源的な仏としての「本初仏(アーディブッダ)」という概念が生まれました。
「本初仏」は、具体的には、大乗の理想の菩薩の普賢菩薩と、密教の調伏の力を持った金剛手が合体した「金剛薩埵(ヴァジュラサットヴァ)」や、その発展形の「持金剛(ヴァジュラダラ)」、「法身普賢(サマンタバドラ)」などです。

本尊は、本来は秘密仏として、多面多臂の「父母仏(合体尊、歓喜尊)」の姿で描かれます。
マンダラの諸尊も、多くは父母仏の姿で描かれます。
女性尊格は「明妃(ヴィディヤー・ラージュニー)」と呼ばれ、仏の妃の場合は「仏母」です。

これらは、「智恵」と「方便」の一体性を象徴します。
仏母が静的原理の「智恵」、仏が動的原理の「方便」です。

ですが、ヒンドゥー・タントラでは、男性神の「シヴァ」が静的原理、女神の「シャクティ」が動的原理なので、逆です。
「無上ヨガ・タントラ」、特に「母タントラ」では、「ダーキニー(空行母、荼吉尼天)」などの「明妃」が「シャクティ」に対応する動的な女性原理です。

また、「忿怒尊(忿怒相)」が重視されるようになり、「母タントラ」では本尊(守護尊)が忿怒尊になりました。
忿怒形の本尊は、金剛薩埵などがヒンドゥーの尊格を調伏するために忿怒尊に变化した「明王」が発展した尊格です。
踊る姿、多面多臂、父母仏の姿が特徴です。

「父タントラ」の忿怒尊は、大威徳明王(文殊菩薩の变化)の後身の「ヤマーンタカ」が代表で、ヒンドゥー教の冥界王ヤマを調伏します。
「母タントラ」の忿怒の本尊「ヘールカ」は、降三世明王(シヴァを調伏)の後身で、ヒンドゥー教の女神(シヴァの妃など)や、忿怒尊(ヴァイラヴァと妃カーララートリなど)を調伏します。
後者はヒンドゥー・タントラのシャークタ派に対抗する必要から生まれた尊格です。

本尊に関して言えば、「父タントラ」の金剛薩埵も、「母タントラ」のヘールカの元になる降三世明王も、大日如来を守護する金剛手の後身という点では同じです。
初期の三尊形式の段階から、金剛手の金剛部は、調伏という働きを持っていました。

また、忿怒尊は、男性尊だけでなく、本尊の妃である女性尊「ヴァジュラ・ヴァーラーヒー(金剛亥母)」や「ナイラートマー(無我女)」も重視されました。

元々、仏教における女尊は、静的な「智恵」や智恵を導く「陀羅尼」を神格化したものです。
ですが、ヒンドゥー教では、ドゥルガーやカーリーのように、女神には調伏的な側面があり、ヒンドゥー・タントラでは生命力である「シャクティ」を重視します。
母タントラでは、この影響を受けて、「シャクティ」に対応する動的な女性原理を、「明妃」、「ダーキニー」などと表現します。


<方便・父タントラ>

「方便・父タントラ」は、8C後半の「秘密集会タントラ」を代表とする潮流です。

男性の尊格や、修行法では、観想法である「生起次第」を重視します。
また、「究竟次第」では、「死のヨガ(聚執=ピンダグラーハ)」によって、「中有」につながる「死」をシミュレートし、すべてのプラーナを心臓の心滴に収束させ、空性を「光明」として体験(法身の獲得)します。
さらには、プラーナを流出させて「報身」を生み出します。本尊はシヴァ神を調伏するヤマーンタカです。

「金剛頂経」を継承して5部の体系を持っていますが、大日如来に代わって、阿閦如来が五仏の中心となり、さらに、五仏より根源的な「金剛薩埵」、「持金剛」などの「本初仏」が考えられるようになりました。

* 「秘密集会タントラ」については別項をご参照ください。


<般若・母タントラ>

「般若・母タントラ」は、9C以降の「サマーヨガ・タントラ」、「ヘーヴァジュラ・タントラ」、「サンヴァラ」系タントラを代表とする潮流です。

女性の尊格や、それが象徴するプラーナのエネルギー、それをコントロールする修行法の「究竟次第」を重視します。

プラーナをコントロールする「性のヨガ(チャンダリーの火、ビンドゥ・ヨガ)」によって、「受胎」につながる「性」をシミュレートし、ヘソと頭頂の心滴を混合して、空性を「大楽」として体験(法身の獲得)します。
また、「貪欲行」としては、定期的に集団で性ヨガを行う、饗宴的な「ガナチャクラ(聚輪)」が重視されます。

本尊はシヴァ神の妃を調伏する忿怒尊の「ヘールカ」です。
マンダラは、本尊の回りにダーキニーら女尊を8人もしくは4人を配置する「大楽倫」があるのが特徴です。

また、身体部位と尊格、種子を対応させ、身体曼荼羅を確立し、さらにそれを聖地という外部空間と対応させました。
そして、左右管に子音・母音を配置して12宮と対応させたり、呼吸に合わせて1日でプラーナが身体を循環すると考えるなど、時間を体系に組み入れました。


最初の母タントラの主要経典である「サマーヨガ・タントラ」は、「理趣広経」の影響を受けて、8C中頃に、スワット渓谷で生まれた経典です。
「最高の楽」という意味の「サンヴァラ」という概念を重視します。

本尊の「ヘールカ」は、踊るシヴァ(ナタラージャ)、忿怒のシヴァ(ヴァイラヴァ)に相当する最高神になりました。
また、「真実摂経」の5部に「金剛薩埵部」が追加され6部となり、6部が平等に扱われます。
ヴァイローチャナと金剛薩埵以外は、金剛部の「ヘールカ」他、いずれも新しい尊格です。
マンダラでは、主尊の回りに8尊の女神が配置され、「大楽輪」が始まります。
これは、ヒンドゥー・タントラのマートリカー(母神)信仰の影響でしょう。

観想においては、月輪上の母音と子音の文字鬘(文字列)の要素が新たに生まれました。
これは金剛薩埵とその妃の象徴であり、両者の生殖によって森羅万象を生み出すと観想します。
さらに、ヘソの月輪を観想し、その中心の微細な穴から文字鬘が光ながら上昇、下降する、ビンドゥ・ヨガが説かれ、後の究竟次第につながります。


次の主要なタントラである「ヘーヴァジュラ(呼金剛)・タントラ」は、雑多な要素が混在する未整理な経典です。
この経典には、死肉や糞尿を食することを重視したり、慈悲をもって悪行を行うことを勧めたり、息災(請雨)・増益(敬愛)・調伏(呪殺)などの呪術に関する記述も多数見られます。

主尊は、ヘールカの「ヘーヴァジュラ」で、「ナイラートマー」や「ヴァジュラ・ヴァーラーヒー」などを明妃とします。
曼荼羅は、「サマーヨガ・タントラ」のヘールカ族タントラを継承し、主尊を8人のダーキニーが囲む大楽輪があります。
一方、「秘密集会タントラ」の5部を継承し、中央と四方の5ダーキニーは5仏に対応し、4隅の4ダーキニーは4大(仏母)に対応します。

また、初めてはっきりと生理学説として3脈4輪説(3本のナーディと4つのチャクラ)を説きました。

また、ガナチャクラ(饗宴的集団性ヨガ行)が行われる24の聖地を挙げ、それを10組に分けて、大乗の十地に対応させました。
これら聖地には、尸林があり、シヴァの聖地とも重なっています。

また、マンダラの宮殿の外には、8つの「尸林」(死体置き場・火葬場)が描かれます。
ここには、護方神、土地神、ナーガ、死体、夜叉、羅刹、餓鬼、ダーキニー、ダーカなどがいます。

「生起次第」では、五相成身観の成仏のプロセスを、受胎から出産の生理的プロセスに当てはめて解釈します。

「究竟次第」では、クンダリニーヨガに近い「チャンダリーの火」を行い、ヘソのチャクラから頭頂のチャクラまで「世俗の菩提心」と呼ばれる「精液」を上昇させますが、各チャクラを通過する時に、4つの「歓喜」を体験します。

この四歓喜は、「輪廻/涅槃」、「欲/離欲」の2項に関して、「両者の中間」→「輪廻・欲」→「涅槃・離欲」→「両者を離れる」と特徴付けされます。
また、各歓喜は、四つの灌頂に対応します。

1 歓喜  :ヘソ:変化輪:中間:闍梨灌頂:大空 :顕明近得
2 最勝歓喜:胸 :法輪 :輪廻:秘密灌頂:極空 :顕明増輝
3 離喜歓喜:喉 :受用輪 :涅槃:般若灌頂:空  :顕明
4 倶生歓喜:頭頂:大楽輪:止揚:第四灌頂:一切空:光明

「へーヴァジュラ・タントラ」では、最後の歓喜を表現する「倶生(サハジャ)」=「生まれながらの」という概念が重視されました。

また、「父タントラ系」の「四空(四光明)」との対応付けを行い、統合しました。
「へーヴァジュラ・タントラ」での対応は、順番を合致させていません。

* 最後の主要なタントラである「チャクラサンヴァラ・タントラ」については別項をご参照ください。


<不二タントラ>

「不二タントラ」は、父・母の両タントラを統合したもので、基本的に、10~11Cに成立した「カーラチャクラ(時輪)タントラ」を指します。

「カーラチャクラ・タントラ」は、六仏に対応した6部(金剛薩埵部を追加)での体系化を行いました。

また、仏の四身(従来の三身に倶生身を付加)、四ライフサイクル(誕生、生、死、中有)、四意識(覚醒、夢、熟睡、性的絶頂)を対応させた、四周期理論を体系化しました。

また、身体曼荼羅では、12ヶ月を12護法神に、28日を28女神に対応させ、占星学と統合しました。

瞑想法に関しては、父タントラの「死よヨガ」と母タントラの「性のヨガ」の両方を使い、心滴の融解液を中央管の中に満たすことで、4つの心滴から「仏の四身」と、「空色身(虹身)」を得ます。


「カーラチャクラ・タントラ」は、最後のインド仏教の経典であり、その原型は、イラン系の人間によって、中央アジアで作られたと推測される経典です。

ミトラ教などのイランの宗教の終末論の影響を受けてて、シャンバラという不可視の理想の仏教国の存在や、イスラム教との最終戦争の予言などを含んでいます。
こうして、全インド仏教を統合すると共に、終末論、占星学などの西方の思想も統合し、インドにおける神智学の一大統合をなしとげました。

* 「カーラチャクラ・タントラ」については別項をご参照ください。


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金剛乗と金剛頂経 [中世インド]

本格的なタントラ仏教(密教)である「金剛乗(ヴァジュラ・ヤーナ)」は、「初会の金剛頂経」で宣言されました。

広義の「金剛頂経」は、18種の経典の総称で、これを「広本の金剛頂経」とも表現します。
狭義では、その最初の経典である「真実摂経」を指し、「初会の金剛頂経」とも表現します。
この経典は、7C後半、南インドで生まれました。

「真実摂経」は、密教の発展段階では第3段階に当たる「ヨガ・タントラ」に属します。
しかし、広義の「金剛頂経」には、第4段階に当たる経典もあります。

広義の「金剛頂経」に属する主な経典には、「六会」の「理趣広経」があります。
この経典は生得的な快楽を肯定する母タントラにつながる経典です。
また、「九会」は、「母タントラ」に属する「サマーヨガ・タントラ」の原初的経典です。
そして、「十五会」は、「父タントラ」に属する「秘密集会タントラ」です。


<金剛乗、ヨガ・タントラ>

「真実摂経」は「金剛乗」という思想を宣言し、自分たち以前の大乗仏教を「波羅蜜乗(パラミタナーヤ)・通大乗」と呼んで区別しました。
もちろん、「金剛乗」の方が優れているとします。

「金剛」とは、本来は、雷であるインドラ(帝釈天)の武器の「金剛杵」のことです。
「壊すことができない悟りの智恵」を、「金剛杵」で象徴するものです。

「金剛乗」は「真実摂経」が出発点ですが、その後、様々な経典によって発展しました。
「金剛乗」は、「ヨガ・タントラ」クラスの密教だけではなく、「無上ヨガ・タントラ」クラスの密教をも指します。

「ヨガ・タントラ」クラスの「金剛乗」には次のような特徴があります。

主尊は、基本的に「マハー・ヴァイローチャナ(法身大日如来、摩訶毘盧遮那仏)」です。
「金剛杵」を仏の悟りの象徴とし、その観想を重視します。
また、欲望を否定せずに修行法(貧欲行)に転化したり、仏教以外の神などの「降伏」も特徴とします。

また、「真実摂経」を継承して、五仏・五智など、様々なものを五部(五族)の体系として整理し、悟りの内容を「マンダラ」として表現します。

「マンダラ」は、客観的に言えば、水平軸と垂直軸を持つ元型的な象徴体系です。
尊格を体系的に整理したパンテオンでもあり、宇宙論です。
密教的には、煩悩のない真実の清浄な世界です。
もちろん、「マンダラ」は絵に書かれた平面的存在ではなく、立体的存在です。
絵に書かれた「マンダラ」は、基本的に中央の主尊から見える光景を平面に倒して描いたものです。

密教においては、自分自身を本尊と観想する「我生起」の瞑想が重要ですが、単に尊格の象徴的なイメージ(三昧耶薩埵)を意識的に観想して作るだけではなく、そこに尊格の本質を導き入れるために、「智薩埵」の観法が生まれました。

「智薩埵」は、行者が意図せずに、勝手に動いたりします。

また、姿だけではなく、仏の意識(慢)も伴う必要があります。
そして、無念無相の「空」の認識と同時に行う「深明不二」が目指されるのは「行タントラ」を継承しています。

また、観想だけでなく、手印を結び、マントラを唱えて、仏の「身口意」の3側面の清浄なあり方を体現し、仏と一体化する「三密」を特徴とするのは、「行タントラ」を継承しています。

・身密(羯磨印) :手印
・口密(法印)  :マントラ
・意密(三昧耶印):仏身の観想

「三密」は、元をたどれば、ゾロアスター教の3つの善、「善思」、「善語」、「善行」の影響かもしれません。

「真実摂経」では、「三密」を備えた状態を「大印」と表現します。
ですが、「大印」は、性ヨガの相手となる女性を暗示することもあります。
また、手印を「大印」と呼び、「行為(の観想)」を「羯磨印」と呼び、四印(四密)で考えることもあります。

三密を備えた状態で仏と一体化するだけではなく、各印ごとに仏と一体化する行を行います。

また、観想法としては、鼻先に金剛などを観想する「微細ヨガ」、微細な金剛などを多数、空間に遍満させる「広観」、それらを鼻先に集斂させる「斂観」も生まれました。


<真実摂経>

主尊は「金剛界ヴァイローチャナ」ですが、「法身ヴァイローチャナ」、「マハー・ヴァイローチャナ」、「一切如来」(無始無終で空間に遍満する仏)などとも表現されます。
この主尊は、本来、姿を越えた存在(法身)です。

ですが、マンダラに表現されるような形を持った姿(報身)になった存在になると、「ヴァイローチャナ」と呼ばれます。

「ヴァイローチャナ」は、漢訳では、音訳で「毘盧遮那仏」、意訳で「大日如来」です。
太陽を神格化した存在なので、イラン系宗教の主神の「ミトラ」や「アフラ・マズダ」の影響があるかもしれません。

「金剛界ヴァイローチャナ」は、菩薩形の「金剛薩埵」にも化身します。
さらに、忿怒形の「降三世明王」にも化身し、シヴァ神らを調伏します。 

第一章の「金剛界品」では、一切如来が、成仏前の釈迦に相当する菩薩に、「五相成身観」と呼ばれる瞑想法(成仏法)を教え、釈迦はこれによって成仏します。

「五相成身観」は、5段階の観想法ですので、従来の観法(空の観察)とは異なる行法です。
「月輪のようなもの」→「月輪」→「金剛杵」→灌頂を受け「金剛杵を堅固に」→加持を受け「如来の姿」に、とマントラを唱えながら順次観想をして、自身をヴァイローチャナと一体化します。

従来の止観とは異なる、このような象徴の操作を通して悟れるとする主張は、革命的です。

*「五相成身観」に関しては、姉妹サイトの記事を参照してください。

「五相成身観」は、後に、「五現等覚」や「生起次第」に発展します。

「五相成身観」によって悟った釈迦は、須弥山の頂に降りて、その悟りの内容を37尊の「マンダラ」として示します。
悟りの内容が、四諦や十二縁起、四法印、空などではなく、「マンダラ」であるという点でも革命的です。

「真実摂経」は、様々な存在を、5つの部に対応させ、5部に体系化しました。

・如来部:中央:白:大日如来  :法界性智:智拳印 :仏塔
・金剛部:東 :青:阿閦如来  :大円鏡智:触地印 :金剛杵
・宝部 :南 :黄:宝生如来  :平等性智:与願印 :宝珠
・蓮華部:西 :赤:阿弥陀如来 :妙観察智:禅定印 :蓮華
・羯磨部:北 :緑:不空成就如来:成所作智:施無畏印:羯磨金剛

*最後の項目は三昧耶形です

5部の内、如来部、金剛部、蓮華部は、第2クラスの密教である「大日経」にも存在します。

マンダラの尊格は、5仏、16大菩薩、4波羅蜜菩薩、8供養菩薩、4摂菩薩の37尊です。


五仏は、「大日経」では5大元素と対応づけられていましたが、「摂真実経」では、「五智如来」と呼ばれるように、「五智」と対応づけられています。
5つの内4つの智恵は、唯識思想から取り入れたもので、「阿頼耶識」、「末那識」「意識」「前五識」が転依(浄化)したものです。

4波羅蜜菩薩は、女性の菩薩で、部母と考えられました。
8供養菩薩は、大日如来と4如来が互いに供養する象徴で、供養天女の姿で描かれます。
4摂菩薩は、四方の門の門衛であると共に、人々を招き入れて智恵に導く存在です。

また、37尊の三昧耶形を「陀羅尼(明妃)」、37尊の忿怒形を「明王」、変化観音を37尊が蓮華部の菩薩の変化した姿として、マンダラの中に取り込み、すべてを体系化しました。

それを、通常の姿で描かれ37尊のマンダラである「大マンダラ」以外に、様々なマンダラとして表現しました。

・三昧耶マンダラ:三昧耶(尊格の持ち物などの象徴)の形で陀羅尼である女性尊を描く
・法マンダラ  :禅定する尊格の心臓に金剛など象徴を描く
・羯磨マンダラ :菩薩を供養天女の姿で描く
・四印マンダラ :簡略形
・一印マンダラ :簡略形

最初の4種のマンダラは、「身密(手印)」、「口密(マントラ)」、「意密(観想)」、「作用(供養という行動)」に対応します。

これら6種のマンダラは、マンダラのカテゴリであり、それが各部の尊格として描かれ、「真実摂経」全体では、28種のマンダラが説かれます。
日本でよく知られる九会の金剛界マンダラは、これらを組み合わせを元に作られたものです。

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密教(タントラ仏教)の発展段階 [中世インド]

<インドとチベットの分類>

「密教」は、仏教がタントラ化したものです。
それまでの大乗仏教との違いを、一言で表すと、自分自身を本尊であると観想する修行(成就法、本尊ヨガ、我生起)を行うのが密教です。

「密教」と言う言葉は、日本仏教で使われる言葉で、インドには、直接対応する言葉はありません。
密教自身の呼称では、「金剛乗(ヴァジュラ・ヤーナ)」か「真言乗(マントラ・ヤーナ)」です。
また、仏教学の用語としては、「タントラ仏教」があります。

日本では、一般に、密教以前の仏教を「顕教」と呼びます。
しかし、密教自身の呼称では、密教以前の大乗仏教を、「波羅蜜乗」と呼びます。

密教の発展段階は、インドでも様々な説がありあますが、代表的には、次のような5段階の分類がなされます。

1 所作(クリヤー)タントラ :儀礼重視
2 行(チャリヤー)タントラ :勤行重視
3 ヨガ・タントラ  :五部の体系化
4 大ヨガ(マハー・ヨガ)タントラ:男性尊・死のヨガを重視
5 母(ヨーギニー)タントラ :女性尊・性のヨガを重視

上記の分類では、いずれも「タントラ」という名称がついていますが、1~3までの経典は実際には「スートラ」という名前のものが多く、実際に経典に「タントラ」という言葉が多用されるようになるのは、4以降です。

「真言乗(マントラ・ヤーナ)」というカテゴリは、2のクラスの経典で生まれた言葉ですが、すべての密教に対して使用可能だと思います。
しかし、4の「無上ヨガ・タントラ」では、「真言乗」という表現を否定する場合もあります。

「金剛乗(ヴァジュラ・ヤーナ)」は、3のクラスの経典(初会金剛頂経)で生まれた言葉で、それ以前の顕教を「波羅蜜多乗(パーラミター・ヤーナ)」と呼び、自分たちと区別し、「金剛乗」の優位性を主張しました。
「金剛乗」は、本来、「金剛頂経」系の密教を表しますので、主に3のクラス以降の密教を指します。

従来、日本には4以降は伝来しておらず、伝統的に1、2を「雑密」、3を「純密」、場合によっては4、5を
「左道密」と呼んできました。
しかし、現代の仏教学では、1、2を「初期密教」、3を「中期密教」、4、5を「後期密教」と呼びます。

チベットでは、インドでの分類を整理しながら、密教の発展を4段階で考えるプトゥンによる分類が有名で、日本でもこれを採用することが多いです。
これは、4、5の両方を「無上ヨガ(アヌッタラ・ヨガ)タントラ」とし、さらにそれを3分類にします。

4A 方便・父(ウパーヤ・ヨーギン)タントラ
4B 般若・母(プラジュニャー・ヨーギニー)タントラ
5  双入不二タントラ

「方便・父タントラ」はインドの「大ヨガ・タントラ」、「般若・母タントラ」は「母タントラ」に当たりますが、それを同格として、その後に、インドの分類にはなかった、両者を統合する「不二タントラ」を置きます。

同じチベットでも、ツォン・カパの思想を継承するゲルグ派は、「父タントラ」を上位に置き、「不二タントラ」を考えないので、下記のような分類になります。

4 般若・母(プラジュニャー・ヨーギニー)タントラ
5 方便・父(ウパーヤ・ヨーギン)タントラ

つまり、父タントラを上位に見る派と、母タントラを上位に見る派、両者を同格として統合する経典を考える派の、3派があったのです。


<プトゥンの分類>

プトゥンの分類に即して、順に簡単に説明します。

1 「所作タントラ」

2C頃に生まれ、息災・招福などの祈祷や儀式を中心にしています。
しかし、瞑想に関しても、「前方生起(自分の前に仏を観想して浄化する)」だけではなく、「我生起(自分を仏として観想する)」などの内面的な瞑想がないわけではありません。
釈迦から教えられた秘密の教えを執金剛が説くのが一般的で、マンダラは、その前形態としての三尊形式があります。

2 「行タントラ」

7C中頃の「大日経」が代表経典です。
祈祷や儀式を内面的に解釈し、悟りを目指すための日々の勤行が重視されるようになります。
瞑想法は、身(印・座法)・口(マントラ)・意(観想)の「三密」として体系化が進みます。
また、「有相ヨガ」と「無相ヨガ」を対比して整理し、本尊の観想と、イメージのない「空」とが、一体となる「深明不二」を目指します。

3 「ヨガ・タントラ」

7C後半の「真実摂経」(金剛頂経初会)に始まります。
「金剛杵」を仏の悟りの象徴とし、その観想を重視し、「金剛乗」を名乗りました。
また、欲望を否定せずに修行法(貧欲行)に転化したり、仏教以外の神などの「降伏(調伏)」も特徴とします。
主尊は法身大日如来(マハー・ヴァイローチャナ)です。
五仏・五智など、様々なものを五部(五族)の体系として整理し、悟りの内容がマンダラとして表現されました。
また、マントラをマンダラの諸尊の忿怒形、ダラニを諸尊の三昧耶形に対応させて、体系化しました。
瞑想法としては、マンダラを身体の部位に観想する「微細ヨガ」や、マンダラを広げたり収縮させる「広観・斂観」を行います。

4 「無上ヨガ・タントラ」

8C後半の「秘密集会タントラ」や、「サマーヨガ・タントラ」に始まります。
シッダと呼ばれる僧院外の修行者が重視され、反出家主義、反戒律的傾向が強まります。
無上ヨガ・タントラは、煩悩や欲望を否定せず利用し、また、生得的な欲望を肯定します。
忿怒尊が重視され、異教の神の調伏を行いますが、煩悩の破壊をも意味します。
それは、煩悩や欲望の単なる否定ではなく、浄化、変容、活性化です。
ここに、タントラ・密教が、「活性化の道」、「変容の道」と呼ばれるゆえんがあります。

プラーナの生理学説をベースにした輪廻の理解、意識の階層性の理論が特徴で、「三身修道」による三身の獲得を特徴とします。
行法としては、尊格とマンダラの生滅を観想してそれに一体化する「生起次第」と、生理学的ヨガ(プラーナをコントロールするヨガ)である「究竟次第」の2系列があります。
本尊は忿怒の「父母仏(=合体尊、歓喜尊)」が中心となります。

下位カテゴリである「方便・父タントラ」は、8C後半の「秘密集会タントラ」を代表とする潮流です。
「死の浄化」をテーマにしていて、ヒンドゥー教の冥界王ヤマを調伏する「ヤマーンタカ」を重視します。
死を浄化する「死のヨガ(ピンダグラーハ)」によって「光明」を体験して「空」を理解します。

「般若・母タントラ」は、9C以降の「サマーヨガ・タントラ」、「ヘーヴァジュラ・タントラ」、「サンヴァラ」系タントラを代表とします。
母タントラは、「性・生命力の浄化」をテーマにしていて、ヒンドゥー教の生命力を象徴する女神を調伏する「ヘールカ」が本尊で、女性忿怒尊も重視します。
受胎を浄化する「性のヨガ(ビンドゥヨガ)」によって「大楽」を体験して「空」を理解します。

「不二タントラ」は、父・母の両タントラを統合したもので、基本的に、10~11Cに成立した「カーラチャクラ(時輪)タントラ」を指します。
全インド仏教を統合すると共に、終末論、占星学などの西方の思想も統合し、インドにおける神智学の一大統合をなしとげました。

「無上ヨガ・タントラ」の詳細に関しては、別項をご参照ください。


<ニンマ派の分類>

チベットのニンマ派は、独特の分類をします。

上記のインドで分類の4「マハー・ヨガ」、5「ヨーギニー・タントラ」、チベットのプトゥンの分類の4「無上ヨガ・タントラ」を、すべて「マハー・ヨガ」と呼びます。
そして、独自の観点から、ニンマ派のみが伝承する、より上位なものとして、5「アヌ・ヨガ」、6「アティ・ヨガ」を立てます。

4 マハー・ヨガ :順を追って形をイメージする観想、到達する境地はマハームドラーと同じ
5 アヌ・ヨガ :本質を重視して一挙にイメージする観想、到達する境地はゾクチェンと同じ
6 アティ・ヨガ :観想は行なわず、自然に清浄な現れが生まれるようにする

「アヌ・ヨガ」、「アティ・ヨガ」を上位に置くのは、根源的な意識は本来的に悟っているので、意識的な瞑想方法を行わないものほど評価しているからです。
ただし、「アティ・ヨガ」は、「ゾクチェン」とほぼ同じですが、密教的な方法を使い、段階を追って進む道という点で、純粋な「ゾクチェン」とは区別ができます。


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タントラの身体論 [中世インド]

タントラは、肉体ではない霊的なレベルでの身体論・生理学を生み出しました。
これに類したものは、オリエントやヨ-ロッパの神智学にはありませんが、中国にあり、相互に影響関係があったと推測されます。

ただし、身体(心身)を3つの階層性として、「粗大身/微細身/原因(極微)身」で考えることは、バラモン哲学など、タントラ以前からの伝統を継承していますし、これは、「霊(ヌース)/魂(プシュケー)/体」というオリエントの神智学と共通します。

しかし、タントラの霊的身体論は、身体的の構造論でもあり、また、死→死後生(中有)→誕生という輪廻のプロセスを解明する理論でもありました。
また、修行や医療の基礎理論にもなりました。

霊的身体論は、身体的な修行法と一体です。
様々な器官は、そのように存在するというより、そのように観想して操作するためのものです。
つまり、客観的存在というより、主観的・操作的存在です。

修行法としては、「ハタ・ヨガ」や「クリヤ・ヨガ」と呼ばれる、座法やプラーナ(気)のコントロール、観想やマントラ(秘音)を重視したヨガが生まれました。
後期密教においては、これらは、「生起次第」と「究竟次第」という形で体系化されました。


タントラの霊的生理学の構成要素は、微細で流体的な力である「プラーナ(生命風)」、その流路である管脈の「ナーディ」、中枢的な器官である「ビンドゥ(ティクレ、点、心滴)」、「チャクラ」、プラーナのエネルギーである「クンダリー」と「アムリタ(甘露)」などです。

ただし、具体的な構造などに関しては、時代、宗派、経典によって様々です。


<プラーナ(ヴァーユ)>

「プラーナ(チベット語で「ルン」、漢訳は「風」、「気」)」は、それが流れる場所によって、名前、性質が異なります。
ですが、ひっくるめた総称としても「プラーナ」という言葉が使われることもあり、それ以外では、「ヴァーユ(風)」、「ヴァータ」という言葉も使われます。

・プラーナ:心臓周辺を流れ、呼吸に関わる、通常は上向きに流れる
・アパーナ:肛門周辺を流れ、排泄に関わる、通常は下向きに流れる
・ヴァーナ:身体全体を流れ、すべての運動やエネルギーに関わる
・サマーナ:へそ周辺で消化に関わる
・ウダーナ:頭部及び手足を流れ、知覚や思考に関わる

以上の「五風」が代表的なプラーナです。

行法においては、上向きに流れる「プラーナ」を下に押し下げ、下向きに流れる「アパーナ」を押し上げ、「サマーナ」の流れるヘソ下の部分に合流・圧縮する(瓶ヨガ)ことが、重要な方法となります。

また、後期密教では、プラーナは流れる場所で微細さが異なるとします。
一般のナーディを流れるものは「粗大なプラーナ」、中央管を流れるものは「微細なプラーナ」、ビンドゥの中は「極微のプラーナ」とされ、それぞれが意識の微細さに対応します。


<ナーディ>

ヴァーユが流れる脈管の「ナーディ」は「蓮の茎」が原義です。
大小多数のナーディがあり、ナータ派ではその数は7万2千と言われ、へそ下の「カンダ」に発するとします。
主要なものは、ナータ派は10、シュリー・クラ派では14など、いつくかの数え方がありますが、最も主要なものは、中央管、左右管の3本です。

     (ヒンドゥー)  (密教)   (チベット語) 
・中央管:スシュムナー:アヴァドゥーティー:ウマ
・左管 :イダー   :ララナー     :キャンマ
・右管 :ピンガラー :ラサナー     :ロマ

中央管は、「ウパにシャッド」では頭頂から心臓まででしたが、ナータ派で臍下までに伸び、シュリー・クラ派で基底部までとなりました。
また、中央管は4重の構造になっていて、外から「スシュムナー」、「ヴァジュラー」、「チトリニー」、「ブラフマ」と呼ぶ説もあります。

左右管は、ナータ派では、臍下部のチャクラに発し、中央管の左右に平行し、シュリー・クラ派では、会陰部のチャクラに発し、チャクラで交差しながら螺旋状に伸びます。
そして、左右の鼻孔、あるいは、眉間や頭頂のチャクラまで至る、とする諸説があります。

後期密教では、各チャクラで中央管に絡みついてそれを締めているとします。
右管は中央管に右巻きで巻き付き、左管は左巻きで巻き付き、チャクラの間は、右管は常に右側、左管は常に左側を通ります。
そして、胸にチャクラのみ2回、あるいは、3回巻き付き、他のチャクラは1回巻き付きます。

ちなみに、「ナーディ」は、中国の「経絡」に相当するような存在ですが、「経穴(ツボ)」に存在する概念もインドにはあって、「マルマ」と呼ばれます。


<チャクラ(パドマ)>

「チャクラ(密教の漢訳は「輪」)」は、中央管に沿って複数存在する機関です。
シュリー・クラ派では「パドマ(蓮華)」と呼び、この呼名は仏教でも使います。

ヒンドゥー系では、チャクラは、クンダリーを通過させるなどして、チャクラを活性化すると回転し、また、それぞれに対応する機能が高められるとされます。
一方、後期密教では、チャクラは、脊髄とは垂直に放射状に伸びるナーディとされ、頭頂と胸のチャクラの脈管は傘の軸が下向いているように、喉と臍のチャクラは上向きになっています。
左右管が中央管を締め付けているため、それをゆるめると、チャクラから中央管の中にプラーナを流入させることができるとします。

仏教では、経典によって4~6つのチャクラを数えます。
それに対して、ヒンドゥー教では、一般に7つのチャクラがあるとされますが、決して伝統的に7に決まっていたわけではありません。
ウパニシャッドには、詳しい記述はなく、経典によって数も異なります。
10-11Cの「クブジカー・タントラ」は、7つのチャクラを説きます。
ですが古くから、多数のチャクラが数えられ、主要なチャクラに関しても、7つとは限りません。

ハタ・ヨガを生み出したナータ派の初期の文献では、細かく数え上げると頭頂のチャクラより上の頭上の6つを含め、全部で28を数えます。
その開祖的人物であるマツェーンドラは、主要なチャクラを8つとします。
最初のハタ・ヨガ経典であるナータ派の「ゴーラクシャ・シャタカ」でのチャクラとその対応は下記の通りです。

(部位)(チャクラ)  (元素)(種字)(神)
・頭頂:マハー・パドマ :虚空 :ハ :破壊のシヴァ
・眉間:名称無表記   :風  :ヤ :イーシュヴァラ
・口蓋:ランピカー   :火  :ラ :ルドラ
・喉 :ヴィシュダ   :水  :ヴァ
・心臓:アナーハタ   :土  :ラ
・臍下:マニプーラ   
・性器:スワディスターナ
・基底:アーダーラ

最初にインド人によって英訳されたハタ・ヨガ系経典は、シュリー・クラ派の「シヴァ・サンヒター」で、この経典は、初めてチャクラを体系的に説きます。
そのチャクラの数が7つで、細かく見ると9つです。

世界的に7チャクラ説が広がったのは、この翻訳と、ジョン・ウッドロフの「サーペント・パワー」がヒットや、神智学協会のリードビターの書作の影響が大きいのかもしれません。
神智学のバックボーンには、オリエントの神智学の影響があります。

7つのチャクラは、主宰神、動物、元素、梵字、色などとも対応付けられるようになり、7部の象徴体系になりました。

「シヴァ・サンヒター」における7チャクラの体系的対応は下記の通りです。

(部位)(チャクラ)   (弁数)(種字)
・頭頂:サハスラーラ   :1000弁
・眉間:アージュニャー  : 2弁 :OM
・喉 :ヴィシュダ    :16弁 :HAM
・心臓:アナーハタ    :12弁 :YAM
・臍下:マニプーラカ   :10弁 :RAMEN
・性器:スワディシュターナ: 6弁 :VAM
・会陰:ムーラダーラ   : 4弁 :LAM・KLIM

頭頂のサハスラーラ・チャクラは、「ブラフマランドラ」とも呼ばれますが、これは一つのチャクラ・場所ではなく、複数のチャクラ・場所をまとめた表現であるとされ、下記のような3つのチャクラから構成されます。

(部位)  (チャクラ)        (ナータ派)
・頭上:ビンドゥ(ドワーダシャーンタ):コールハタ
・頭頂:ナーダ            :アムリタ(ランピカー)
・額 :シャクティ(トリヴェーニー) :トリヴェーニー

頭上の「ビンドゥ・チャクラ」は、シヴァ神のいるカイラス山とも表現されます。
ちなみに、ナータ派では、「コールハタ・チャクラ」です。
頭上というのは、クンダリーを上昇させて頭頂で止めずに抜け出させた時、ここに至るとするのです。

頭頂の「ナーダ・チャクラ」には、「カンダ」があり、その中に「ヨーニ」があり、トリプラ女神がいるとされます。
ここには、「チャンドラ(月)」もあり、つまり、「アムリタ(甘露)」の源です。
ナータ派では「アムリタ・チャクラ」、「ランピカー」と表現し、細かくは、さらにこの下に「チャンドラ・チャクラ」があるとします。
また、このチャクラは、「ソーマ・チャクラ」、「チャンドラ・チャクラ」、「マナス・チャクラ」、「カーラ・チャクラ」、「ララナー・チャクラ」など多数の異名を持ちます。

額の「シャクティ・チャクラ」は、「梵孔(アーダーラ)」とも呼ばれ、チトラー女神がいるとされます。
ナータ派は「トリヴェーニー・チャクラ」と呼びます。

眉間の「アージュニャー・チャクラ」を「ブラフマランドラ」と呼ぶこともあります。
ここにも、シヴァ神がいるとされます。

心臓の「アナーハタ・チャクラ」は「フリダヤ・チャクラ」とも呼ばれ、秘音(ナーダ音)を発していて、これを聴く瞑想が行われます。
ここは、二元性を克服するチャクラとも言われ、また、ここにアートマンがあるとされます。

臍下の「マニプーラカ・チャクラ」は、消化の火(サマーナ)を司るとされます。
ここには生命力(アムリタ)を消費する「スーリア(太陽)」があります。

クンダリーのいる場所は、ナータ派では臍下の「マニプーラカ・チャクラ」、シュリー・クラ派では会陰部の「ムーラダーラ(アーダーラ)・チャクラ」ですが、ここは「カンダ」、「ヨーニ」がある(である)とも言われます。
「カンダ」は「球」であり、クンダリーを運ぶハンサ鳥の卵、ヴァーユの源です。
そして、「ヨーニ」は三角で表される子宮です。

後期密教においては、頭(眉間)、喉、心臓、臍下の4輪説が有力ですが、「大日経」は頭頂部を加えた5輪説、「カーラチャクラ・タントラ」は会陰部(秘密処)を加えた6輪説です。

4輪説が有力なのは、「四空説」と対応づけることを重視したからでしょう。
頭(眉間)部は「大楽輪」、喉部は報身の「受用輪」、心臓部は法身の「法輪」、臍下部は変化身の「变化輪」です。

(部位)(チャクラ)(弁数)(向き)(マントラ)(元素)
・頭部 :大楽輪  :32弁:下向き :HAM   :風
・喉  :受用輪  :16弁:上向き :OM   :火
・心臓 :法輪   : 4弁:下向き :HUM   :水
・臍下 :变化輪  :64弁:上向き :AM   :地
・会陰 :守楽輪  :32弁:下向き


<グランディ、リンガ/シャクティ>

3つのチャクラ(のある部分の中央管)には、「グランディ」と呼ばれる結び目があります。
上から、眉間部の「ルドラ」、心臓部の「ヴィシュヌ」、会陰部の「ブラフマ」の「グランティ」です。
これは、クンダリーが通る上の障害となっているため、それをゆるめておく必要があります。

また、同じ3つのチャクラには、リンガ(シヴァ神の現れ?)とそれに対応するシャクティがいるとされます。

リンガは、眉間部に「トゥリーヤ(第四状態)・リンガ」、心臓部に「パーナ(矢)・リンガ」、会陰部に「スワヤンブー(自生)・リンガ」です。

そして、シャクティは、眉間部に「パラー(至高)・クンダリニー」、もしくは「アクラ(月)・クンダリニー」、心臓部に「チット(心)・クンダリニー」、もしくは、「太陽のクンダリニー」、会陰部に「プラーナ・クンダリニー」、もしくは「クラ・クンダリニー」です。

 (チャクラ) (グランディ)(リンガ)  (シャクティ)
・アージュニャー:ルドラ  :トゥリーヤ :パラー・クンダリニー
・アナハタ   :ヴィシュヌ:パーナ   :チット・クンダリニー
・ムーラダーラ :ブラフマ :スワヤンブー:プラーナ・クンダリニー


<クンダリー(クンダリニー、チャンダリー)>

「クンダリー」の初出は、7Cの仏教経典の「陀羅尼集経」における「軍茶利明王」です。
「軍茶利明王」は女神で、甘露と関係しています。
ヒンドゥー教における初出は、10-11Cの「タントラ・アーローカ」です。
「クンダリー」の原義は不明ですが、おそらく、火の性質を持った生命力・創造力のシャクティで、女神でもあり「クンダリニー」とも表現されます。

「クンダリニー」は「火壇(クンダリ)処の女神」という説があります。

一般に、「クンダリー」は、会陰のチャクラのある場所に眠るエネルギー(アパーナ)とされます。

「クンダリー」は、とぐろを三巻半巻いた蛇に喩えられ、中央管の下の口をふさいでいます。
これを覚醒させて、頭頂、あるいは頭上まで上昇させることが目指されます。

ですが、ナータ派では、臍下のチャクラのある場所に、とぐろを八巻きしているとされました。

後期密教では「チャンダリー(チベット語で「トゥモ」)の火」、「智恵の火」と呼ばれ、臍下にあるとされるので、ナータ派との近さを感じさせます。

目覚めたばかりの荒ぶる「シャクティ」を「カーリー」、コントロールされるようになった「シャクティ」を「ドゥルガー」と呼ぶこともあります。
そして、「クンダリニー」が頭頂のサハスラーラ・チャクラに登ることを、「シャクティ」と「シヴァ」の合一と考えます。
これは、神話的には、宇宙創造時への回帰でもあります。

本来、クンダリーの上昇は、火壇における炎(護摩の火)のイメージだったのでしょう。
また、鳥(ハンサ鳥)に乗って飛翔する姿でもイメージされます。


<ビンドゥ(ティクレ)、チャンドラ/スーリア>

ビンドゥ(チベット語は「ティクレ」、漢訳は「点」、「心滴」)」は、霊的な身体の核に当たる存在で、そこから生命エネルギーが生まれます。

後期密教においては、「ビンドゥ(ティクレ)」は、一般に、頭頂、心臓、臍下に3つ存在し、それらの意味がしっかりと体系化されています。

ですが、ヒンドゥー・タントラにおいては、「ビンドゥ」という言葉は様々に使われ、霊的な身体の核に関しても様々な説があります。

「ビンドゥ」という言葉の原義は、梵字のオームの上にある点で、それ以外に、シヴァ神の象徴であったり、性ヨガにおける「精液」の象徴表現だったりします。

霊的身体の核は、一般に、頭部の「チャンドラ(月)」と、臍下の「スーリア(太陽)」の2つとされますが、その中に「ビンドゥ」があるとか、あるいは、それらの場所や名称には各種の説があります。

例えば、「サハスラーラ・チャクラ」内に「ビンドゥ」があるとか、あるいは「チャンドラ・(チャクラ)」や「アムリタ・チャクラ」内に「ビンドゥ」があるとされます。

また、「アナハタ・チャクラ」の中にも「ビンドゥ」があり、そこにアートマンがいるとも言われます。
「ビンドゥ」は秘音「ナーダ」の根源で、それが消え入るところとされることもあります。

後期密教では、下のような3つの「ビンドゥ」があるとします。

・不滅のティクレ       :胸のチャクラにあり、輪廻する極微な心・風がある
・白いティクレ(化作の心滴):頭頂のチャクラにあり、父親に由来する
・赤いティクレ(秘密の心滴):臍下のチャクラにあり、母親に由来する

ただし、「カーラチャクラ・タントラ」では、眉間にもあるとします。
また、観想においては、鼻先や男根に、「ビンドゥ」を観想することもあります。

ジュニャーナパーダ流では、3つの心滴が一つに融解したものを「真実の心滴(テニー・ティクレ)」と呼びます。

各「ティクレ」の霊的生理学上の意味については、下の<輪廻の霊的生理学>の項目をお読みください。


<アムリタ、菩提心>

上述した「ビンドゥ(ティクレ)」、「チャンドラ」、「スーリア」からは、ヒンドゥー・タントラで「アムリタ(ソーマ、ネクター、甘露)」、後期密教で「菩提心」など呼ばれる生命エネルギーが生まれます。
ヒンドゥー・タントラや医学では、根源的な生命力としては「オージャス」という言葉も使われます。

凝縮した風の一種だと思われますが、「ビンドゥ」の「融解液」などと表現されることもあります。

また、ヒンドゥー・タントラでは、「精液(ビンドゥ)」は「チャンドラ」で作られ、「経血(ラジャス)」は「スーリア」で作られるとされます。

後期密教では、頭頂の「ティクレ」が融解したものを「精液」、臍下の「ティクレ」が融解したものを「経血」とも表現し、「チャンダリーの火」を後者と同一と考えます。

ヒンドゥー・タントラでは、「アムリタ」は、「チャンドラ」で作られ、左管を通って下り、全身に回りつつ、臍下部もしくは会陰部の「スーリア」で消費されてしまいます。
つまり、人間の生命力は、アムリタとして現れ、それが「スーリア」による消化や、性器による性行為によって消費されることで、老化し、死ぬのです。

ちなみに、この考えは、道教の仙道でもほとんど同じです。

それに対して、首の筋肉を締めて(ジャーランダラ・バンダ)、軟口蓋の上方に舌をつける瞑想(ケーチャリー・ムドラー)によって、垂れた「アムリタ」を舌と喉のヴィシュディ・チャクラで受け止めて(飲む)「アムリタ」を消費せずに、全身に回して滋養することができます。

あるいは、「逆行の行(ヴィパリータ・カラニ)」によって、性的エネルギーを「チャンドラ」まで上昇させたり、「チャンドラ」から垂れた「アムリタ」混合して上昇させたりします。
また、性ヨガ(ヴァジローリー・ムドラー)によって「ビンドゥ」と「ラジャス」を混合し、身体を浄化・滋養します。
これらの行は、錬金術的な哲学とも対応しています。

後期密教の行法においては、「白いティクレ」を融解して「菩提心」を垂らしたり、「赤いティクレ」を発火させて上昇させたりします。
そして、両者を混ぜたり、それによって全身を滋養したりします。
また、すべての風を「不滅のティクレ」に流入させることもあります。

そして、頭頂のチャクラに「ヘールカ」がいて、「菩提心」が垂れると、各チャクラにいるダキニと合一すると考えました。
特に、臍下のチャクラの「チャンダリー」を明妃「ヴァジュラ・ヴァーラーヒ(ダキニ)」としました。


<輪廻の霊的生理学>

後期密教では、輪廻のプロセスが、霊的生理学からも説明がなされるようにいなりました。

死に際しては、順に、以下のような現象が起こります。

1 全身のナーディの中のプラーナがすべて左右管の中に入る

2 頭頂の左右管の結び目がほどけて、胸より上の左右管の中のプラーナが中央管に上の穴から入り、頭頂のチャクラの中にある「白い心滴」が胸のチャクラの上まで降りて来る

3 性器の付け根にある左右管の結び目がほどけて、胸より下の左右管の中のプラーナが中央管の下の穴から入り、へそのチャクラの中の「赤い心滴」が胸のチャクラの下まで昇ってくる

4 中央管の中のプラーナが胸に集まり、胸チャクラの上下の結び目がほどかれ、「白い心滴」と「赤い心滴」が「不滅の心滴」に溶け込み、微細な意識がすべて崩壊する

次に、中有のプロセス(死後の霊的存在の期間)です。

5 死後3日ほどで肉体にあった「不滅の心滴」から、「白い心滴」が離れて性器の先から、「赤い心滴」が離れて鼻から対外に排出され、肉体は腐り始める
同時に、不滅の心滴は開かれ、極微の意識とプラーナが外に出ていき、中有の霊的な身体が誕生する

6 霊的な身体は7日ほどの寿命で、7日ごとに死と、中有の体の再生を繰りかえし、最大で7回、49日の間、中有に留まる

次に、受胎のプロセスです。

7 再生を前にした中有の者は、父と母の性行を見ると、どちらかに欲望、一方に怒りを感じながら、中有の身体は死に、母の子宮に入る

8 父と母は、性行によって、それぞれ、「白い心滴」、「赤い心滴」が放出され、子宮の中で混ざって「不滅の心滴」となり、そこに中有の者の意識が入り込む

9 「不滅の心滴」から順次、中央管、左右管、全身の脈管、肉体が作られていく
また、「不滅の心滴」から一部が頭頂と臍下のチャクラへと分かれて行き、「白い心滴」、「赤い心滴」になり、それぞれが全身を滋養する

最後に、誕生のプロセスです。

10 誕生時には、4人の女尊が歌を歌い、中央管に中に入って覚醒を促すと、中央管に中にあった主要なプラーナが、中央管の外に出て、この時、赤ちゃんは呼吸と、知覚を始める



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タントラ(ヴァジュラヤーナ、密教)の思想 [中世インド]

タントラは、インド及び周辺地域に台頭した中世の宗教運動を特徴づけるものです。
5Cのグプタ朝後期頃に生まれ、9-12C頃が最盛期でした。


タントラは、非アーリア人(インド原住民)の宗教を、仏教、ヒンドゥー教、ジャイナ教が吸収した超宗派の宗教潮流で、神秘主義的傾向が強い思想です。
また、西方の神智学の影響を受け、それを発展させた部分もあります。


「タントラ」という語はサンスクリット語で「横糸」を意味し、そこから「知識(意識)を広げる」という意味も持ち、(特定の種類の)教義、経典を指すようになります。


欧米の学問では「タントリズム」、仏教のそれは、「タントラ仏教(タントリック・ブッディズム)」という言葉を使います。
本ブログでは、思想を指す場合は、主に「タントリズム」を使用します。


ヒンドゥー教では、「ヴァデディカ(ヴェーダ派)」に対して「タントリカ(タントラ派)」という言葉が使われます。
仏教自身の表現では、「波羅蜜多乗(パーラミターヤーナ)」に対する「金剛乗(ヴァジュラヤーナ)」、あるいは「真言乗(マントラ・ヤーナ)」になります。
漢字文化圏では、「顕教」に対する「密教」ですが、狭義で「密教」と言えば、「タントラ仏教」を指します。


「タントラ」は、特定の経典に関する呼称ですが、一般に、「スートラ(縦糸)」に対する「タントラ(横糸)」として対比することが多いのです。
タントリズムの多くの経典は「タントラ」と名付けられていますが、すべてがそうではありません。
ヒンドゥー教シヴァ派では、実践的経典を「アーガマ」、理論的経典を「ニガマ」、ヴィシュヌ派では「サンヒター」と呼ぶこともあります。



<バックボーン>


タントリズムのバックボーンは、非アーリア人、カーストで言えば、第4カーストのシュードラやアウトカーストの文化です。
これには、大きく分けると、男性神・男性原理を重視する潮流と、女神・女性原理を重視する潮流の2種類があります。


前者は、太陽神・嵐神などを信仰する新石器・農業文化の豊穣・聖婚信仰で、シヴァ教やヴィシュヌ教、父タントラに影響を与えたと思われます。


後者は、太母・地母神などを信仰する旧石器・狩猟文化以来の豊穣信仰で、シャクティ教や母タントラに影響を与えたと思われます。
ヒンドゥー教に入らない土着の女神宗教の「マリアイ」は、こちらでしょうか。


グプタ朝滅亡後、7、8Cには、女神信仰が興隆しました。
ヒンドゥー教では、各地の女神が、大女神のデーヴィー、あるいは、ドゥルーガーやカーリーと同一の神であるとして、あるいは、シヴァの前身のルドラの妃サティの生まれ変わりとして、シヴァの妃として、ヒンドゥー教に取り込まれました。
南インドの各地の女神がシヴァと婚姻したという考えによって、南インドの宗教はヒンドゥー教と習合しました。


インドでは、時代が進むに従って、後者の女神を重視する潮流が重要となります。
タントラは、その核心部において、「屍林の宗教」と呼ばれる、死体置き場の性的儀礼を含む女神信仰の影響を受けていると考えられます。


インドの葬送形態は風葬のための、都市周辺に遺体置き場の森(屍林)がありました。
そこには、先住民独自の女神信仰があり、その女司祭と、そこで修行を行うヨガ行者がいました。
女司祭は、オリエントの神殿聖娼のような、女神に仕えて、性的儀礼を行う司祭、信者だったのでしょう。
ヨガ行者は、灰を体に塗り、プラーナのコントロールを行うような、古くからのヨガの伝統を受け継ぐ行者だったのでしょう。
祭りにおいては、ディオニュソス的な狂宴が行われました。
タントリズムは、そんな「屍林の宗教」を強く受けて生まれました。


11~12Cになると、「ヨーギニー」と呼ばれる魔女的な、性ヨガも行う女性修行者が興隆します。
農耕文化をバックボーンに持つ忿怒の女神から、非農耕的で、より秘教的・実践的な女性神格に変化したのでしょう。



<展開と宗派>


タントリズムが台頭してきたのは、グプタ朝後期5・6C頃で、北東部のベンガルやアッサム、北西部のカシミールを中心に興りました。 
はっきりしたことは分かりませんが、最初に仏教が、少し遅れてヒンドゥー教が、その後、ジャイナ教がタントリズムを取り入れたようです。


ヒンドゥー教は、上位3カーストしか救済の対象にしません。
しかし、タントリズムは、非アーリア人や第4カーストの宗教を取り入れたものなので、反ヴェーダ、反バラモン的傾向を持つ場合もあります。
もともとカーストを認めず、グプタ朝下ではヒンドゥー教に押されていた仏教の方が、積極的にタントリズムを生み出す要因があったと予測できます。


ただし、ヒンドゥー教も様々で、シヴァ教には、初期からタントラ的要素あったようです。



ヒンドゥー教系のタントリズムは、主神の違いから3つに分けられます。


・シヴァ教(シャイヴァ)     :聖典シヴァ派、カシミール・シヴァ派、ナータ派 など
・ヴィシュヌ教(ヴァイシュナヴァ):パンチャラートラ・ヴィシュヌ派 など
・シャクティ教(シャークタ)   :シュリー・クラ派(シュリー・ヴィドヤー派) など

* これらは、一般にヒンドゥー教の「シヴァ派」、「ヴィシュヌ派」、「シャークタ派」と呼ばれますが、それぞれで主神が違うので、当ブログでは「シヴァ教」、「ヴィシュヌ教」、「シャクティ教」と表現します。

シャクティ教は、シヴァの妃のシャクティ、カーリーやトリプラスンダリーなどの女神、女性原理を信仰する一派です。

それぞれの派の中にも、タントラ色の強い派もあれば、伝統色の強い派もありますが、全体として見れば、シャクティ派>シヴァ派>ヴィシュヌ派 の順にタントラ色が強いようです。


タントラ仏教の場合は、本来の主尊は仏陀なので、ヒンドゥー・タントリズムのように主尊で宗派を分けることはできず、タントラ(経典)の発展段階での分類が重要です。
ですが、女性尊・女性原理(般若)を重視する母タントラ、男性尊・男性原理(方便)を重視する父タントラ(マハー・タントラ)があり、どちらを重視するかによって、宗派の特徴を区別することは可能でしょう。



<思想的特徴>


タントリズムは、多様な潮流があるので、その特徴をまとめることは、困難です。
ですが、列記すると、下記のようなものがあります。


・現世肯定的(欲望を単純に否定しない)
・身体を重視し、神の神殿と考える
・万物照応(階層的世界観と象徴的連鎖)の世界観
・霊的生理学を有し、プラーナをコントロールするヨガを重視する
・波動を主体とした宇宙論を持ち、マントラを重視する
・呪術的(増益、調伏、息災、敬愛)
・グルを重視し崇拝する
・寺院への出家よりも、遊行や在家を好む
・教義の学習よりも瞑想実践を重視する
・象徴を重視し、瞑想においては観相法を重視する
・尊格を自分自身として観相する行法である成就法(サーダナ、本尊ヨガ)を重視する
・プージャ(供養)やホーマ(護摩)の儀礼を重視する
・秘密主義であり、灌頂の儀礼や独特の戒を有する
・占星学や錬金術、魔術を有する
・性的表現や性ヨガを重視する
・死(墓場、死体、骸骨、灰)や精液、血、糞尿などを重視する
・豊富なパンテオンを有する(表現としてのマンダラ、ヤントラ)
・女神信仰や女性的な力を重視する
・本来は低い位階の精霊や悪鬼などとされていた存在が、高位の尊格に昇格することがある
・イコンは、多面多臂、分怒相、合体相(歓喜相)、舞踏相を特徴とする
など



タントリズムの最大の思想的な特徴は、従来のインド思想が「現世否定」的性質が強いのに対して、「現世肯定」的性質が強いことでしょう。


ヒンドゥー教では、従来の思想(ブラフマニズム)の方法が、「ニヴリッティ・マールガ(寂静の道)」と表現されるのに対して、タントリズムは「プラヴリッティ・マールガ(増進の道)」と表現されます。


ヒンドゥー教では、「四住期」という考えがあって、人生の前半の第1、2期では世俗的繁栄を目指す「増進の道」を歩み、後半の第3、4期では精神的至福・解脱を目指す「寂滅の道」を歩むべきとされました。
しかし、人生の時期の違いではなく、目指すものの違い、思想の違いとしても、表現されるようになったのです。



チベットのニンマ派でも、これに対応するような、「放棄の道」に対する「変容の道」という表現があります。


簡単に言えば、心身を止滅させる解脱を目標とする(だけ)ではなく、心身を活性化することも目標とします。


あるいは、解脱の方法論として、心身の活性化を採用します。
例えば、「欲望」を否定せず、それを純粋なエネルギーに変えて浄化することを目指す傾向があります。


タントリズムは現世肯定的なので、「身体」を重視することも特徴です。
旧来の現世否定的思想では、身体は、否定されるべきものですが、タントリズムでは、身体は「神の神殿」と考えます。
身体的な瞑想修行法(ハタ・ヨガ)においても、身体のエネルギーとしての身体基底部にあるクンダリニー(=シャクティ)を、頭頂のシヴァに帰一させた後、再度、下降させ、身体性を清浄なものとして再創造し、活性化します。



<哲学的特徴>


タントリズムの、現世肯定的特徴は、その哲学にも表現されます。


サーンキヤやヴェーダーンタのなどの古典哲学では、世界創造は誤認(マーヤー)に基づく汚れであり、否定的な意味を持つ行為です。
しかし、タントラ哲学では、世界創造は、解脱のための必要なプロセスとして肯定的に考えられたり、神の「遊戯」として絶対肯定されます。
世界創造を「遊戯」とする立場は、「自由」を最大限に重視する思想的表現です。


東方の神智学は、至高存在を、「静的次元(元母・両性具有)/核的次元(原型・意志・父―素材・知恵・母)/創造的次元(光・言葉・子)」の3段階・3原理で考えましたが、タントリズムは、男女の2段階・2原理で考えました。
「静的な男性原理」の「シヴァ」と「動的な女性原理(世界創造のエネルギー)」の「シャクティ」などです。
この男女の2原理が、神として、聖婚、合一し、世界を創造します。
これは、サーンキア哲学の「プルシャ(純粋意識)/プラクリティ(根本原質)」のタントラ版ですが、人格神的な要素が加わっているのが特徴です。
また、2原理の不二性・一体性を説きます。


密教では、抽象的な原理としては「方便/智慧」、尊格としては「仏/仏母(明妃、ダキニ)」などとして表現されます。
仏教の場合、「方便」などの男性原理が動的で、「智恵」などの女性原理が静的原理となり、ヒンドゥー教とは逆です。
ですが、母タントラでは、動的女性原理である「ダキニ」が重視されるようになります。


サーンキヤ哲学では、世界はプラクリティに帰一し、プルシャから切り離すことが目指され、プルシャは否定されます。
このように、旧来の思想では、現世否定的な傾向があります。
しかし、タントリズムでは、男性原理と女性原理の一体性を重視し、さらには、女性原理による動的創造を重視する傾向があります。



タントリズムは現世肯定の思想であるため、イメージや概念なども否定しません。


イメージや概念は「象徴」性を高めて使われ、それをより根源的な次元に上昇したり、心身を浄化するための手段とします。
そのため、マントラの念誦や観想を重視します。


マントラ重視の背景には、世界を様々な周波数の波動として捉える世界観があります。
マントラは、特定の神的エネルギーの表現であると考えられます。


神的存在を表現するにあたっては、否定神学や空思想のように、「○○でない」といった否定的表現を行うことは少なく、象徴的に表現したり、言語表現をせずに「それだ」と直接的に指し示します。
もちろん、概念的に表現する場合はパラドキシカルになります。


象徴は、照応的世界観の要でもあります。
内外、心身、上下の位階の世界は、象徴を通して結びつきます。


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