カルロス・カスタネダとドン・ファン・シリーズ [現代]

カルロス・カスタネダ(1925-1998)は、1968年出版の第1作「ドン・ファンの教え(邦題:呪術師と私―ドン・ファンの教え)」から、1999年の第11作「無限の活動面(邦題:無限の本質-呪術師との訣別)」までの全11作のドン・ファン・シリーズ(以下「シリーズ」)で、ドン・ファンに弟子入りして継承した教えを、ストーリー形式で伝えました。

ドン・ファンは、ファン・マトゥスという名(本名ではない)のヤキ・インディアンで、メキシコのソノラ州に住み、トルテカの伝統的なシャーマンの教えを受け継ぐとされる人物です。

カスタネダの体験は驚くべきものであり、ドン・ファンの教えは深い思想を感じさせるものでした。
また、カスタネダは、この研究で人類学の博士号を取得しました。

ですが、多くの人がカスタネダの著作をフィクションであると批判したり、そう受け止めています。
カスタネダの著作が、フィクションであるという明白な証拠も、逆に、ノンフィクションであるという明白な証拠も、出されていませんが、おそらく、ほとんどがフィクションでしょう。

しかし、フィクションだったとしても、シリーズはシャーマニズムの思想の可能性を広げるものでした。
それゆえに、ヒッピーの聖典にもなり、現在に至るまで、世界的に大きな影響を与えています。

そして、人類学を学ぶ者がフィールドワークで、単に話を聞くだけでなくシャーマンなどに弟子入りして修行を体験するという流れを作り、あるいは、心理療法家や、人生の道を求める者らが、シャーマンに教えを乞うという流れを作りました。

また、1993年頃から、ドン・ファンの弟子とされるカスタネダの仲間が、その教えの一部を実際にワークショップを通して教えています。
ですから、カスタネダの著作は、単に研究や小説という領域を超えて、実践的な宗教のようになりました。

cc.jpg


<疑いと様々な見解>

最初に、フィクションであるという疑いに関わる事項について書きます。

カスタネダは、自身の著作の内容が本当であるという証拠を、一切出しませんでした。
彼は、この研究で博士号を取得しているにも関わらず、です。

ですが、カスタネダの著作は、一般的な事実認定に基づく判断を行うような合理的な価値観を否定し、また、自身の履歴を公開するような生き方を否定する思想を示しています。
ですから、彼はドン・ファンの哲学を実践したとも解釈できます。
ですが、単に、この思想を都合の良い言い訳に使ったのだとも解釈できます。

シリーズがフィクションであるかどうかは問題ではない、という見解を示す思想家もいます。

フランスの哲学者のドゥルーズ=ガタリは、
「カスタネダの本を呼んでいくうちに、読者にはドン・ファンというインディアンの実在が疑わしくなり、他にも多くのことが疑わしくなる。しかし、結局それは、まったくどうでもよいことだ。カスタネダの本が民俗誌学というよりは諸説の混沌とした記述であり、秘技伝授についての報告というよりは、実験の定式であるとしたら、なおさらいいのだ」(1980)
と評価しました。

ですが、博士号を取得した研究が、フィクションであるとしたら、ほんとうに彼を評価できるでしょうか?

後で記すように、彼の担当教授だけでなく、複数の人類学者が、彼の著作に対して一定の評価をしました。
その一方で、フィクションであることを暴こうとした著作を発表したジャーナリストもいます。

シリーズが進むと、日付がなくなって、いつの出来事であるのか、あやふやになります。
つまり、人類学的記録という側面が、放棄されるのです。

それ以上に問題なのは、普通に読めば、物理的にはありえない話が多数でてきます。
1974年の第4作「力の物語(邦題:未知の次元―呪術師ドン・ファンとの対話)」では、ドン・ファンとその弟子の数名のシャーマン達は、我々の物質世界ではない別の世界に旅立ちました。
さらに、10年ほど後に、その中に一人だったキャロル・ティッグス(実在する人物です)は、戻ってきたことになっています。

カスタネダも、ドン・ファンが去った後、崖から飛び降りて、途中で別の世界を経由してテレポートしてこの世界に戻ってきました。

ドン・ファンがこの物質世界を去ったとしたことで、実際のドン・ファンを探そうという試みは封じられました。
ですが、シリーズの読者は、これを信じる者に限定されることになりました。

もはや、物語としての面白さではなく、カスタネダやその仲間の神格化を狙ったように感じます。
カスタネダは、ネオ・シャーマニズムの導師というよりも、新興宗教の教祖のようになりました。


ネオ・シャーマニズムを代表するマイケル・ハーナーは、カスタネダの知人でした。
1963年、ハーナーがカルフォルニア大学バークレー校で講義をした時、カスタネダの来訪を受けて、ドン・ファンの話を聞き、何か書いた方が良いとアドバイスしました。
そして、2-3週間後に原稿を見せてもらったそうです。

また、ヤキ・インディアンがダツラ(幻覚性植物)を腹に塗り込んで使うことが本当かどうか調べてほしいと依頼しました。
カスタネダのシリーズでは、この時点で、すでにダツラを経験していたはずなのですが。

また、ハーナーは、カスタネダから一緒にドン・ファンに会いに行こうと誘われましたが、スケジュールの都合で断ったそうです。
ですが、カスタネダを通して、ドン・ファンと連絡を取っていたそうです。

ハーナーは、ドン・ファンのようなシャーマンには会ったことがない、と言っていますが、その存在は信じていました。
ですが、シリーズの後半の書で語られるドン・ファンは、カルロスが「夢見た」ものだとも言っています。

また、ハーナーは、カスタネダについて、彼は「中間世界」から抜け出したことがなく、癒しへの言及もなく、呪術師の世界にいたと批判的に評しています。

カスタネダの妻だったマーガレット・ラニヤンは、カスタネダがしょっちゅうどこかに出かけていたので、ドン・ファンにはモデルとなったインディアンがいるけれど、それを脚色したのだろう、書いています。

ヤキ・インディアンとトルテック・インディアンの血統を持つ有名なメディスン・マンのタタ・カチョーラ(Tezlkac Matorral Cachora)は、自分がドン・ファンのモデルであると語っています。
彼は、カスタネダを助けたけれど、自分のことを隠して「ドン・ファン」という架空の存在を作り上げたと。
そして、1968年以降は、カスタネダは狂ってしまったと。

ですが、実際には、カスタネダがカチョーラに会ったのは1969年のようです。
ですから、ドン・ファンにモデルがいたなら、それには多数のシャーマンがいたのでしょう。
ただ、ドン・ファンの重要な教えである「夢見」、「意図」、「忍び寄り」は、カチョーラからカスタネダが得たコンセプトであると言う人がいます。


<カスタネダの歩み>

カスタネダ本人は、自分のプロフィルに関して、当初、1935年にブラジルのサンパウロで生まれたとしていました。
ですが、「タイム誌」の調査によれば、1925年、ペルー生まれのようです。
カスタネダのペルーのある知人は、彼を嘘つきだったと証言しています。

カスタネダは、1950年にアメリカに移住し、1957年に帰化しました。
1960年、マーガレット・ラニヤンと結婚しましたが、数ヶ月で離婚します。
カスタネダは、マーガレットに会った時、イタリアで美術の勉強をしたとか、スペインで米軍に入ったとか、嘘の履歴を語ったそうです。

1959年にカスタネダはUCLAに入学し、1960年にクレメント・メイガンというカリスマ教授のシャーマニズムの講義を受けました。
インディアンにインタビューするとA評価をもらえるという評価基準があり、カスタネダはこれに成功して高い評価をもらいました。

彼の著作の物語では、1960年にドン・ファンに出会っています。
カスタネダは薬用植物に関する知識を得ることが目的でしたが、ドン・ファンは、この時、弟子として見初めたことになっています。
そして、途中で中断をはさみながら、1961年から1973年まで、ドン・ファンのもとで修行を行いました。

カスタネダは、1962年にUCLAで人類学の学士号を取得しました。
そして、1968年には、シリーズ第1作「ドン・ファンの教え」を、メイガン教授の後押しで、カルフォルニア大学出版会から人類学の学術書として出版しました。

s-l640.jpg

この書には、物語形式の報告の後に、編集者の反対を押し切って、つまらない構造分析が付けられています。
カスタネダは、人類学の方法、依って立つ世界観をパロディにしようとしたのでしょう。

この書に対して、アリゾナ大学人類学教授エドワーズ・スパイサーは、ドン・ファンはヤキ・インディアンの文化には属さないとしながらも評価しました。
また、人類学界の重要人物サー・エドマンド・リーチは、その文学的側面を評価しました。
また、元ロンドン大学人類学教授メアリー・ダグラスは、類例がなく現実性に富むとして評価しました。

これらの好意的な書評もあって、カスタネダの著作は人気を博し、1972年には、カルフォルニア大学のアーヴァイン校で講義を行いました。

そして、第3作「イクストランへの旅(邦題:呪師になる―イクストランへの旅)」(1972)では、「世界を止める」という日常的世界観を相対化する哲学的テーマがはっきりと出され、物語が深まりました。

ですが、1973年に、「タイム誌」がカスタネダのカヴァー特集をし、取材に基づいて彼の履歴が嘘であることを示したので、様々な疑惑、批判が噴出するようになりました。
ですが、カスタネダは、メイガン教授の擁護もあって、この第3作で博士号を取得します。

time.jpg

ところが、カスタネダは、批判に対して反論を行わず、世間から完全な隠遁をしました。
そして、カルフォルニア州ウェストウッドに集合住宅を共同購入して、もとUCLAの人類学の学生だった仲間達とともに住み始めました。

先に書いたように、1974年の第4作「力の物語」では、ドン・ファンとその弟子の数名のシャーマン達は、1973年に我々の物質世界ではない別の世界に旅立ったことを明かしました。

1976年と1980年には、ジャーナリストのリチャード・デ・ミルが、カスタネダの書がフィクションであると告発する書を出版しました。
ですが、決定的な証拠を示したとは言えませんでした。

1985年以降、一緒に住んでいたカスタネダの仲間の二人が、カスタネダと同様の体験談を出版するようになります。
フロリンダ・ドナー「魔女の夢」(1985)、「夢見の中の存在」(1992)、タイシャ・アベラル「呪術師の十字架」(1992)です。
カスタネダは、序文で、2人がドン・ファンの弟子であると書いています。

そして、第9作「夢見の技法(邦題:夢見の技法―超意識への飛翔)」(1993)では、この2人とキャロル・ティッグスが登場し、シリーズに取り組まれました。
また、同年、この3人は、初めてワークショップを行いました。

2年後の1995年には、カスタネダと彼女らは、法人組織「クリアグリーン」を設立してワークショップを継続的に行うようになりました。

そして、1997年、異色の第10作「マジカル・パス(邦題:呪術の実践―古代メキシコ・シャーマンの知恵)」を出版して、ドン・ファン流の動的ヨガ(気功)を現代化した「テンセグリティ」を公開しました。
「クリアグリーン」で教えていたものでしょうか?

1998年、カスタネダは亡くなり、その後、フロリンダ、タイシャら5人の仲間が失踪しました。
そのうちの一人、パトリシア・リー・パルタンは、2003年にデスバレーでその白骨が発見されました。
この件に関しては、後述します。

ですが、「クリアグリーン」は、現在まで継続しています。

そして、1999年に、自伝的な最後の書「無限の活動面」が出版されました。

クリアグリーン
カスタネダの検証サイト


<物語の展開>

ハーナーが批判したように、カスタネダがドン・ファンから継承したとする教えは、一般のシャーマニズムとは違って、ヒーリングにほとんど興味を持ちません。

ドン・ファンは、自身の道を「戦士」の道、「知ある者」の道と表現し、「呪術師(ブルホ、ディアブレロ)」の道と対比しています。
ちなみに、最終作では「戦士・旅人」という併記した表現になっています。

「戦士」は「未知」と戦うという意味ですが、実際、シリーズでは多くの恐ろしい危険と遭遇します。
「旅人」は「未知(無限)」の領域を旅するという意味でしょう。

「呪術師」の道は、意志によって現実を変えるものなので、病気治療もここに含まれるのでしょう。
「知ある者」の道の目的は、意識の「全体性」を獲得して、最終的に「無限(の活動的な面)」に融合することです。


第4作「力の物語」でドン・ファンとの別れは書かれますが、その後もシリーズは続き、ドン・ファンとの出来事が振り返られます。
そして、シリーズが進むに従って、ドン・ファンの教えは、より深いものになり、その観点から再解釈されるようになりました。

物語の中では、カスタネダの理解が進んだために、これまで書けなかった教えを書けるようになったのだ、とされました。
また、その後には、「夢見」の非日常的意識状態で教えられていた教えを書くようになりました。
以前は、それらを思い出すことができなかったけれど、修行が進んでそれらを思い出せるようになったから、書けるようになったのだ、と。


第1作「ドン・ファンの教え」、第2作「分離したリアリティ(邦題:呪術の体験―分離したリアリティ)」(1971)では、幻覚性植物(力の草)を利用した非日常的リアリティの体験や、それを「観る」ことがテーマの中心となっています。

そして、空を翔んだり、カラスに変身したり、「力の草」のスピリットである「盟友」を見たりします。

ですが、第3作「イクストランへの旅」では、日常的リアリティを作る認識を停止させるという、思想的と言えるようなテーマが打ち出されます。
これは「世界を止める」と総称され、そのための様々な方法論が説かれていくようになりあす。
「力の草」もそのための、重要ではない方法の一つでしかないのです。
後に、ドン・ファンは、「力の草」を重視しない「わしのやり方は従来のやり方と違っていた」と語っています。


第4作「力の物語」では、カスタネダは「戦士」の道を歩むことを決断します。
そして、人間の霊体を「光の球」としてしっかりと「観る」ことができるようになりました。

そして、ドン・ファンから「呪術師の説明」と表現される、呪術師の世界観が説明されます。
その中で、日常的人格・リアリティに関わる「トナール」と、非日常的人格・リアリティに関わる「ナワール」という重要な対立概念が語られます。

また、カスタネダは、崖から飛び落ちる中で、「トナール」の世界に飛び込む訓練を何度もさせられます。
そして、「トナール」の中で、自己が個々の知覚にバラバラに分解される体験をしました。
カスタネダは、飛び込んだ谷底に何があるのかを見る課題、そして、一人で飛び込んで、「ナワール」を経由して現実世界に戻る課題を果たしました。

また、ドン・ファンとその弟子達は、地上世界から旅立ってしまい、ドン・ファンとの関係が終焉しました。


第5作「力の第二の環(邦題:呪術の彼方へ―力の第二の環)」(1977)、第6作「イーグルの贈り物(邦題:呪術と夢見―イーグルの贈り物)」(1981)では、それまでほとんど登場しなかったドン・ファンの弟子達が多数登場します。

そして、カスタネダはドン・ファンを継承するリーダーとして、弟子達をまとめていくことがテーマとなります。
これは、グループの人間の間で、そして、個々人の中で、様々な能力・性質の側面を統合していくというテーマでもあります。

また、仲間との会話から、彼らがドン・ファンから、「夢見」の「高められた意識」の状態で教えられたものが多数あるけれど、それが特別な意識状態であったため、覚えていないことに気づきます。
そのため、これを思い出すことが課題となることが判明し、カスタネダと仲間たちは、「夢見」を共に行うなどして、記憶を取り戻そうとします。


第7作「内からの炎(邦題:意識への回帰―内からの炎)」(1984)では、改めて、過去のドン・ファンとの体験の振り返りが行われます。

この書では、初めてタントラ(密教)的な「エネルギー・フィールド」の概念が重視されるようになり、これまでの教えがその観点から再解釈されるようになります。
これらは、「高められた意識状態」で教えられたもので、「左側の教え」と表現されます。

宇宙は「イーグルの放射物」と表現される「エネルギー・フィールド」の塊であり、人間も「光の球」などと表現される「エネルギー・フィールド」でできています。

「光の球」には知覚を司る「集合点」があって、その位置を移動させることによって、意識・身体・世界が変わると説かれます。
「集合点」を動かして、あらゆる意識、知覚、リアリティを体験して、「全体性」に到達するのが「戦士」の目的なのです。


第9作「夢見の技法(邦題:夢見の技法―超意識への飛翔)」(1993)では、高度な「夢見」の技法が語られます。

「夢見」は、通常の夜に見る夢を出発点にしながら、実在する別の世界へと旅する技術です。
「夢見」による旅は、「エネルギー体(霊体)」を成長させて、「集合点」を移動させることで行います。
これは、肉体を持たない「非有機的存在」との対決でもあり、その世界に閉じ込められる危険もあります。


最終作「無限の活動面」は、カスタネダが自分の人生を振り返ったもので、ドン・ファンが、「総括」として語ってきた方法を、著作を通して行ったものになりました。

この書では、「捕食者」と呼ばれる肉体を持たない存在が、人間のエネルギーを喰い物にして支配しているとする新しいテーマが現れます。
人間の信念体系や感情、自我意識などは、この「捕食者」に由来する「外来装置」なのです。

「捕食者」から逃れるためには、「内的沈黙」や、「エネルギー・フィールド」の振動の操作が必要とされます。

前作で、「夢見」によって「非有機的存在」の世界を訪れると、そこに捕らわれて、どこから来たか分からなくなってしまう、という危険が語られました。
ですが、この最終話では、どんでん返しが行われて、我々は、「捕食者」によって、旅の途中でこの地球に捕らわれてしまっていることが明かされます。


<イーグルの神話とカスタネダの神話>

第6作「イーグルの贈物」では、「イーグルの神話」が語られます。
ドン・ファンら代々のトルテックのシャーマン達は、「イーグルの神話」をモデルにして生き、弟子を育ててきたのです。

神的存在である「イーグル」は、最初に「ナワール(シャーマンのリーダー)」の男女のペアを作り、次に仲間を作りました。
そして、弟子を育てることを命じ、男性ナワールは弟子を自由に導き、女性ナワールはもう一つの世界に案内する役を与えました。

ドン・ファンらは、カスタネダら弟子を育て、1973年にもう一つの世界に去りました。
この世界を去ることは、「最後の旅」と呼ばれ、肉体ごと「無限」の活動的な面に溶け込むのです。

カスタネダは、ドン・ファンを継いで新しい集団の「ナワール」になりました。
ですが、次の「ナワール」になるような弟子を育てることはなかったようです。

1998年にカスタネダの死亡証明書が発行されているので、彼は肉体を残して亡くなったはずです。
カスタネダと仲間達の組織「クリアグリーン」は、カスタネダは意識を保ったまま世界を去ったが(つまり、普通の死ではなく、意図的にこの世を去った)、法的な必要性のために亡くなったと宣言された、という公式声明をウェブサイトで発表しました。
そして、カスタネダが亡くなった後、5人の仲間が失踪しました。

これは、イーグルの神話、そして、ドン・ファン達の行動を再現しようとしたものであり、シリーズの物語を現実にしようとしたものなのでしょう。

シリーズの中では、ドン・ファンは、「わしの全系統が終わろうとしている」と言い、カスタネダが「長い鎖の最後の環となる」とか、「書くことで始めたように、書くことで終わる」と予言しています。

つまり、ドン・ファンの系統のシャーマンの継承は、カスタネダが最後になって、カスタネダはその替わりに書物を残した、ということでしょう。

これが、「カスタネダの神話」なのです。


※「カスタネダのドン・ファン・シリーズの思想」に続きます。

nice!(0)  コメント(0) 

マイケル・ハーナーのコア・シャーマニズム [現代]

マイケル・ハーナーは、ネオ・シャーマニズムの元祖的にして代表的な存在です。

彼は、伝統的なシャーマニズムの中から、その核となる世界観、実践技法を抽出し、現代人が実践できる形で再構成した「コア・シャーマニズム」という実践体系を教えています。

24892969.jpg
https://www.shamanism.org/



<歩み>

マイケル・ハーマーの歩みを、年代順にまとめます。

ハーナーは、1929年にワシントンで生まれました
1956年からエクアドルのアンデスのヒバロ族のフィールドワーク調査を行い、カルフォルニア大学バークレー校で人類学の博士号を取得しました。

1960から61年にかけて、ペルーのアマゾンのコニーボ・インディアンのシャーマンのもとで、幻覚性植物アヤワスカによって非日常的な体験をします。
アヤワスカは、あらゆる薬物を実践したウィリアム・バローズが、究極のものと言った薬物です。
その後も、ヒバロのシャーマンのもとで幻覚植物マイクアによるトリップを体験します。

1963年、カルフォルニア大学バークレー校で講義をした時、カスタネダの来訪を受けて、ドン・ファンの話を聞き、何か書いた方が良いとアドバイスして、2-3週間後に原稿を見せてもらったそうです。
また、ヤキ・インディアンがダツラ(幻覚性植物)を腹に塗り込んで使うことが本当かどうか調べてほしいと依頼しました。
カスタネダからドン・ファンに一緒に会いに行こうと誘われましたが、スケジュールの都合で断りました。
ちなみに、ハーナーは、カスタネダの師のドン・ファンのようなシャーマンには会ったことがないけれど、その存在は信じていました。

1960年代後半には、カルフォルニア大学、エール大学、コロンビア大学などで教鞭をとりました。

1970年代初頭、コネチカットでドラムを使ったシャーマニック・トランスのワークショップを始めました。
ハーナーはトリップのための方法として、幻覚性植物ではなくドラムを選んだわけです。

1972年、最初の著作「幻覚植物とシャーマニズム」、「ヒバロ、神聖な滝の人々」を出版。
1979年、コネンチカットでシャーマニック研究センターを設立。

1980年、「シャーマンへの道」を出版。
この書は、ネオ・シャーマニズムの聖典のようになりました。

51ROsPopSBL._SX331_BO1,204,203,200_.jpg

1987年、アカデミズムを去り、シャーマニック研究財団の活動に専念するようになりました。

2013年、「シャーマンへの道」の待望の続編となる「洞窟とコスモス」を出版。
上方世界と地下世界への旅を扱った書ですが、残念ながら、未訳でもあり私はまだ読んでいません。

512TXXThnxL._SX331_BO1,204,203,200_.jpg


<コア・シャーマニズムの特徴>

ハーナーのコア・シャーマニズムは、特定の部族のシャーマンの伝統を継承したものではなく、シャーマニズムの核となるものを抽出して、現代人に受けて再構成したものです。

ハーナーは、「エクスタシー(脱魂)」状態になって、異世界を訪れることを、シャーマンの条件とします。
また、シャーマンの特徴、定義について、次のように書いています。

「シャーマンは変性意識状態で、隠れたリアリティと接触し、力や知識を得て、他の人を助ける」
「一つ以上のスピリットを従えている」
「有益な力を取り戻すか、有害な力を取り除く」

そして、ハーナーは、個人の意識の成長や心の解放などの求道的なものではなく、他人の病気治療を重視します。
ハーナーは、「彼をシャーマンと呼べるのは治療を受ける当人たちだけである」と書いています。

ハーナーは、トランス状態を「シャーマン的意識状態」と表現し、「日常的意識状態」と区別します。
そして、それぞれの意識状態が体験する別のリアティが存在するとし、それを「非日常的リアリティ」と「日常的リアリティ」と表現します。

ハーナーは、シャーマンは、この2つのリアリティを区別していて、混同することはないと言います。

「シャーマンは、シャーマン的意識状態のリアリティが日常的リアリティとは分離したものであることを認識しており、両者を混同してはいない。」(シャーマンへの道)

つまり、2つのリアリティ(世界)を移動するのがシャーマンです。

「日常的リアリティ」では神話でしかないものが、「非日常リアリティ」では、リアリティそのものなのです。

そして、ハーナーの「コア・シャーマニズム」では、個々人が持つ、日常的世界観を変える必要はないと言います。
もともと持っている「日常的リアリティ」をそのままに、それと区別した「非日常的リアリティ」を付け加えるのです。

また、シャーマンは、霊視能力を持ち、これを「シャーマン的エンライトメント」と呼びます。

これは、地上の日常世界のリアリティにいつつ、霊的存在を物質世界に重ねて霊視できる状態です。
つまり、「エクスタシー」状態にならずに、「日常的リアリティ」と「非日常的リアリティ」を同時に見る状態です。

「霊視」は、霊的存在は、昼間には見にくいので、主に夜に変性意識状態になって見ます。


<ファミリー・シャーマニズムと専門的シャーマニズム>

ハーナーのコア・シャーマニズムは、誰もが利用、体験できる方法を提示していますが、皆に本格的なシャーマンになることを勧めているのではありません。

シャーマニズムのあり方を、シベリアのコリャック族のように、「ファミリー・シャーマニズム」と「専門的シャーマニズム」の2つに分けて考えます。
「ファミリー・シャーマニズム」は、プロのシャーマンではない人物が、家族に対して、比較的な簡単な方法で治療を行うことです。

ハーナーは、プロのシャーマンになるのに必要なこととして、次のようなことを挙げています。

・荒野の放浪
・ヴィジョン・クエスト
・死と再生のシャーマン的体験
・オルフェウス的な(地下世界への)旅
・死後の生命
・上方世界への旅


<アヤワスカのトリップ体験>

ハーナーは、コニーボ・インディアンのシャーマンのもとで、初めてアヤワスカを体験した時、死にそうになるほどの、深い変性意識状態に入りました。

その時の意識を自己分析して、4つの層があったと書いています。

最上位にあったのは、観察者兼司令官の意識です。
傍観者であり、深層意識からあふれるイメージを認識していた純粋な意識です。

その下にあった意識は、麻痺した層と表現しています。
多分、言語的、合理的な意識でしょう。

3つめの層は、鳥頭の人間が乗り、ハーナーの魂を運ぶ魂の船などのヴィジョンを生み出した源となる層です。

4つめの層は、死につつある者と死者だけが知る秘密が開示されるとされる層です。
ハーナーは、巨大な爬虫類のような生き物が現れ、彼らは、天から逃げてきた存在であり、地上のすべての生命に潜む支配者であると言うヴィジョンを体験しましたが、これはこの層が生み出したものです。

ハーナーは、シャーマンから、初めての体験でこれほどの深いヴィジョンを見る人は珍しいので、ハーナーは立派なシャーマンになれると言われました。


<地下世界へのトリップ>

ハーナーの「コア・シャーマニズム」では、ドラム、ガラガラ、「パワー・ソング」、ダンスによって「シャーマン的意識状態」になって、異世界にトリップします。

ドラムは、BPM210程度のドラム連打を叩いてもらうか、あらかじめ録音したものを流します。
ガラガラは高い音で、補助的な意味があります。

10分ほどドラムを連打した後、帰りの合図のドラムを鳴らし、また、連打に戻ります。
最後に地上に帰ってくると、終わりの合図のドラムを鳴らします。

地下世界へは、地上に開いた穴や泉などから、あるいは、そういったものをイメージして、そこからトンネルを通って地下世界へ行きます。
トンネルへの入り口は、自分が実感を得られるものなら、何でも構いません。

トンネルに障害物があれば、通れる隙間や迂回路などを探して通ります。

最初は、トンネルの先に何があるかを確認して帰ってくるだけにします。


<パワー・アニマルとそれを取り戻す旅>

ハーナーによれば、「守護霊(ガーディアン・スピリット)」は、通常、動物の姿をしていて、それを「パワー・アニマル」と呼びます。

「パワー・アニマル」は、他に「保護霊(シベリアで)」、「ナワール(メキシコ、グアテマラで)」、「アシスタント・トーテム(オーストラリアで)」、「使い魔(ヨーロッパで)」などと呼ばれます。

「パワー・アニマル」がいなくなると、その人は重病になったり、中長期的に体調が悪くなります。
その場合、地下世界に「パワー・アニマル」を取り戻しに行きます。
患者のために行くこともあれば、自分のために行くこともあります。

また、「パワー・アニマル」は、人に力や能力を与えてくれる存在ですが、シャーマンの「パワー・アニマル」への変容の力も与えてくれます。

「パワー・アニマル」を取り戻す旅は、次のような次第で行います。

1 シャーマン的意識状態に入り、患者の横に体をひっつけて寝転ぶ
2 トンネルを通って地下世界に行く
3 地下世界でパワー・アニマルを見つける
4 パワー・アニマルを見つけたら胸に引き寄せて、地上に連れて帰る
5 パワー・アニマルを患者の胸と後頭部に吹き入れる
6 患者はその動物のダンスを行う

地下世界へのトンネルの途中で、哺乳類以外の動物と出会った場合は、接触は避けなければいけません。

地下世界で、「パワー・アニマル」は異なった角度で少なくとも4回現れるといいます。
「パワー・アニマル」は哺乳類以外に、鳥、蛇、爬虫類、魚などの姿をしているかもしれません。

最後に行うダンスは、患者とパワー・アニマルのつながりを作って、定着してもらうためのものです。

また、患者に対して、遠隔で治療を行うこともできます。
これは、自分の「パワー・アニマル」の力を、患者の「パワー・アニマル」に送ってダンスさせる、ことによって行います。
つまり、直接に力を送るのではなく、二人の「パワー・アニマル」を介して、力づけるのです。


<パワー・アニマルとダンス、助言>

ハーナーによれば、「パワー・アニマル」は、人間の体内にいますが、周りを動き回ることもあります。
また、数年すると、自然にいなくなってしまうので、そうなると、新しい種類の「パワー・アニマル」を捕まえる必要があります。

人が持てる「パワー・アニマル」は、一つとは限らず、ヒバロ・インディアンは同時に2つ持てると言います。

「パワー・アニマル」は、自分自身で定期的に呼び出して、ダンスを捧げる必要があります。
それによって、「パワー・アニマル」を自分の中に留めることができます。

これは以下の次第で行います。

1 東でガラガラを振って、昇る太陽を念じる
2 東西南北でガラガラを振って動物を念じる
3 ダンスをパワー・アニマルに捧げる
4 ガラガラを振って歩き回り、動物になってシャーマン的意識状態に入る
5 早いテンポで踊る
6 踊りをやめて、パワー・アニマルが体の中に留まるように祈願する

「パワー・アニマル」には、個人的な諸問題や、病気の原因と治療法などについて、相談をして、助言をもらうことができます。

相談しに行く場合は、「パワー・アニマル」は、トンネルの中か、トンネルを出たところにいます。


<スピリット・ヘルパーと病気治療>

ハーナーのコア・シャーマニズムでは、邪悪な霊が取り付いていることによって起こる病気を治療するのは、難易度が高く、専門的なシャーマンのレベルのでないとできません。

この治療に必要となるのが「スピリット・ヘルパー(援助霊)」です。
シャーマンは、複数の「スピリット・ヘルパー」を持っていなければいけません。

「スピリット・ヘルパー」は、黒魔術で、邪悪な霊として使うこともできます。
そのため、「スピリット・ヘルパー」は、「呪術用の矢(ツェンツァク)」とも呼ばれます。

「スピリット・ヘルパー」は、「日常的リアリティ」では、多くは野生の植物で、「パワー・オブジェクト」と呼ばれます。
ですが、「非日常的リアリティ」では、動物や昆虫、場合によっては無生物の姿をしています。

「スピリット・ヘルパー」は、日頃から収集しておきます。

例えば、まず、これはと思う植物があれば、その植物に謝ってから一部を摘んで食べます。それとは別に2つを摘み取って、メディスン・バッグに入れて持ち帰ります。

その夜に、「シャーマン的意識状態」になって、その植物を見つけ、「スピリット・ヘルパー」としての「非日常的リアリティ」での本当の姿になるまで待ちます。
そして、それを、また、口に入れて食べます。

非日常的な姿が、クモ、ミツバチ、スズメバチ、蛇である「スピリット・ヘルパー」は、強力なので必須です。

実際の治療法は、次のような次第で行います。

1    患者に侵入した邪霊の姿を確認する
:まず、パワー・ソングを歌ってスピリット・ヘルパーに警戒体勢を取らせる
そして、シャーマン的意識状態でトンネルに入り邪霊の姿(あきらかに邪悪な姿で、歯がむき出しにしたような昆虫、爬虫類、魚など)を見つける

2 邪悪な霊の居場所を特定する
:シャーマン的意識状態になって、患者の体を透視(霊視)し、同時に、手をかざしてその波動を感じて特定する

3 スピリット・ヘルパーの準備
:邪霊と同じ種類のスピリット・ヘルパーのパワー・オブジェクトを2つ口に入れる
そして、スピリット・ヘルパーが口の中に入るのを見る

4 邪霊の吸い出し
:患者の体から口で邪霊を吸い出し、一つめのパワー・オブジェクトに吸着させる
一つ目が吸着を失敗した場合は、もう一つのパワー・オブジェクトが吸着する

5 吸い出した悪霊を入れ物に吐き捨てて、遠くに捨てる

nice!(0)  コメント(0) 

ネオ・シャーマニズムの特徴・類型・技法 [現代]

カルロス・カスタネダの一連の出版シリーズが、ヒッピーの聖典の一つになったことをきっかけにして、「ネオ・シャーマニズム」と総称される宗教・思想潮流が、1960年代末以降、徐々に大きな潮流になりました。

「ネオ・シャーマニズム」と言われるものには、様々なものが含まれます。
このページでは、その大まかな特徴と、類型、技法についてまとめます。


<シャーマンの定義>

「ネオ・シャーマニズム」という言葉に共有される明確な定義はありませんが、各地の伝統的なシャーマンの世界観や技術を核としながら、何らかの意味で新しい要素を加えた宗教・思想・実践潮流のことでしょう。

「ネオ・シャーマニズム」のリーダーは、自身が一種のシャーマンとして、病気治療やヒーリング、セラピー、心の解放などの実践・指導を行っていることが特徴です。

「ネオ・シャーマニズム」では、シャーマンとは「エクスタシー(脱魂的トランス)」を利用した技術を使う人を指しています。

広義のシャーマンが行う「トランス(変性意識状態)」は、一般に2種類に分けられます。
一つは、「エクスタシー(脱魂・飛翔)」、もう一つは「ポゼッション(憑依・憑霊)」です。

「エクスタシー」は自意識を保っている状態で、「ポゼッション」は意識を失った状態であることが多いようです。
また、個人的な印象では、前者は狩猟文化の男性シャーマンに多く、後者は農業文化の女性シャーマンに多いようです。

「ネオ・シャーマニズム」は、前者のトリップ型トランスを「シャーマン」の特徴とし、後者を特徴とする者を「スピリット・メディアム(霊媒、巫女)」として区別します。
これは、エリアーデのシャーマニズム観を継承していると言えます。

ですから、心霊主義のような「降霊」、現代アメリカで言う「チャネリング」、神道の「神憑り」など、「ポゼッション」を特徴とする潮流は、「ネオ・シャーマニズム」とは呼ばれません。

ですが、「エクスタシー」を行うシャーマンも、守護霊やパワー・アニマルなどが「ポゼッション」したと言えるような状態にもなります。
ただ、これは意識を保持しながらです。

また、ネオ・シャーマニズムの場合、「エクスタシー」といっても、完全なトリップ体験ではなく、夢見や白昼夢に類した状態も含んでいます。

ですから、部族文化的な治療を行っても、「トランス」状態を利用しないものは、単なる「メディスン・マン(呪医)」であって、「シャーマン」とは考えません。

以上の定義では、西洋の「ネオ・ペイガニズム(新異教主義)」に属する「ウィッカ(魔女宗)」、あるいは、「ネオ・ドゥルイディズム」、「ゲルマン・ネオ・ペイガニズ」と呼ばれる潮流の中にも、該当するものがあると思います。

ですが、通常は、「ネオ・シャーマニズム」とは呼ばれないようです。


<変性意識状態の類型>

「エクスタシー(脱魂)」状態になるシャーマンは、2つの意識状態、2つの世界(リアリティ)の間を行き来します。

変性意識状態が体験する「非日常的世界」と、日常的意識状態が体験する「日常的世界」です。
マイケル・ハーナーは前者の意識を「シャーマン的意識状態」と表現します。

ですが、厳密に言えば、他にも意識状態があります。

一つは、「霊視」の状態です。
シャーマンのこの霊視能力は、「スピリット・ヴィジョン」とか「シャーマン的エンライトメント」と呼ばれます。

これは、「エクスタシー」状態にならずに現実世界にいながら、霊的存在を現実世界に重ねて見る意識状態です。
明るい昼間には霊的存在は見にくいので、「霊視」は主に夜に変性意識状態になって見ます。

具体的には、パワー・アニマル、スピリット・ヘルパー、エネルギー・フィールドなどを、現実世界の中で見ます。

また、「エクスタシー」の意識状態には、様々なレベルがあります。
つまり、異世界を体験する時に、現実世界を完全に忘れてその世界に行ききってしまう場合もあれば、現実世界をかなり認識している場合があります。

一般に、シャーマンがドラムとダンスで「エクスタシー」の状態に入ると、動けなくなって寝転びますが、自分が寝転んでいることや、周りの状態を音などによって知覚していることが多いようです。

また、昼間に行う「夢見」でも、夢の世界に完全に入り込む場合と、白昼夢に近い場合があります。


<伝統に対する立ち位置からの類型>

ネオ・シャーマニズムは、その伝統に対する立ち位置から、次の2つに分けることができると思います。

一つは、いくつかの伝統的なシャーマニズムの世界観、技法から普遍的なものを抽出して、それを現代人のヒーリングやセラピーなどに役立てるために再構成したものです。
(このページでは「普遍型」と表現しましょう。以下、同様に「〇〇型」と表現。)

これは、ネオ・シャーマニズムの先駆者の、人類学者だったマイケル・ハーナーに代表されます。
彼は、自身の実践体系を「コア・シャーマニズム」と命名していますが、この名前は、シャーマニズムの核の部分を抽出していることを意味しているのでしょう。
「コア・シャーマニズム」をネオ・シャーマニズムの基本形のように考えることもできます。

harner.jpg
*マイケル・ハーナー

「普遍型」の系統には、キューバ生まれの心理学者・医療人類学者で、多数の機関で活動するアルベルト・ヴィロルド、トランスパーソナル心理学協会の理事を務めた先住民の心理学者レスリー・グレイ、ナイジェリアでシャーマンに学んだ人類学者のハンク・ウエスルマンなどがいます。
人類学や心理学、心理療法どの研究を背景にした人が多いようです。

villold.jpg
*アルベルト・ヴィロルド

もう一つは、何らかの伝統的なシャーマニズムの流派に基づいていて(そう主張して)、そこに他の宗教や心理療法などの影響を取り込んだものです。(継承型)

「継承型」には、ハワイのシャーマニズムのフナを継承するサージ・カヒリ・キング、メキシコのシャーマニズムのトルテックを継承するドン・ミゲル・ルイス、ルハン・マトゥスなどがいます。

king.jpg61qShYAx9aL._US230_.jpg
*サージ・カヒリ・キング、ドン・ミゲル・ルイス

ですが、彼らの場合、どこまでが伝統的なもので、どこからが他の要素の影響であるのかが、はっきりせず、それを実証的に確定することは困難です。

扱いが難しいのが、カルロス・カスタネダです。
彼の場合、トルテックの伝統的であると主張していいて、その研究で博士号を取得しています。

ところが、彼の書・研究はフィクションであると疑われていて、どこまでが事実に基づいたもので、どこからがフィクションであるのか、どこからが他の影響を取り入れたものであるのかが分かりません。
ほとんどがフィクションであるとすれば、彼の著作は、文学というジャンルで考えざるをえなくなります。
ですが、彼の弟子的存在が実際にワークショップを行っているので、その意味では、文学を越えて、宗教・思想・実践運動であると考えられます。


<目的からの類型>

伝統的なシャーマンは、部族社会やそのメンバーのために働く存在です。
病気の治療をしたり、豊穣のために部族を代表して霊的存在との間のコミュニケーションを取り持ったり、雨を降らせたり、死者の魂の案内をしたり、などなどです。

ですが、シャーマンになるには、一定の修行が必要で、その過程においては、個人の霊的成長と呼べるものが求められます。

そのため、ネオ・シャーマニズムにも、他人の病気治療、ヒーリング、セラピーといったものを重視する潮流(ヒーラー型)と、個人の意識の霊的成長を重視する潮流(求道者型)があります。

傾向としては、上記の「普遍型」には「ヒーラー型」が多く、「継承型」には「求道者型」が多いようです。

ですが、アルベルト・ヴィロルドやカヒリ・キングには、両方の側面があるようです。

マイケル・ハーナーは、カスタネダの師のドン・ファンが、ヒーリング(病気治療)に興味を持たない理由が、「戦士型」のシャーマンだからだと言っています。

カスタネダ(ドン・ファン)は、様々な意識状態を体験して人間の全体性を理解して、知を得る道を歩む者を「戦士」と表現し、意志で物事を変えようとする「呪術師(ブルホ)」と区別します。
「戦士」は「知ある者(賢者)」とほぼ同じ意味であり、その初期段階として「狩人」になることも必要とされます。

ミゲル・ルイスは、抑圧的な日常的リアリティを強いる存在を「パラサイト」と表現し、それと戦う者を「戦士」と表現します。
ルイスの「パラサイト」は、カスタネダの「捕食者」に当たります。

ルイスも「狩人」という表現を使います。
「狩人」は獲物に「忍び寄る」ので、ルイスはこれを無意識的なもの(森にひそむ獲物)への「気づき」の象徴と考え、一方、カスタネダは信念体系や行動パタン(動物の行動様式)を自覚し、操作することの象徴として捉えているようです。

これらに対して、カヒリ・キングは、病気や抑圧などの問題を擬人化してそれと戦うのではなく、力として調和させる、敵に愛を送るような道を歩む者を「冒険者」と表現し、自身のシャーマニズムを特徴づけています。


<哲学的類型>

マイケル・ハーナーは、シャーマンが体験する2つのリアティ、「非日常的リアリティ」と「日常的リアリティ」を、シャーマンが区別していて、混同することはないと言います。

例えば、シャーマンが飛んだり、変身したりするのは、「非日常的リアリティ」での出来事であって、「日常的リアリティ」の出来事ではない、と切り分けているのだと。

あるいは、「スピリット・ヘルパー」なら、「日常的リアリティ」では植物などの姿をしていて「パワー・オブジェクト」と呼ばれますが、「非日常リアリティ」では昆虫や動物のような動く生き物にもなります。

マイケル・ハーナーの「コア・シャーマニズム」では、個々人が持つ「日常的リアリティ」を変える必要がないと言います。

つまり、もともと持っている「日常的リアリティ」をそのままに、それと区別した「非日常的リアリティ」を付け加えるのです。
「神話」でしかないと思っていかものが、「もう一つの現実」だったことに気づく、というような感じです。

一般に、伝統的な部族シャーマニズムの社会では、「日常的リアリティ」と「非日常的リアリティ」の2つの世界を区別してはいても、その2つが一体で、その部族の世界観を構成しています。
「非日常的リアリティ」が「日常的リアリティ」の基盤になる世界と考えることが多いですが、それぞれが矛盾することはなく、それぞれの世界の実在性を疑いません。

ですが、現代では、2つのリアリティを一体的に考えることは難しいし、その実在性を疑わないことも難しいのではないでしょうか。
ハーナー流のネオ・シャーマニズムは、そこをあまり深く考えずに、プラグマティックに、相対的なリアリティを持った2つの世界を考えます。

こういったネオ・シャーマニズムを、その哲学的立場から一つの類型として考えることができます。(実在主義型)

これに対して、「日常的世界観」が、恣意的、抑圧的、否定的で、間違ったものなので、変更する必要がある、と主張するネオ・シャーマニズムの潮流があります。
つまり、既存の「日常的リアリティ」の実在性、真実性を認めない立場です。(幻影主義型・非実在主義型)

「幻影主義型」は、カルロス・カスタネダ、カヒリ・キング、ミゲル・ルイス、アルベルト・ヴィロルドなど、「求道型」のネオ・シャーマニストに多いようです。

「幻影主義型」ネオ・シャーマニズムの場合、「非日常的リアリティ」に関しても、単に「もう一つの世界」という認識ではなくて、動的に流動する力の世界、光の世界であり、一つではなく多層的な世界であり、説明不可能なもの、と捉えることが多いようです。


<幻影主義型シャーマニズムのバックボーン>

文化人類学は、様々な部族の世界観を対象とするので、文化相対主義的な哲学を持つ傾向があります。
つまり、個々の部族や現代西洋人の世界観を相対的に見ます。

1954年に「エスノメソドロジー」を提唱した社会学者のハロルド・ガーフィンケルは、社会秩序・世界観が、人間の会話を通して、都度に相互主観的に形成されているものであると考えました。
そして、日常の会話の中でそれを解体する実験を行いました。

ガーフィンケルはカルフォルニア大学の人類学科で教えていたため、カスタネダが彼の影響を受けたと推測されます。
また、そのカスタネダからの影響もあって、「幻影主義型」のネオ・シャーマニスト達は、間接的にであれガーフィンケルの影響を受けていると思います。

もちろん、ネオ・シャーマニスト達には、日常の現実を幻影にすぎないと見なす、仏教やヴェーダーンタ哲学も勉強している人も多いので、その影響もあるでしょう。

では、こういった日常的世界観を否定し、それを変えようとするのは、現代の「幻影主義型」ネオ・シャーマニズムに特徴的なもので、伝統的なシャーマニズムには、存在しないのでしょうか?

「幻影主義型」ネオ・シャーマニストが継承しているというトルテックやフナの歴史的実証ができないので、その答えは分かりません。

一般に、部族文化が王国文化になる時、世界観の大きな変化があり、一種の普遍化を伴います。
この時、部族文化は相対化されてしまいますが、もう一方で、王国文化の世界観が抑圧的なものとして現れます。
そのため、両者を乗り越えようとするような、つまり、特定の日常的リアリティやそこにある抑圧を否定するような思想・宗教が生まれる可能性があります。

仏教もそのような宗教の一つです。
他にも、国家的なものに反抗する文化や宗教運動については、南米のインディオを対象にしたピエール・クラストルの研究もあります。

中南米のシャーマニズムは、テオティワカン、トルテカ(トゥーラ)、インカなどの王国や帝国時代を経ていますし、ハワイのシャーマニズムも王国を経ています。
その歴史のどこかで、幻影主義型のシャーマニズムが生まれ、現代までを継承されてきた可能性はあります。


<変性意識への入り方による類型>

ネオ・シャーマニズムにおける変性意識状態への入り方には、様々な方法があって、複数の方法を使う人が多いのですが、どの方法を重視するかによって類型化することもできます。

中南米の伝統的なシャーマンの多くは、幻覚性植物の摂取を利用します(幻覚植物型)。
カルロス・カスタネダも、マイケル・ハーナーも、幻覚性植物の摂取からこの道に入りました。

ですが、現代のネオ・シャーマニズムが、これを推薦することはできません。

ネオ・シャーマニズムにおける代表的な方法の一つは、連打するドラム音に導かれてトリップする方法です。
実際には、これに加えて、ガラガラの音や、「パワー・ソング」と呼ばれるシャーマン自身が歌う歌や、ダンスを伴って行います。

この類型(ドラム型)は、マイケル・ハーナーが代表です。

もう一つの方法は、「夢見」です。
そもそも「脱魂的トリップ」は、「夢見」だとも言えます。

「夢見」は、夜に寝る前に目的をはっきりと言い聞かせてから「自覚夢(明晰夢)」を見るやり方が一つです。
あるいは、昼に半ば覚醒した状態で行うこともできます。

もう一つの方法は、一種の「瞑想」的方法です。
例えば、カスタネダは、日常的な認識・判断・思考を停止させることを重視し、これを「しないこと」、「世界を止める」、「内的おしゃべりを止める」と表現します。

また、記憶の想起や、観想という方法で瞑想状態に入ることもあります。
後者の場合、「夢見」との基本的な違いは、内容を意識的にコントロールすることです。

「夢見」や「瞑想」は、多くのネオ・シャーマニストが使います。


<ヒーリング技法>

ネオ・シャーマニズムの主な治療の実践・技法を紹介します。

まずは、「パワー・アニマル」に関わるもので、「パワー・アニマル」を取り戻す、新たに見つける、助言を得るなどです。

「パワー・アニマル」は、動物の姿をした「守護霊(ガーディアン・スピリット)」ですが、人に力や能力、助言を与える存在です。
「パワー・アニマル」がいないと、人は力をなくして重大な病気になります。

シャーマンは、変性意識状態になって地下世界などに行って、自分の、あるいは他人(患者)の「パワー・アニマル」を見つけ、そのエッセンスを持ち帰ります。
また、その動物のダンスを踊ることによって、その力を得て、結びつきを維持します。


カヒリ・キングの場合は、天上世界にいる「パワー・アニマル」を中間世界にある「内なる庭」に来てもらいます。


次は、異世界へ旅によって、自他のために、力を得る、癒やされる、何らかのインスピレーション、助言を得るなどの技法です。

シャーマンが変性意識状態で訪れる世界は、たいてい、天上、中間、地下の3つの領域からなります。

「地下世界」は、パワー・アニマルやスピリット・ヘルパーなどがいる、挑戦と力の場所です。
「中間世界」は、自分専用の「内なる庭」や、先輩シャーマンなどがいる場所がある、新しいものを見出す場所です。
「天上世界」は、指導霊(ティーチング・スピリット)や守護霊、英雄などがいて、助言やインスピレーションを受ける場所です。

カヒリ・キングは、中間世界に「内なる庭」があるとしてここを毎日、訪れます。
この庭は、様々な自分の問題が庭の様子として表現されるので、それを直すことで治療し、問題を解決します。
また、パワー・アニマルや守護霊などを招いて会う場所でもあり、様々な場所へ行くための拠点でもあります。

アルベルト・ヴィロルドは、地下世界に「原初のエデン」、「傷の部屋」、「契約の部屋」、「恵みの部屋」、「宝の部屋」があるとして、それぞれで癒しや力を得る目的で利用します。


カスタネダの場合は、「夢見の中でやって来る場所」を、現実に存在する場所として探しました。
この場所は、「力」と出会い、秘密が明らかにされる場所であり、死ぬ前にそこで踊る場所だと言います。
これは、「内なる庭園」と似てた性質を持っています。


次に、マイケル・ハーナーが行っている、邪悪な霊の吸い出しによる病気治療です。
これは難易度が高いので、専門的なレベルに達していないとできません。

変性意識状態の霊視などによって、患者の邪霊とその取り付いた場所を特定して、口で吸い出し、口の中にある「パワー・オブジェクト」とその実体である「スピリット・ヘルパー」がそれを吸着します。

カヒリ・キングは、原因を邪霊として実体化しない方法でも治療を行います。
例えば、患部が見る「夢」を見て、その内容を良い方向に誘導するという「夢見」の方法です。


次に、「エネルギー・フィールド」を対象とした治療、ヒーリング方法です。

ネオ・シャーマニストの何人かは、人には「エネルギー・フィールド」、つまり、エーテル体、アストラル体のような霊的な体があるとして、それを霊視、あるいは観想して、治療や意識変容に利用します。

カスタネダは、人間の「エネルギー・フィールド」を「光る玉(卵)」と表現し、その表面に「集合点」というものがあって、その場所を移動させると、意識やその意識が知覚するリアリティが変わるという考え方を示しています。
このような考え方は、他では聞いたことがありません。
カスタネダにおいては、「集合点」を様々な場所に移動して、様々な意識、全体意識を獲得することが目標とされます。

アルベルト・ヴィロルドは、「輝くエネルギー・フィールド(LEF)」と表現し、ヒーリングの実践においてそれを操作することを重視します。
彼は、タントリズムのチャクラの考え方と、カスタネダの「集合点」の考え方を彼なりに結びつけます。

ヴィロルドは、エネルギー・フィールドを4層あるとし、各層で治療を行います。
基本的な方法は、自分の「輝くエネルギー・フィールド」で患者を包み、頭上の第8チャクラに観想した光を導いたり、チャクラを反時計周りに回転させることで、エネルギーの質を変えるのです。

通常、第8チャクラの位置にあるとする「集合点」を、観想によっていくつかのチャクラに位置に移動させることで意識の拡大や調和を促します。


カヒリ・キングの場合は、患部と身体のエネルギー・スポットを、左右の手でつなぐことで治療をします。


<心の解放の技法>

個々人の信念体系が、その人の日常的世界を作っているというのは、「求道者型」、「幻影主義型」のネオ・シャーマニストがほぼ共有する見解です。
そのため、彼らは、その信念を自覚して、変更することを求めます。

ミゲル・ルイスは、過去の体験を思い出しながら、間違った信念を自覚し、その体験を肯定的な世界観によって受け止め直します。
そして、肯定的な感情によって過去の感情を浄化することで、コンプレックス、トラウマ的な緊張のエネルギーを解放します。

ルイスはこれを「棚卸し」と呼びます。
カスタネダが「総括」と読んでいたのも、ほぼ同様の作業だと思いますが、ルイスはカスタネダよりしっかり体系化された方法として説明します。


ルイスもカスタネダも、この時に呼吸法を利用します。
カスタネダは良いエネルギーと悪いエネルギーを分離することを重視するようなイメージですが、ルイスは愛を吹き込みます。

カヒリ・キングは、過去の体験の解釈だけでなく、体験した事実内容そのものを、肯定的な方向で書き換えます。
体験の記憶は夢と同様のものだからです。

ルイスは、現在の体験に関しても、常に気づいていることで、否定的な信念による反応をやめて、肯定的なものに変容させます。
彼は、これを「忍び寄り」と呼びますが、これも、カスタネダの使う意味を限定しています。


ルイスやキングは、特別に方法化されたものというわけではなくても、肯定的な姿勢、つまり、肯定的な信念体系と感情を重視します。
それは、あるがままな自分を肯定する「愛」であり、否定や敵対のない「調和」です。

それらが実現されているものに対しては、「祝福」を行い、何か間違ったことがあった場合も、自他を「許し」ます。
常に、そう念じ、そういう感情を起こすようにします。

*もう少し具体的な実践方法、技法については、個別のページを参照してください。

マイケル・ハーナーのコア・シャーマニズム
カルロス・カスタネダとドン・ファン・シリーズ
カスタネダのドン・ファン・シリーズの思想
ドン・ミゲル・ルイスのトルテック(メキシコ)
アルベルト・ヴィロルドのワン・スピリット・メディスン(南米)
サージ・カヒリ・キングのフナ(ハワイ)

nice!(0)  コメント(0) 

ケン・ウィルバーのアートマン・プロジェクト [現代]

ケン・ウィルバーこと、ケネス・アール・ウィルバー・ジュニア(1949-)は、トランス・パーソナル心理学の代表的論客として知られていますが、彼は、トランス・パーソナル心理学の領域を越えたインテグラル理論の提唱者でもあり、ニューエイジを代表する思想家でもあります。

彼の思想の中心にあるのは、ヒンドゥー教や仏教を中心して想定した「永遠の哲学(永遠の心理学)」に、進化論や発達心理学を結びつけたものであり、神智学の現代版の一つであるとも言えます。

ウィルバーの思想の特徴は、大きな枠組みを構築して、その中に様々な心理学・心理療法や、東洋の諸宗教・瞑想法を、強引に解釈し、位置づけることです。

ウィルバーについては、「トランス・パーソナル心理学」でも簡単に紹介しました。
このページでは、ウィルバーが個人の意識のトランス・パーソナルな発達を体系化した「アートマン・プロジェクト」の思想を中心に、簡単にまとめて、評価します。


<スペクトル理論>

まず、ウィルバーの最初の著作であり、主著の一つである「意識のスペクトル」(1977)についてごく簡単に紹介します。

「意識のスペクトル」は、「永遠の心理学」をもとにして、西洋の諸心理学の考察に広い視野を与える意識のモデルを提示しようとしたものでした。

近代以前に、地域を越えて、普遍的で伝統的な神秘主義的な世界観があったという考え方があり、これを「永遠の哲学」と表現します。
この言葉は、最初にスピノザが使い、ニューエイジ思想のバックボーンの一人であるオルダス・ハクスリーも、このテーマ、タイトルで著作を出版しました。
「永遠の心理学」は、その心理学ヴァージョンです。

ウィルバーは、この意識のスペクトル・モデルで、西洋の発達心理学(ジャン・ピアジェや「意識の起源史」のエーリッヒ・ノイマンなど)の延長上に東洋の諸宗教(ヴェーダーンタ哲学、仏教など)をつなげました。
これによって、様々な心理学・心理療法と東洋の諸宗教の道を、俯瞰的かつ体系的に整理して位置づけました。

「意識のスペクトル」の意識モデルは、自他全体をスペクトルと見て、自他の境界をそのどこに置くかで、階層的に考えます。
そして、ウィルバーは、様々な心理学・心理療法、東洋の諸宗教を、それぞれのレベルの治療法として対応づけました。

具体的には、下記の通りです。

 (レベル)         (自他の境界)  (治療法)
・ペルソナのレベル      :ペルソナ/影 :カウンセリング
・哲学的帯域
・自我のレベル        :自我/身体  :精神分析的自我心理学
・生物社会的帯域               :社会心理学、基礎家族療法
・実存(ケンタウロス)のレベル:有機体/環境 :実存心理学、人間性心理学、ハタ・ヨガ
・トランス・パーソナルの帯域         :ユング派、ヴィジャ・マントラ
・心(宇宙的意識)のレベル  :宇宙(無境界):一元論的な神秘主義

つまり、自己のアイデンティに関して、まず「無境界」なレベルが存在し、それが「有機体/環境」と2分され、次に「有機体」が「自我/身体」に2分され、最後に「自我」が「ペルソナ/影」に2分されるのです。
また、その各レベル内(各レベル間)にも、帯域として違いが存在します。

この分化は、人間の生後の成長(心理発達)と共に進みますが、その後のトランス・パーソナルな霊的成長によって分化は統合へと反転します。
分化・上昇は「進化(エヴォリューション)」、統合・下降は「内化(インヴォリューション)」と呼ばれます。

階層・スペクトルの移動は、まず、二元的分裂(上昇・進化)から反転して統合(下降・内化)へと進む、大きなタイムスケールで行われます。
ですが、それと同時に、個人の意識の中での、瞬間瞬間に揺れ動くプロセスもあるのです。

また、意識には階層構造は、決してはっきりと分かれたものではなく、各レベルは重なり合っていて明確に分離できるものではない、と言います。

意識の発達・成長は、特定のレベルに障害があっても、その段階に対応する治療が行われて正常な成長を果たすと、自然に次のレベルに移行します。

ですが、次のレベルの移行には、治療が必ずしも必要とは限りません。
東洋の心理学は、「心」のレベルに関心を集中し、他のレベルの治療には無関心であると言います。

また、あるレベルに対応する心理学や心理療法は、その下位レベル(より成長するレベル)に対して無理解で、それを病的なものと見る傾向があります。
つまり、そのレベルへの、心理的な還元主義の発想があるのです。
このことは、「意識のスペクトル」が、その心理的還元主義を克服する理論として重要な意味があったということでもあります。

662562.jpg


<アートマン・プロジェクトの段階論>

「意識のスペクトル」では、意識の発達は、「プレ・パーソナル」から「パーソナル」、そして、「トランス・パーソナル」へと進みます。
このスペクトル理論では、境界をどこに置くかということを重視していましたので、個人化の前後、つまり、「プレ・パーソナル」なレベルと、「トランス・パーソナル」なレベルが混同されるという難点に対して、十分な記述を尽くしていませんでした。
ウィルバーは、この混同を「前・後の混同(Pre/Post Fallacy)」と呼びます。

そのため、1980年の出版の「アートマン・プロジェクト」では、個人の意識の発達段階の観点から、その違いを明確化して論じました

それに伴って、「進化(エヴォリューション)」、「内化(インヴォリューション)」が意味するものが変わりました。

「意識のスペクトル」では、成長の前半に当たる分化・上昇が「進化(エヴォリューション)」と呼ばれましたが、「アートマン・プロジェクト」では、これは「外向する弧」と呼ばれるようになりました。
「外向する弧」の分かりやすい表現は、英雄物語です。

これに対して、成長の後半に当たる統合・下降は「内化(インヴォリューション)」と呼ばれましたが、これは「内向する弧」と呼ばれるようになりました。
「内向する弧」は、聖者の回帰の道です。

  (3つの段階)        (表現・特徴)
1 プレ・パーソナル(潜在意識) :外向する弧
2 パーソナル(自我意識)    :外向から内向への折り返し
3 トランス・パーソナル(超意識):内向する弧

そして、前後半を合わせた成長の全体が、「進化」と呼ばれるようになりました。
これに対して、人の誕生以前のプロセス、輪廻で言えば死後から再生に至るプロセス、宇宙輪的に言えば創造のプロセスが「内化」と呼ばれるようになりました。

ウィルバー自身が書いているように、この言葉の使い方は、オーロビンドと同じです。
ウィルバーは、個人の成長は進化のミニチュアであると考えます。
つまり、個体発生が系統発生を繰り返すという考えがあるように、個人の意識の成長は、進化と同じ様に起こると考えているのです。


「アートマン・プロジェクト」で語られる階層は、語る場面によって分け方の細かさが違いますが、大きくは、次の通りです。

 (レベル)          (特徴)
1 プロレーマ的自己     :自他未分化
2 ウロボロス的自己     :最初の自他分化
3 テュポン的自己      :感覚運動、身体感覚
4 言語的メンバーシップの自己:神話的思考
5 心的―自我的自己     :自我・概念的思考
6 生物社会的帯域      :社会的プログラム
7 ケンタウロス(実存)的自己:人間性・実存派心理学、高次の空想・超言語
8 サトル(微細)自己    :ESP、体外離脱、直観、元型的神
9 コーザル(原因)自己   :無形性、最終神
10 アートマン(真我)    :無形性の中心であり全形象世界

「プロレーマ」はグノーシス主義由来の名称ですが、このレベルは、自他未分化な幼児、絶対的非二元論、原初的楽園の状態です。
ピアジェの「原形質的」な段階、ヒンドゥーの「アンナマヤ・コーシャ」はこれに当たるとされます。

「ウロボロス」はノイマン由来の名称という側面が多く、このレベルは、最初の自他分離、自我意識の芽生え、口愛的なレベルです。
ヒンドゥーの「アンナマヤ・コーシャ」はこれに当たるとされます。

「テュポン」のレベルは、感覚、感覚運動、身体感覚、快不快のレベルです。
ヒンドゥーの「プラーナマヤ・コーシャ」はこれに当たるとされます。
また、「中軸的身体・プラーナ」と「中軸的イメージ」の2段階に分けられます。

「言語的メンバーシップ」はカルロス・カスタネダ由来の名称ですが、神話的思考はこのレベルです。
フロイトの「二次過程」、ピアジェの「現実的思考」の段階です。
ヒンドゥーの「マノーマヤ・コーシャ」は、このレベルからが当たるとされます。

「心的―自我的」のレベルは、自我、概念のレベルであり、「構文的―メンバーシップ的」とも表現されます。
仏教の「意識」はこれに当たるとされます。

また、このレベルは、「初・中期の自我」、「後期の自我」、「成熟した自我」の3段階に分けられます。
「初・中期の自我」は、男根期、ピアジェの「具体的操作的思考」が当たり、身体の分離・操作が行われます。
「後期の自我」は、思春期、ユングの「ペルソナ」、ピアジェの「形式的操作」が当たります。

次の「生物社会的帯域」の段階は、「意識のスペクトル」でも語られたものですが、「アートマン・プロジェクト」ではほとんど語られません。
ヒンドゥーの「マノーマヤ・コーシャ」は、ここまでが当たるとされます。

「ケンタウロス」は、心身の統一を目指すレベルです。
心理学・心理療法では、人間性・実存派心理学、ゴールドスタインの自己実現、ロジャーズの有機体的価値付けなどが、このレベルに当たります。
仏教の「応身」は、ここまでが当たるとされます。

高次の空想、超言語的なものがこのレベルの言語となります。
超言語は、前言語的段階(一次過程)と言語的段階(二次過程)の魔術的総合です。
感覚意識は自我的文化的覆いを取り除かれると、高次の諸エネルギーが流入した超感覚意識になっていきます。

次の「サトル」のレベルは、仏教の「報身」、ヒンドゥーの「ヴィジュニャーナマヤ・コーシャ」に当たるとされます。
また、このレベルは上位と下位の2段階に分けられます。

「下位サトル」は、サイキックな領域であり、アストラルと呼ばれてきた領域です。
「上位サトル」は、インスピレーション、音と光の開示、元型の頂点としての神格、などに当たります。
また、仏教の「末那識」であり、ヒンドゥーの「ヴィジュニャーナマヤ・コーシャ」はここまでが当たるとされます。

ちなみに、ウィルバーは、「元型」という言葉を使っていますが、これはユングと異なる意味で、「微細な種子的形態」とも表現しています。
これは、ストア派の「種子的ロゴス」、シュタイナーの「霊的原像」、インドの「種子」概念に近いようと思います。
それに対して、ウィルバーは、ユングの「元型」は、魔術的・神話的構造の中にある古代的イメージにすぎないと考えています。

「コーザル」のレベルは、仏教の「法身」であり、ヒンドゥーの「アーナンダマヤ・コーシャ」はここまでが当たるとされます。
また、このレベルは上位と下位の2段階に分けられます。

「下位コーザル」は、最終神、すべての元型形態の点源です。
仏教の「阿頼耶識」、ヒンドゥーの「サヴィカルパ・サマディ」はここに当たるとされます。
「上位コーザル」は、無形性の領域です。
ヒンドゥーの「ニルヴィカルパ・サマディ」はここに当たるとされまます。

最後の「アートマン」のレベルは、無形性の中心であり、それは全形象世界でもあります。
仏教の「自性身」、ヒンドゥーの「サハジャ・サマディ」はここに当たるとされます。

8942656.jpg


<発達の法則>

「アートマン・プロジェクト」の一連の成長は、最初のレベルから最後のレベルまで、同一の法則で行われます。
新しいレベルの構造が自然に浮上し、意識は古いレベルの構造に対して脱同一化します。
そして、新しい構造に同一化し、新しい構造は古い構造を統合します。
統合というのは、古い構造を含み込んで、操作できるようになることです。

「アートマン・プロジェクト」という概念は、意識が究極的なアートマンを実現しようとする衝動を持って成長することを示すものです。
ですが、ここには、2つの傾向があります。

まず、この絶対的な統一を探求するのが、「アートマン傾向(アートマン・テロス)」と呼ばれます。
これに対して、各レベルに制限があって、その中で探求するのが、「アートマン拘束(アートマン収縮)」と呼ばれます。
この両者の妥協、総合が「アートマン・プロジェクト」です。

ウィルバーは、意識の「表層構造」と「深層構造」を区別します。

「深層構造」は、あるレベルを定義づける基本的な構造です。
「深層構造」の変化は、「変容」と表現されます。
つまり、新しい階層の構造が発現することが「変容」です。

「表層構造」は、「深層構造」の一部が発現したものです。
「表層構造」の変化は、「変換」と表現されます。
「表層構造」の「変換」は、学習によってなされますが、「深層構造」の「変容」は、すでに存在するものを「想起」することで行われます。

つまり、新しい階層(上位のレベル)の構造は、下位から作り出されるのではなく、最初から内包されたていたものが現れるだけです。

ウィルバーは、意識の最深層に「基底無意識」があるとし、そこにすべての段階の構造が潜在的に内包されているとします。
そして、その「基底無意識」からまだ浮上していない「深層構造」を「発現無意識」と表現します。
「発現無意識」を「想起」することで、新しい構造が浮上し、それに同一化することができるようになります。


<瞑想と発達>

ウィルバーは、様々な瞑想修行を行った経験があるようです。
いつであるかは知りませんが、ロサンゼルス禅センターの前角禅師のもとで禅を学んだこともりあります。
また、1980年代後半頃だと思いますが、ナローパ研究所でチベット密教の瞑想修行を行ったこともあります。

ウィルバーによれば、瞑想は、トランス・パーソナルなレベルの発達のための方法です。
彼は、瞑想について次のように書いています。

「瞑想は単に持続された発達ないし成長」
「瞑想とは進化である、それゆえに変容である」
「トランス・パーソナルな領域は実は発現無意識の一部であり、瞑想はその発現を加速するにすぎない」

また、次のようにも書いています。
「瞑想は…現在の変換を行き詰まらせ、新たな変容を鼓舞することを意味する」

つまり、瞑想では、概念的思想を無効にするのですが、ウィルバーは、「心的―自我的」のレベルの概念的思考を止めると、下位レベルへの退行と上位レベルの諸側面の侵入が同時に発生すると書きます。
精神分裂症には、両者の混合が見られますが、統合に失敗して、自我的リアリティに戻ってくることができないと、病的な退行をしていまします。

また、サトル・レベル以上の各レベルに対応する瞑想の種類、病的障害としては、次のような対応があります。

  (レベル)        (瞑想)            (病気・障害)
・下位サトル(応身クラス):ハタ・ヨガ、クンダリニー・ヨガ:霊的体験への執着
・上位サトル(報身クラス):ナーダ・ヨガ、シャブダ・ヨガ :至福体験への執着
・コーザル (法身クラス):ラマナ・マハルシ、禅     :下位構造の残存


<内化>

ウィルバーは、「ヒンドゥー教によれば」と書きながら、オーロビンドのみが主張する「進化」と「内化」の概念を紹介します。
「内化」は、「進化」と反対で、ブラフマンによる現象世界の創造プロセスです。

そして、ウィルバーは、「チベット死者の書」が死後から再生するまでを語るプロセスを、「内化」の過程であると解釈します。
それは、法身の意識状態から、報身、そして、粗大な領域を反映して、テュポンやウロボロスといった身体に束縛されたあり方に向かうプロセスです。

そして、この「内化」の法則は、「アートマン拘束」や「エロス」によって機能するもので、変容が下方に向かいます。

また、「内化」は、人の誕生以前だけではなく、覚醒している時にも、瞬間ごとにその全過程を体験します。
これは「意識のスペクトル」でも語られたことで、また、実際、チベット仏教でも説かれることです。
人は本来的にブッダでありアートマンですが、思考の瞬間ごとに分離した自己となるのです。
これをウィルバーは、「ミクロ発生」と表現します。

ウィルバーは、この時、その人が進化した分だけ想起できると書きます。
つまり、例えば、一般の人は、自我は想起できても、法身の意識は想起できない、ということです。


<インテグラル理論>

「アートマン・プロジェクト」までは、個人の内的な心理・意識を対象にして、その発達・進化を理論化しました。

ですが、「エデンより」(1981)以降、より本格的には「進化の構造(Sex, Ecology, Spirituality)」(1995)以降、ウィルバーは、ホラーキー・システムとしての宇宙、人間、文化の進化と階層を、総合的に捉えて体系化しました。
これらは、「トランス・パーソナル」という領域を越えたもので、「インテグラル(統合)理論」、「AQAL(All Quadrants, All Levels)理論」などと呼ばれます。

この統合理論について、その枠組だけをごく簡単に紹介します。

前提として、ウィルバーは、アーサー・ケストラーの「ホロン理論」に従って、世界の存在を「ホラーキー・システム」であると考えます。
つまり、ある存在は、「ホロン」であり、つまり、独立した全体であると同時に、上位システムの部分です。
ホロンは、水平軸では、全体としての「独立性」と、部分として他の部分との「交流」という2つの動因を持ち、垂直軸では、高いレベルへの「自己超越」と、低いレベルへの「自己崩壊」という2つの動因を持ちます。

そして、ウィルバーの統合理論は、このホラーキー・システムとしての世界を,「レベル」、「ステート」、「象限(クアドラント)」、「ライン」、「タイプ」という5つの観点から捉えます。

「レベル」は、発達段階です。

「ステート」は、発達段階とは別の、瞬間瞬間の意識状態のことです。
例えば、一日の中で循環する覚醒、夢見、熟睡の3状態です。
「永遠の心理学」がそうであるように、統合理論では覚醒以上に、熟睡の意識状態を重視します。

「象限」は、思考、感情、感覚などの「個人の内面」、行動、身体、脳・神経など「個人の外面」、文化、相互理解などの「集団の内面」、社会制度、物理的環境などの「集団の外面」という4つの領域です。
この4象限あることで、「トランス・パーソナル」を超える観点を獲得することになります。
人間の進化は、個と集団が相補的に影響し合いながら進むと考えます。

「ライン」は、認知、自我、感情、世界観、実存、スピリチュアリティ、セクシュアリティ、ジェンダー、経済、科学などの発達の領域です。

「タイプ」は、性格や行動傾向の類型のことです。
例えば、ユング系のMBTIの16タイプや、エニアグラムの9タイプなどです。

以上の5つの観点から万物、つまり、個人と社会、歴史などをトータルに捉えるのがウィルバーの統合理論です。

229298.jpg


<ケン・ウィルバー思想の評価>

心理学・心理療法が、東洋の諸宗教・神秘主義思想を十分に理解しない状況があったのに対して、ウィルバーの理論が、その意味を西洋人に分かりやすく説き、位置づけたことは評価すべきでしょう。

一方、東洋の諸宗教・神秘主義思想の中にある、現世否定や一面的な価値観に対して、総合的な発達という観点を重視したことも、現代的で評価できます。

ですが、ウィルバーは、「永遠の哲学」という観点から様々な宗教思想・神秘思想を捉えて、自身の思想の根拠とします。
そのために、諸思想の差を見ずに、強引に、彼自身の観点から同一視することになってしまいがちです。

ウィルバーが、東洋宗教の霊的な道と進化を結びつけるのは、インドの伝統ではなく、神智学やオーロビンドのような西洋の思想を取り入れた思想の系譜のニュー・ヴァージョンであると言えるでしょう。
そのため、ウィルバーは、進化を認めず、堕落論的な宗教思想に対しては、「回顧的浪漫主義者」であると批判します。

ウィルバーの思想は、「原初の智恵」と「永遠の哲学」の違いはあれ、一つの普遍的な伝統を根拠にする点で、ブラヴァツキーの神智学と同じです。
その意味で、ブラヴァツキーの神智学が「近代神智学」の代表とすれば、ケン・ウィルバー理論は「現代神智学」の代表であると捉えることもできるのかもしれません。
ちなみに、ウィルバーは神智学に関しては、ほとんど言及しません。

ウィルバー理論では、あらかじめ基底無意識に、進化・成長のすべての構造が内包されていると考えます。
彼は、「永遠の哲学」がそう考えるからそうなのだと語りますが、実際には、発達心理学的な発想から来ているのではないでしょうか。

また、ウィルバーは、成長・進化のレベルに対して、仏教の言葉の「応身」→「報身(末那識)」→「法身(阿頼耶識)」を当てはめます。
ですが、これはかなり適当です。

仏教においては、「応身」、「報身」、「法身」は仏になって初めて獲得できる身体です。
「死者の書」に即して言っても、例えば、バルドで法性の光を体験しますが、その本質を認識しない限り「法身」を獲得することはできません。
次のバルドでも、「報身」(のイメージ)を見ますが、その本質を認識しない限り「報身」を獲得することはできません。
「報身」を見ている者が持っているのは「意成身」にすぎません。

それに対して、「末那識」や「阿頼耶識」は、これらと違う煩悩性のもので、決してウィルバーの言うようなトランス・パーソナルなものではなく、単に潜在意識です。

ちなみに、ウィルバーは、ナローパ研究所でチベット密教の瞑想修行を行ったことがあるにも関わらず、後期密教やゾクチェン、マハームドラーのような高度な仏教の思想を取り入れることはなかったようです。

ブラヴァツキーの神智学や後期密教などをしっかり吸収しないかぎり、本当の意味で現代的な神智学とは言えません。

一方、ウィルバーの思想が、過去の神秘思想と類似する興味深い点は、次の点です。

ウィルバーの理論では、成長の前半と後半、つまり、プレ・パーソナル段階とポスト・パーソナル段階が、パーソナルな自我段階を折り返しとして対称的な構造があります。

こういった対象性は、新プラトン主義のプロクロスや、シュタイナーのような、西洋の神智学に見られるものです。
特に、順次下位レベルを意識化することで上位レベルの意識が生まれるとする点で、シュタイナーと似ています。

nice!(0)  コメント(0) 

ニュー・サイエンス [現代]

ニューエイジ思想に共鳴して、従来の実体主義的、機械論的、還元主義的、原子論的なアプローチの科学ではなく、関係主義的、有機体論・システム論的、階層的・全体的、場の理論的なアプローチをした科学が生まれ、これらが総称して「ニュー・サイエンス」と呼ばれます。

もともと、量子力学の世界観は、従来の西洋の原子論的な世界観では理解できず、ボーア、ハイゼンベルグ、湯川秀樹などのように、量子力学を作った物理学者の中には、タオイズムや仏教などの東洋思想の世界観に注目した人が多くいました。

このページでは、ニュー・サイエンスとして名前の挙がる科学者達、フリッチョ・カプラ、デヴィッド・ボーム、ルパート・シェルドレイク、アーサー・ケストラーの思想を簡単にまとめます。


<フリッチョ・カプラのタオ自然学>

物理学者のフリッチョフ・カプラは、現代物理と東洋思想の世界観の類似性を論じ、また、世界観のパラダイム・チェンジの必要性を主張して、ニュー・サイエンスの代表的な論客になりました。
カプラは、神秘主義という言葉も肯定的に使います。

カプラは、「タオ自然学」(1975年)で、東洋の諸経典などと現代物理学者の言葉を引用しながら、ヒンドゥー教、仏教、易経、老荘思想、禅といった東洋思想の世界観と、量子力学などの現代物理の世界観が類似性していることを示しました。

以下、「タオ自然学」の各章で、現代物理のどのような理論が、東洋思想の世界観と似ていると論じたのかを、簡単にまとめます。

「万物の合一性」という章では、量子力学の観測の問題を取り上げて、主客の分離ができないことを論じました。

「対立世界の超越」という章では、量子力学における粒子と波動の相補性を取り上げて、二項対立が成り立たないことを論じました。

「四次元時空」という章では、相対論などによる時空の相対性などを取り上げて、絶対時空の非実在性について論じました。

「ダイナミズム」という章では、現代物理の波動としての世界観と振動宇宙論が、動的で生成的な宇宙論であると論じました。

「空と形象」という章では、場の理論が形象の背後に実在を見ていることを論じました。

「コズミック・ダンス」という章では、素粒子物理学(場の量子論)における素粒子の生成・消滅などが、シヴァのダンスとして表現される宇宙論と似ていることを論じました。

「変化のパターン」という章では、S行列理論が、易経の体系と同様に、関係主義的(事的)世界観であることを論じました。

「無碍の世界」という章では、基本的構成要素を否定して要素の調和を説く量子力学のブーツストラップ理論を紹介しました。
カプラはジェフリー・チューのブーツストラップ理論を支持していましたが、残念ながら、その後の物理学の流れで主流とはなりませんでした。

capra.jpg
*以下、写真はすべて、顔が掲載された書というだけの意味で、本文で触れた書ではありません


<デヴィッド・ボームの内蔵秩序>

量子力学を専門にする理論物理学者のデヴィッド・ボームは、「内蔵秩序(Implicate order、内包秩序、内在秩序)」という概念を中心にして、ホログラム的な部分即全体の世界観を提唱しました。

ボームによれば、時空の各領域は、宇宙全体の構造を包み込んでいるのです。
そして、自然は内包された秩序ごと、全体として運動(ホロ・ムーヴメント)します。

それに対して、知覚される秩序は「表出秩序(Explicate order、外在秩序)」と表現され、内蔵秩序の中の特定の相を持ち上げたものなのです。
つまり、「思考」は「マインド」という内蔵的全体性を持つものから表出されたものにすぎないのです。

ですが、「思考」を停止させて生まれる「洞察」は、脳という物質に変化をもたらすと言います。

ちなみに、この内蔵/表出という考え方は、ベルグソン―ドゥルーズの哲学とも類似しています。

ボームは、量子力学のコペンハーゲン解釈に反対し、ド・ブロイのパイロット波理論を発展させ、内蔵秩序の隠れたパラメーターを導入した解釈を行いました。
彼の解釈(隠れた変数理論、ボーム解釈)には、現在でも一定の支持者がいます。

ボームが哲学と物理学を結び付けて語った書には、「全体性と内蔵秩序」(1980年)、「科学、秩序、創造性」(1987年)などがあります。

ボームは、クリシュナムルティとの深い交友関係があり、ダライ・ラマとの対談も知られています。

51SnwN-beVL__SX331_BO1,204,203,200_.jpg


<ルパート・シェルドレイクの形態形成場理論>

ケン・ウィルバーは、ボームの世界観に階層性が欠けているという批判を行いました。
ケン・ウィルバーの世界観では、階層性は基本的要素です。

これに対して、独自の階層性を持った世界観の可能性を提唱したのが、ルパート・シェルドレイクです。
彼は、「形態形成場」という概念を、物理学や生物学といった領域を越えた仮設として考えました。

シェルドレイクは、自然科学や哲学、科学史を学び、ケンブリッジで生化学の博士号を取得し、細胞生物学を研究する科学者でした。
また、彼は、インドでも生物学の研究を行った時期があり、彼の最初の著作、「生命のニューサイエンス」(1981年)は、南インドのアシュラムで執筆されました。

「形態形成場理論」は、何らかの形態(物理的なものから生物的なもの、人間的な思考などまで含めて)が一旦生まれると、それが場として形成・保持され、さらに、反復によって強化されるという理論です。
特定の形態形成場が形成されると、それ以降、場の影響によって、空間を越えて、同様の形態が形成されやすくなるのです。

例えば、新しく合成されたばかりの化学物質は、非常に結晶化させにくいけれど、時間が経つにつれて(形態形成場が確立されて)結晶化しやすくなる、という経験的事実があるそうで、これが「形態形成場理論」の具体的な一例として、あげられます。

また、形態だけでなく、運動に関しても同様の場が発生するとして、「運動場」と名付けました。

「形態形成場理論」は、上位の世界(例えばアストラル界)が下位の世界(例えば物質界)のひな型・原因になるという、伝統的な神智学の思想を、科学の言葉に翻訳したような理論です。

シェルドレイクは、「形態形成場」には階層性があって、物質に対して精神は、「形態形成場」の「形態形成場」とも考えることができる、という仮説を提唱しました。

ですが、彼の理論は、数式にできるようなものではないようですし、例えば、微分だとか、あるいは、超準的数学とつなげて考えることもないようです。

1575891855.jpg


<アーサー・ケストラーのホロン>

アーサー・ケストラーは、ジャーナリスト、小説家、政治活動家、哲学者であって、科学者ではありません。

ですが、彼は科学にも詳しく、1967年に出版した「機械の中の幽霊」では、機械論的還元主義に反対して、「ホロン」という概念を提唱して、ニュー・サイエンスやケン・ウィルバーにも影響を与えました。
また、1978年の「ホロン革命」でも、その概念を発展させました。

ケストラーのホロン理論は、創造的・階層的なシステム理論で、宇宙は、原子のような最小の存在単位とその法則には還元できないという考え方です。

「ホロン」は、上位に対しては部分であり、下位に対しては全体である宇宙の存在単位です。
存在は「ホロン」が連なる階層構造になっていて、その構造は「ホラーキー」と呼ばれます。
「ホロン」は、同階層の他の「ホロン」に対して自立すると同時に共同することで、創造も行われます。

「ホロン」の世界観は、還元主義に対して打ち出されたという側面が強いので、各ホロン間の内外での矛盾性や否定性の力動的な関係については十分に論じていないように感じます。

518FaUuralL__SX314_BO1,204,203,200_.jpg


以上の他に「ニュー・サイエンス」と形容される学者としては、超常現象を認める生物学者のライアル・ワトソン、秩序の発生に関する「散逸構造」のイリア・プリゴジン、脳のホログラム的構造を提唱したカール・プリグラムなどがあげられます。

nice!(0)  コメント(0) 

トランス・パーソナル心理学 [現代]

ニューエイジ・ムーヴメントの一つの潮流である「トランス・パーソナル心理学」は、何らかの変性意識的状態を重視し、自己超越を目指すような心理学、心理療法です。

「トランス・パーソナル心理学」は、「人間性心理学」をベースにしながらも、東洋の諸宗教の瞑想法などを取り入れて発展しました。

このページでは、アブラハム・マズロー、スタニスラフ・グロフ、ケン・ウィルバー、ジョン・C・リリー、ジョン・ウェルウッドを中心にして、「トランス・パーソナル心理学」の概要について簡単にまとめます。


<アブラハム・マズロー>

アブラハム・マズローは、心理学を大別して、フロイト派の精神分析学と行動主義心理学に対して、自分が提唱する「人間性心理学」を第3勢力、さらに、その発展形の「トランス・パーソナル心理学」を第4勢力と表現しました。

マズローは、行動主義心理学から転向して、5-6段階の「欲求の階層論」を提唱したことで知られる心理学者です。
彼の理論では、第5段階が「自己実現」の欲求で、その先に「自己超越」の欲求を想定しました。

分かりやすく定義すれば、フロイト派が病人の「治療」を目的にするのに対して、健康な人間の可能性を成長させ、「自己実現」を目指すのが「人間性心理学」であり、それを越えて「自己超越」を目指すのが「トランス・パーソナル心理学」です。

マズローのサポートで「クライアント中心療法」のカール・ロジャーズが、1963年に設立したのが「人間性心理学会」、マズローがスタニスラフ・グロフと共に1969年に設立したのが「トランス・パーソナル心理学会」です。

「人間性心理学」の心理学者として語られるのは、マズロー、ロジャーズの他に、「人間性回復運動(ヒューマン・ポテンシャル・ムーヴメント)」を提唱して「人間性心理学」を大衆レベルにまで広げた「ゲシュタルト療法」のフレデリック・パールズ、「サイコシンセシス(精神統合)」のロベルト・アサジョーリなどがいます。
他にも、実存主義的な心理学者も含めることがあります。

マズローは、最後の段階として「自己超越」欲求を設定し、様々な恍惚的な高揚の体験である「至高体験(ピーク体験)」やその後の「高原体験」について研究しましたが、具体的なヴィジョンを持つに至りませんでした。
彼は行動主義から来た人で、深層意識に対するアプローチには弱かったのでしょう。

「トランス・パーソナル心理学」は、そのマズローが、LSDを使った実験を行っていたスタニスラフ・グロフと出会うことで生まれました。

「トランス・パーソナル心理学」は、「人間性心理学」の延長線上にありますが、LSDなどによる意識拡大のショックと、東洋系宗教の瞑想法、体験的セラピー(グループ・ワーク、ボディ・ワークなど)、ユンク心理学などが交流することによって生まれました。


<スタニスラフ・グロフ>

スタニスラフ・グロフは、チェコスロバキアのフロイト派の分析医でしたが、1960年からLSDを利用した治療実験を始めました。
彼は、LSDを大量に投用して、目隠しして患者と対話する治療方法を「サイケデリック」と呼び、また、「トランス・パーソナル」という言葉も使っていました。

グロフは1967年にアメリカ移住しましたが、マズローが自分に足りなかった方向をグロフに見て、2人で「トランス・パーソナル心理学会」を設立したのでしょう。

LSDが違法化されて以降、グロフは、過呼吸的な早くて深い呼吸法を利用して変性意識状態に入る「ホロトロピック・セラピー」を開発しました。
この方法では、数時間に及ぶ呼吸法を行い、その後に、心理的問題が身体症状として現れた「ブロック」を解きほぐすボディ・ワークなども併用しました。

グロフは、多くの被験者の体験をもとに、「意識の作図学」として、変性意識体験が進むプロセスを、以下のように段階化しました。

1 感覚的障害領域(審美的領域):内面に向かうことで五感に心地良さが現れる
2 伝記的領域(フロイト的領域):過去の経験・抑圧が思い出される
3 分娩前後領域(ライヒ/ランク的領域):出産時の体験の再現
-1 BPM1(羊水に浸かっている状態):大洋的感覚
-2 BPM2(子宮収縮):圧迫感、渦巻きに飲み込まれる感覚
-3 BPM3(参道通過):死、葛藤や障害を感じる
-4 BPM4(出産後):再生、心地よい状態
4 トランス・パーソナル領域(ユング的領域):時空の制約を超える体験

「分娩前後領域」は、フロイト派のオットー・ランクに由来しますが、彼のように出産時の体験をトラウマとして考えるよりも、異なる自分に再生するプロセスとして注目しました。

出産を心理的再生の比喩として使うことは、世界の宗教儀礼で広く行われています。
ですが、グロフには、フロイト派の発想が残っているように感じてしまいます。

Stanislav_grof01.jpg


<エサレン研究所>

アスコーナのカウンター・カルチャーは、モンテ・ヴェリタというサナトリウムでの自然療法が中心となったように、ニューエイジのヒューマン・ポテンシャル運動やトランス・パーソナル心理学は、エサレン研究所が中心的な拠点となりました。

エサレン研究所は、スタンフォード大学の卒業生マイケル・マーフィーとリチャード・ディック・プライスによって、1962年に、ネイティブ・アメリカンのエサレン族の聖地に設立されたリトリート施設です。

この研究所には、研究員が長期滞在できたため、様々な先駆的研究者、東洋の宗教家が招かれ、心理療法の様々な実験が行われました。

設立者の2人は、ビートニクに親しみ、オーロビンドや禅などの東洋宗教に傾倒していました。
2人がインドのオーロビンドのアシュラムを訪れてヒントを得たことを直接のきっかけとして、設立に際しては、オルダス・ハクスリーのアドバイスも受けました。

この研究所で初期に行われていたのは、ゲシュタルト療法、クライアント中心主義、ボディ・ワーク(バイオエナジェティックス、アレクサンダー・テクニーク)などで、多くが、グループ・ワーク(エンカウンター・グループ)として行われました。

エサレン研究所に対しては、早期にマズローが支持を表明しました。

この研究所は、例えば、グロフがカスタネダと出会ったり、ジョン・C・リリーがパパ・ラム・ダスと出会ったりと、研究者の交流の場にもなりました。

プライスは1977年にインドのラジネーシのアシュラムを訪れたことで、ラジネーシがセラピーに興味を持つことにもなり、エサレンとラジネーシのアシュラムの交流も行われました。
ですが、ラジネーシのアシュラムが過剰に感情の解放を行っていることから、エサレンは距離を置くようになったようです。


<ケン・ウィルバー>

グロフと並んでトランス・パーソナル心理学の代表的思想家として上げられるのは、ケン・ウィルバーです。

グロフが臨床心理的立場で理論構築と実践を行ったのに対して、ウィルバーは宗教哲学的な思想家、瞑想者の立場でそれを行いました。
ウィルバーは、禅やチベット仏教の瞑想修行を経験しています。

このように、トランス・パーソナル心理学の中には、2つの対照的な立場がありました。

ウィルバーは、禅やチベット仏教の瞑想修行を行いながらも、ヴェーダーンタ哲学やオーロビンドの影響を受けながら、トランス・パーソナルな意識論、成長段階論、文化進化論などを構築しました。

ウィルバーの思想は、初期には「スペクトル理論(スペクトル心理学)」と呼ばれましたが、後には「統合理論(インテグラル・セオリー、統合心理学)」と呼ばれるようになりました。

ウィルバーは、意識やその発達には階層性があって、それぞれの段階によって病気・障害や、その治療法が異なるとして、様々な心理学、心理療法、東洋の瞑想法などを、体系的に位置づけました。
それによって、トランス・パーソナル・シーン全体を俯瞰し、整理・統合する視点を提供しました。

また、個人の成長は進化のミニチュアであると考え、さらに、個人の内面だけにとどまらず、外面的活動や共同体などについても体系的に取り扱うことで、「トランス・パーソナル」という限定を越えて、統合理論(AQAL理論)、となりました。

ウィルバーは、著作活動と同時に、様々な教育研究機関を設立してきました。
1987年の「インテグラル・インスティテュート」、2005年の「インテグラル・スピリチュアル・センター」、2005年の総合大学「インテグラル・ユニバーシティー」の設立です。
また、2006年に設営されたハンガリーの「インテグラル・アカデミー」にも協力しました。

ウィルバーの最初の著作である、1977年の「意識のスペクトル」では、自己と非自己の境界をどこに見るかという観点から、意識の階層(スペクトル)を論じました。
これは、成長の前半に発達心理学を置き、その延長上の後半に東洋の霊的な求道の道を置くものでした。
ですが、前半の前個人レベルと、後半の超個人レベルが混同される難点を持っていました。

そのため、1980年の「アートマン・プロジェクト」では、個人の意識の発達段階の観点から、その違いを明確化して論じました。
この書では、進化もテーマとして上げながらも、実際には、文明の発展も生物進化も対象とせず、個人の心理的成長しか論じませんでした。

ですが、1995年「進化の構造」以降は、ホラーキーシステムとしての宇宙、人間、文化の進化と階層を、個と集団、内面と外面の4つの象限から論じるようになりました。

東洋の霊的な道を進化と結びつけるのは、インドの伝統というより、神智学やオーロビンドのような西洋の思想を取り入れた系譜のニュー・ヴァージョンと言えるでしょう。

51WoC+mIs0L.jpg
*以下、写真は顔が掲載された書というだけの意味で、本文で触れた書ではありません

*ケン・ウィルバーについては、別ページで紹介する予定です。


<ジョン・C・リリー>

トランス・パーソナル心理学の範疇で語られることは少ないのですが、ここに入れることができる科学者に、ジョン・C・リリーがいます。

リリーは、イルカとのコミュニケーションを研究して、映画「イルカの日」のモデルとなった科学者として知られています。
ですが、それ以上に、アイソレーション・タンク(感覚遮断タンク)の開発者・実験者で、映画「アルタード・ステーツ」のモデルになった科学者として重要です。

リリーは、1954年からアイソレーション・タンクを用いて変性意識の実験を行い、1964年からは、LSDを大量に摂取してそれを行いました。

リリーは、1967年の「生物コンピューターにおけるプログラミングとメタプログラミング」で、変性意識を、脳のプログラミング、メタプログラミングの観点から論じました。
彼は、タンクの中で、「僕は、巨大な宇宙コンピューターの中の小さなプログラムである」という体験をしていたからです。

リリーは、人間コンピューターの構造レベルを10段階で考えています。

10:未知なもの
9 :本質のメタプログラミング
8 :自己メタプログラミング
7 :自我のメタプログラミング
6 :非制御システムのメタプログラミング全般
5 :プログラミング
4 :脳の諸活動
3 :脳
2 :身体
1 :外的現実

*「意識の中心」より

リリーは、1970年前後の頃に、エサレン研究所でワークショップを行うと共に、他の講師のワークショップにも参加もしました。

その後、リリーは、エサレンで話に聞いた、チリの秘教集団アリカを率いるグルジェフィアンのオスカー・イチャーソのもとを訪れました。
イチャーソは、パーソナリティ・システムとしてのエニアグラムの提唱者でもあります。
そして、彼の教えを受け、タンクで体験したものと同様の体験をしました。
イチャーソとの出会いによって、彼は、グルジェフの階層の理論を取り入れ、1972年に、「台風の目(意識の中心)」を著して、それを基にした意識論を論じました。

グルジェフの階層は法則数で表現され、法則数が少ないほど、上位の階層です。
ですが、リリーはそれを「振動数」と表現し、上位階層の意識を「+」、下位階層の意識を「-」とします。

地球、つまり、中立的な日常的な意識の状態はレベル±48です。
±48以上の階層の意識の特徴について、リリーは次のように書いています。

+3 :古典的な悟り、宇宙と一体化して宇宙コンピューターのプログラマーになる
+6 :身体のない点(個の本質)になってどこにでも行ける、思考やプログラムは不要
+12:至福、宇宙的愛の状態、体は透明になりエネルギーが出入りする
+24:初歩の悟り、必要な全プログラムが存在して機能し、楽しみながら行為する
±48:自己メタプログラマーになり創造的思考を行う

また、リリーは、1958年に、タンクによる変性意識状態の中で、高次な霊的存在と出会う体験をしました。
彼はその組織を「地球偶然制御局」と呼んでいて、さらに上位の階層の存在があると考えました。
彼らは地球の進化を管理する役目を持っていて、そのために使者を管理していて、リリーもその一人なのです。

リリーは、イルカとのコミュニケーションの研究も行いましたが、それはアイソレーション・タンクの入った人間の状態が、イルカと似ているからです。
彼は、イルカにLSDを摂取させたうえでの実験も行いました。

また、リリーは、タンクの中で、イルカやクジラのコミュニケーション・ネットワークにチャンネルが合うことがしばしばあったと書いています。
そして、彼は、イルカやクジラは、地球外情報の中継局の役割を果たしていると述べています。

まさに、マッド・サインティスと言われたリリーの面目躍如というところです。

m_John20Lilly.jpg 8C1A1439-777A-4E51-B2C0-D77117182E66.jpeg

<ジョン・ウェルウッド>

あまり知られていない人物ですが、ジョン・ウェルウッドも、西の心理学と東の瞑想法をつなごうとした重要な心理学者です。

ウェルウッドは、「男女のスピリチュアルな旅」、「男女の魂の心理学」、「パートナーシップのマインドフルネス」などの著作が日本でも翻訳されていて、男女の心理学で知られています。
ですが、彼は、「東洋と西洋の心理学」という書を編集するなど、西洋の心理学に仏教やインド思想を取り入れること、特にチベット仏教の意識論を取り入れようとしたロジャーズ派、フォーカシング指向心理学派の学者です。

当時のアメリカには、チベット僧のタルタン・トゥルクがゾクチェンを、チョギャム・トゥルンパがマハームドラーを伝えていました。
ゾクチェンやマハームドラーは、仏教、インド思想の意識論の最終奥義であり、世界の仏教学者にも知られておらず、彼らの話を聴いても、ほとんど理解できなかったと思われます。
ウェルウッドは、それを取り入れようとした数少ないニューエイジの思想家です。

ウェルウッドは、無意識を、有機体の構造や関係のパターンであり、「焦点注意」の階層的な「背景」として考えるという、新しい意識-無意識論を提唱しました。

焦点化する注意が特徴の日常的な意識に対して、背景としての意識の階層は、下記の通りです。

1 状況の場:「感じされる意味」(ジョンドリン)、「移行的部分」(ウィリアム・ジェームス)
2 個人的場:ユンクの「影」は有機体の全体平衡機能
3 超個人的場:ユンクの「元型」は世界内身体の普遍的パターン、阿頼耶識
4 開かれた基本的な場:仏教の「原初の知覚・心」

*番号は当ブログ主がつけたもの
4が一番、奥にある背景です。

ウェルウッドの階層論には、ケン・ウィルバーのそれと似ているところもありますが、ヴェーダーンタ哲学よりも仏教を参照しています。

ウェルウッドは、日常的な「焦点化する注意」ではなく、瞑想的・直観的な「拡散する注意」によって、様々な背景の平面を結びつけることができると考えました。

また、ウェルウッドは、意識における仏教の「空」の意味に、3種があると解釈しています。

一つは、思考と思考の間としての「空間」です。
これは、雲の間の青空と比喩表現するゾクチェンの考え方と似ています。

もう一つは、フォーカシング指向心理学の概念の「感じされる意味」、つまり、まだ言葉にならない直感的なものです。

最後は、トゥルンパを引用して「あるがままに見られる広がり」とか、「大きな心」と表現されます。

最後の場についてウェルウッドが語っていることで興味深い点は、彼がトゥルクを参照しながら、感情を否定するのではなくその中に飛び込むことで、その固まりが、活発になり、変化し、氷解すると語っているところです。

これは、ゾクチェンの自己解脱の考え方に近いものです。
この場についての説明で彼が表現している「原初の知覚・心」は、ゾクチェンの「明知(リクパ)」や「原初の境地」を背景にしているのかもしれません。

ウェルウッドが、「背景」とか「広がり」といった言葉を使う点には、仏教的な非実体主義的思想を感じます。

nice!(0)  コメント(0) 

ニューエイジのネオ・オリエンタリズムとネオ・シャーマニズム [現代]

意識拡大や自然志向を特徴とするヒッピー、ニューエイジ思想は、瞑想的なヒンドゥー教や仏教を指向する「ネオ・オリエンタリズム」や、幻覚剤を使用する中南米のシャーマニズムを指向する「ネオ・シャーマニズム」の潮流と結びつきました。

このページでは、これらの合流域を簡単にまとめます。


<パパ・ラム・ダス>

ニューエイジの一潮流としての「ネオ・オリエンタリズム」の象徴的人物は、パパ・ラム・ダスことリチャート・アルパートです。

彼はLSDを摂取して神秘的な体験をしても、やがては元の自分、もとの世界に戻ってしまうだけの繰り返しになることで、その限界を感じました。

そして、インドに道を探し、本物のグル、ニーム・カロリ・ババに出会いました。
その後、彼が発表した「ビー・ヒア・ナウ」(1971)、「覚醒への旅」(1978)などは、「ネオ・オリエンタリズム」へ若者を導く道標になりました。

ラム・ダスは、特定の宗派の立場から語ることはせず、ヒンドゥー教、仏教、スーフィズム、キリスト教など、様々な伝統、瞑想法を俯瞰して紹介しました。
そして、特定の方法にこだわらないこと、自然に様々な方法に興味が向かうこと、道のプロセスは個人によって異なることを説きました。

これは、情報化時代に相応しい姿勢だったのでしょう。

m_ram20dass.jpg


<インドのグル達>

インドやチベット、日本などのヨギ、僧侶のアメリカでの活動も、「ネオ・オリエンタリズム」を牽引しました。

ヒンドゥー系では、以前から活動していたクリシュナムルティに加えて、マハリシ・マヘッシ・ヨーギ、バグワン・ラジニーシらが人気を得ました。

マハリシ・マヘーシュ・ヨーギはシャンカラ派のヨギですが、1959年にアメリカに団体設立し、マントラ・ヨガのTM瞑想を説き、その実践のしやすさからヒッピーに人気となりました。

バグワン・ラジニーシ(和尚)は、ジャバルプール大学の哲学教授でしたが、様々な伝統を広く勉強して、西洋的なセラピーのテクニックも取り入れて、現代人に向けて新しい瞑想法を多数生み出しました。
感情の解放や、性に対するオープンな姿勢は、彼の方法の特徴の一つです。

インドのプーナのアシュラムの周辺には、コミューン的な状況が生まれ、1981年にはアメリカのオレゴン州にアシュラムを移しました。
ですが、1985年、運営メンバーの起こした事件をきっかけに、アメリカから追い出されました。


<チベットのグル達>

アメリカで活動したチベット人のグルには、チョギャム・トゥルンパやタルタン・トゥルクがいます。
トゥルンパはマハームドラーを伝え、トゥルクはゾクチェンを伝えました。
これらの思想は、当時、仏教の専門家にとってもほとんど未知の思想でした。

チョギャム・トゥルンパは、転生ラマ11代目トゥルクとして育てられ、チベットから亡命後はオックスフォード大学で比較宗教学などを修め、1967年にはスコットランドで西洋初のチベット仏教瞑想センターを設立しました。
ですが、左半身麻痺となる大きな自動車事故に会ったことをきっかけにして、還俗して結婚しました。

これに対する批判もあって、1970年にはアメリカに活動の拠点を移し、コロラドの「ヴァジュラダートゥ」を中心にして各地に瞑想センターを設立しました。

彼は、禅の他に、生け花、演劇など多くの芸術に関心があり、アレン・ギンズバーグらと詩の朗読会も行うなど、多面的に活動しました。
また、1974年には、「タントラへの道」、「タントラ―狂気の叡智」を出版するなどしました。

無題.png


一方、タルタン・トゥルクは、ニンマ派の転生ラマとして育てられ、1960年に、ダライ・ラマの要請によって、インドのベナレス・サンスクリット大学で教鞭を取りました。

1969年には、カルフォルニアに移住し、バークレーにチベタン・ニンマ・メディテーション・センターを設立し、アメリカでの活動を開始しました。

1973年に始めた「ヒューマン・デベロップメント・トレーニング・プログラム」では、現代的で総合的なアプローチを行い、超心理学者チャールズ・T・タート、人類学者のクラウディオ・ナランジョなどのニューエイジ系の学者も参加しました。
彼も多くの著作を残しています。

tartan.jpg


<禅師達>

アメリカで活動した禅師では、鈴木大拙による禅の紹介という土壌に加えて、1962年に「サンフランシスコ禅センター」などを設立した鈴木俊隆、1967年に「ロサンゼルス禅センター」などを設立した前角博雄が大きな影響を与えました。

鈴木俊隆は、曹洞宗の只管打座を説き、とビートニクのスナイダーやギンズバークらとも交流を持ちました。
また、1970年に発表した「禅マインド、ビギナーズ・マインド」は分かりやすい語り口で、大きな影響を与えました。

51mG1Z0hoLL__SX369_BO1,204,203,200_.jpg

前角博雄は、曹洞宗の只管打座と臨済宗の公案禅の療法を教えました。
前角はアル中や性的スキャンダルもあって、彼の元から出た複数の弟子が、それぞれに組織を作って活動したことが特徴です。

また、ベトナムの禅宗のティク・ナット・ハンは、禅やニューエイジという範囲を越えて、世界に大きな影響を与えました。

1966年に渡米して、ベトナム戦争終結の和平提案を行いましたが、ベトナムに帰国することができなくなり、欧米で活動を続けました。
彼はキング牧師にも影響を与えました。

1982年には、南フランスにプラムヴィレッジ・瞑想センターを設立し、また、アメリカ連邦議会やグーグル社で瞑想の指導も行いました。

彼の瞑想法は、上座部のヴィパッサナー瞑想に大乗仏教や禅の利他や現世肯定の思想をミックスしたもので、また、社会参画を重視する姿勢は、「エンゲイジド・ブッディズム」と呼ばれます。


<その他の宗教>

その他にも、ヒッピー、ニューエイジ思想では、スーフィズムやグルジェフ、タオイズムへの関心も起こりました。

また、「ネオ・オリエンタリズム」と連動して、西洋の秘教への関心も高まりました。
例えば、神智学、人智学、魔術、カバラなどです。

中でも、魔術に関しては、カウンター・カルチャーの文脈では、アンチヒーローとしてアレイスター・クロウリーに注目が集まり、ジミー・ページや映画監督のケネス・アンガーらにも支持されました。
よりラディカルなところでは、ピート・キャロルが作ったカオス魔術結社の「IOT」には、ウィリアム・バローズ、ティモシー・リアリー、ロバート・アントン・ウィルソンらが参加していたと言われています。

また、キリスト教の修行体系の掘り起しも行われました。
それを行ったのは、サンフランシスコ州立大哲学教授のジェイコブ・ニードルマンや、ハーバード神学科のハーヴェイ・コックスらです。
ジェイコブ・ニードルマンは、幅広く秘教を研究する比較宗教学者でもあり、グルジェフィアンでもあり、「ロスト・クリスチャニティ」の著者です。


<ネオ・シャーマニズム>

ヒッピーやニューエイジ思想の自然回帰的志向、そして、ドラッグなどによる変性意識への関心は、必然的に、メスカリンなどを使う中南米のシャーマニズムの研究を促し、「ネオ・シャーマニズム」の潮流と接点を持ちました。

「ネオ・シャーマニズム」に類するヨーロッパの運動では、「ネオ・ペイガニズム(新異教主義)」の「ウィッカ(魔女宗)」や、「ネオ・ドゥルイディズム(ケルト宗教)」、「ゲルマン・ネオ・ペイガニズム」などへの関心も高まりました。

ニューエイジと関係が深かったネオ・シャーマンは、カルロス・カスタネダとマイケル・ハーナーでしょう。


カルフォルニア大学の人類学の学生だったカルロス・カスタネダが発表したドン・ファン・シリーズ(「ドンファンの教え」1968年-1999年)は、ヒッピーらに熱狂的に受け入れられました。
彼は、この研究で博士号を取得したのですが、多くの専門家がフィクションだと判断しています。

ドン・ファン・シリーズは、ヤキ・インディアンのシャーマンに弟子入りしたカスタネダが、その体験とトルテカに由来するとされる教えを語ります。

ドン・ファン・シリーズが高い評価を得たのは、その思想が、単なる部族シャーマニズムではなく、特定の世界観を越えようとする哲学を持っていたからでしょう。
カスタネダが提示したのは、呪医や司祭ではなく、知者の道、求道としてのシャーマニズムでした。

カスタネダは、1973年に、タイム誌で特集されたり、批判を受けたりした後、世間から隠遁しました。
彼は、同じドン・ファンの弟子として著作のあるフロリンダ・ドナー・グラウ、タイシャ・エイブラーらと集合住宅を共同購入し、そこに住みました。
また、彼らは1993年に、彼らの「テンセグリティ」と呼ばれる教えの指導と出版を行うCleargreen Incorporatedを設立しました。

カスタネダの書は、研究者がフィールドワークで、あるいは、一般人が、シャーマンに弟子入りするという流れを作り、それによてネオ・シャーマニズムの潮流を大きくしました。

カスタネダ.jpg

人類学者のマイケル・ハーナーは、1960年に、アマゾンのフィールド調査で幻覚植物アヤワスカを体験しました。
そして、1970年代初頭から、コネチカットでドラムを使ったシャーマニック・トランスのワークショップを始めました。
1980年には、「シャーマンの道:力と癒しのガイド」を出版し、大きな影響を与えました。

ハーナーは、アメリカのネイティブ・アメリカンのシャーマンの技法をベースにして、現代の西洋人が実践できる成長と治療のシステムを作り、それを「コア・シャーマニズム」と名づけました。

ちなみに、カルロス・カスタネダに本を書くようにアドバイスしたのはハーナーで、カスタネダは一緒にドン・ファンに会いに行こうと誘われたそうですが、忙しくて行けなかったそうです。

harner.jpg

*カルロス・カスタネダとマイケル・ハーナーに関しては、別ページで紹介する予定です。


nice!(0)  コメント(0) 

ニューエイジの背景(ビートニク、ヒッピー、サイケデリック) [現代]

ニューエイジ・ムーヴメントは、70年代のアメリカを中心に、心理学、宗教、哲学、人類学、科学、生活スタイルなど、様々な分野で盛んになった複合的な文化運動です。
その影響は、アメリカを越えて世界的となり、また、80年代以降も、様々な形に変化して継続しました。

ニューエイジの特徴には、神秘主義的な精神の高揚がありました。
このように様々な神秘主義的な思想が高揚し交流した思想運動は、西洋の歴史で言えば、ルネサンスや、20C初頭スイスのアスコーナのカウンター・カルチャーを例として挙げることができます。

ただ、ニューエイジから重要な思想家が生まれたかというと疑問もあります。

このページでは、ニューエイジの背景となった、50-60年代にカルフォルニアを中心に興ったカウンター・カルチャーについてまとめます。
具体的には、ビートニク、ヒッピー、そして、サイケデリック・カルチャーです。


<ニューエイジ・ムーヴメントとは>

「ニューエイジ」という言葉は、地球の地軸の歳差運動にともなって、魚座の時代から水瓶座(アクエリアス)の新時代(ニューエイジ)に移行しようとしている、というところから来ています。
もともと、この言葉を流行らせるきっかけを作ったのは、神智学協会のアリス・ベイリーでしょう。
ちなみに、日本では、「ニューエイジ」は、「精神世界」という言葉でまとめられる傾向がありました。

ニューエイジ・ムーヴメントの背景には、資本主義が進む中で物質主義的が行き過ぎることに対する反動があります。
そして、そこに、近・現代の機械論的・合理主義的世界観、人間中心主義・自我中心主義的な価値観を反省する思想が結びつきました。
その中から、先に書いたように、神秘主義的な精神の高揚が生まれたのでしょう。

ニューエイジ・ムーヴメントは、複合的な文化運動でした。
当サイトでは、他のページで、東洋諸宗教へ傾倒する「ネオ・オリエンタリズム」、宗教以前の宗教的伝統へ傾倒する「ネオ・シャーマニズム」、自己超越を目指す新しい心理学・心理療法である「トランス・パーソナル心理学」、機械論的・還元主義的でないアプローチを行う「ニュー・サイエンス」の観点から、ニューエイジ・ムーヴメントを捉えて紹介しています。


<ビートニク>

ビートニク(ビート・ジェネレーション)は、ヒッピー、ニューエイジに先駆したカウンター・カルチャーでした。
ビートニクを指す「ヒップスター」という言葉は、「ヒッピー」の語源となりました。
自然志向、禅などの東洋思想志向、意識拡大のツールとしてのドラッグ、平和主義などの点が、ヒッピー、ニューエイジへと継承されました。

ビートニクは、50年代後半に、カリフォルニアを中心に起こった詩人、作家の運動で、代表的な人物は、アレン・ギンズバーク、ジャック・ケルアック、ゲイリー・スナイダー、ウィリアム・バローズらです。

スナイダー、ケルアックは、鈴木大拙の影響で禅に傾倒しました。
スナイダーは禅の詩人の寒山の詩を英訳しましたが、寒山を一種の理想像として、ミルヴァレー山脈の掘っ立て小屋に住んでいました。
彼は、一時、京都郊外にも住んでいました。

禅の紹介者として有名なアラン・ワッツには「ビート禅、スクエア禅、禅」(1959年)という著があって、ビートニク的な思い切りのいい禅、生活の中で行う一般人の禅、東洋の本場の禅を比較して紹介しています。

ビートニクはドラッグを肯定的に捕らえましたが、ビートニクにドラッグを持ち込んだのはウィリアム・バローズでした。
彼らが使ったのは、マリファナ、メスカリンでした。

ギンズバーグは、1960年にはマジックマッシュルームの調査にペルー旅行に行きましたし、ドラッグの体験記や詩も発表しました。
その後、彼は仏教、ヒンドゥー教に傾倒して、インドのベナレスに住みました。
彼の人生は、ヒッピー、ニューエイジ系の原型のようです。

51YfBTF04rL.jpg

また、「カッコーの巣の上で」で知られる作家のケン・キージーは、ビートニクとヒッピーをつなぐ存在です。

キージーは、1950年代後半に、サイケデリック集団「メリー・プランクスターズ」を結成し、カルフォルニアで共同生活を始めました。
1964年には、サイケデリックな塗装をしたバスで、LSDを広める実験ツアーを始めました。
そのメンバーには、ケルアックの「路上」の登場人物のモデルになったニール・キャサディら、数人のビートニクがいました。

1966年には、サンフランシスコで、参加者にLSDを配り、グレイトフル・デッドやジミ・ヘンドリックスが参加するロック・フェスを行い、サイケデリック・ロックの教祖、そして、ヒッピー・コミューンの先駆者にもなりました。


<ヒッピー、フラワー・ムーヴメント>

サイケデリック・ロックに興味を持った若者が、ヘイト・アシュバリー周辺で共同生活を始め、全米から多くの若者が移住してきたのが、ヒッピーの始まりです。
ロック以外では、ストリート演劇集団の「ディガーズ」のゲリラ的活動が、一つの中心でした。

直接的なヒッピー・ムーヴメントは、1967年に行われた集会「ヒューマン・ビーイン」と、モントレー・ポップ・フェスティヴァルに始まり、同年の夏に全米から10万人がサンフランシスコのヘイト・アシュベリー周辺に集まった「サマー・オブ・ラブ」をピークとして、ごく短期間で終わりました。

ヘイト・アシュベリーでは、メディアの過熱した連日の報道もあって、人口が過密して治安も悪化し、10月6日、「ディガーズ」はヒッピーの「死」を宣言する葬儀パレードを行って、自らムーヴメントを終了させました。
それ以降、ヒッピーのムーヴメントは、各地でコミューン化していきました。

ビートニクが詩や文学を表現手段としたのに対して、ヒッピーは視覚芸術(サイケデリック・アート)を主な表現手段としました。
音楽的には、ビートニクがモダン・ジャズを聴いたのに対して、ヒッピーはサイケデリック・ロックを聴きました。
ドラッグは、ビートニクがマリファナ、メスカリンであったのに対して、ヒッピーはLSDでした。


<サイケデリック・ムーヴメント>

LSDなどの幻覚剤系のドラッグによって意識拡大を目指す「サイケデリック・カルチャー」は、ヒッピー、ニューエイジ思想が生まれるための、極めて大きなきっかけになりました。

LSDやメスカリンなどの幻覚剤は、簡単に誰もが自我意識を越えた宗教的・神秘的体験をすることができたため、多くの人がそれまでの価値観、人生観を変えるきっかけになりました。
彼らは、従来の世界観は、自分たちが作った夢の一種でしかないということに気づき、その外側で圧倒的な「神聖さ」の体験をしました。

ドラッグによる意識拡大、変性意識体験を経た人々は、「サイケデリック・アート(ロック)」、「ニュー・オリエンタリズム」、「ニュー・シャーマニズム」、「トランス・パーソナル心理学」などなど、様々な道を歩んでいくことになりました。

ビートニク以外にも、サイケデリック・カルチャーの重要な思想的先駆者として、イギリス出身でアメリカに移住した作家のオルダス・ハクスリーがいます。

ハクスリーの著書には、「永遠の哲学」(1944年)という、神秘主義的な普遍的世界観を論じた著書があります。
また、メスカリンの体験をもとにしたエッセイ「知覚の扉」(1954年)、「天国と地獄」(1956年)があります。
彼は、神秘主義思想とドラッグ体験を結び付けて考察した思想家です。

「知覚の扉」には、メスカリンの体験に関して、「裸の実在が一瞬一瞬目の前に開示していく奇跡」、「すべてがすべての中にあり、同時に個物でもある」というがあります。

また、彼はクリシュナムルティとは長年家族ぐるみのつき合いをしていました。

ハクスリーが亡くなる時、彼はLSDを妻に要求し、妻が注射をしました。
ちなみに、彼が書いたユートピア小説の「島」では、死ぬ間際にLSDをモデルにした「モクシャ剤(解脱薬)」と呼ばれる薬が渡されるユートピア島が描かれます。

Aldous_Huxley_psychical_researcher.png

メスカリンと比較にならないほどの幻覚作用を持つLSDは、1938年に、スイス人のアルバート・ホフマンによって、呼吸・循環器系の促進薬として開発されました。

その後、一部で精神的な治療薬としての試行錯誤が行われました。
1957年にはアメリカのハンフリー・オズモンドが研究成果を学会発表し、「サイケデリック(精神拡大、精神出現)」という造語を作り、「サイケデリック・セラピー」という言葉を使うようになりました。

治療を越えた「サイケデリック」の可能性を説いた象徴的人物は、ハーバード大学の心理学者だったティモシー・リアリーです。
彼は1960年頃から、はやりホフマンがキノコから合成したシロシビンを、次いでLSDを使った実験を始めました。
彼の実験には、ハクスリーやギンズバーク、ワッツも参加、協力しました。

リアリーのハーバードの同僚だった心理学・社会学者のリチャード・アルパートは、ドラッグ体験を「チベット死者の書」が正確に描写していると考え、リアリーと共著「サイケデリック体験―チベット死者の書に基づくマニュアル」(1964)を発表しました。
そしてその後、彼はインドに道を求め、「ネオ・オリエンタリズム」の導師「パパ・ラム・ダス」となりました。

1964年には、LSD実験ツアー旅行をバスで行っていたケン・キージーが、リアリーを訪ねました。
先に書いたように、彼は、ヒッピーとサイケデリック・ロックの教祖になりました。

ですが、1960年代後半には、アメリカで、マリファナ、LSDが麻薬として違法化されるようになりました。

1968年、リアリーはこれに反対して、カリフォルニア知事の出馬を宣言しました。
そして、ジミ・ヘンドリックスらが参加したキャンペーンソング「You Can Be Anyone This Time Around」を制作し、ジョン・レノンも支持を表明して応援ソング「Come Together」を作りました。

ですが、リアリーは、マリファナとLSDの所持で逮捕・投獄されました。
彼は、一旦、脱走してスイスに亡命するも、アメリカの秘密警察に捕まってアメリカに護送されました。

51p97I8Fj4L__SY445_.jpg

リアリーもラム・ダスも心理学者ではありましたが、LSD体験から、新しい心理学理論・心理療法を作りませんでした。

LSD体験から新しい意識論を作り、「トランス・パーソナル心理学」の一翼を担ったのは、1956年からLSDを使った実験を行っていたチェコスロバキアのスタニスラフ・グロフや、1964年からはLSDを服用してアイソレーション・タンクの実験を行っていたジョン・C・リリーらです。

*彼らについては、「トランス・パーソナル心理学」をご参照ください。


nice!(0)  コメント(0) 

ジル・ドゥルーズと神秘主義 [現代]

ジル・ドゥルーズ(1925-1995)は、20Cの哲学、現代哲学を代表するフランスの哲学者であり、フェリックス・ガタリとの共著でも知られています。

ドゥルーズの哲学は、「差異の哲学」、「生成の哲学」、「多様体の哲学」、「流動の哲学」、「ポスト構造主義」、「ポストモダン哲学」などと称されます。

また、ドゥルーズは、ベルグソン主義者でもあり、自身の哲学の主要な概念として、ベルグソンが使った概念を多用しました。
ベルグソンは神秘主義者を持ち上げましたが、ドゥルーズはそのようなことは行っていません。
彼は、神秘主義者とは言われませんし、本人も否定するでしょう。

ですが、ベルグソン同様に、ドゥルーズは直観(直感)するしかないものを重視しますので、その点では、彼の哲学を神秘主義的と言えなくはありません。
でも、そう言ってしまえば、「差異」を重視する現代的哲学の多くが神秘主義になってしまいます。

このページでは、現代哲学を代表する一人であるドゥルーズの哲学が、神秘主義の現代性を考える上で重要であると考え、ベルグソンを仲立ちにしながら、両者の接点となりうるテーマを取り上げます。
具体的に言えば、神秘主義の「下降道(向下道)」、つまり、絶対者との一体化や神秘的な体験、あるいは空観からの日常への戻り方について、ドゥルーズ哲学が参考になるだろうこと、そして、その点が神秘主義に求められる現代性であろうと思っています。

ちなみに、ドゥルーズの概念を神秘主義思想や東洋思想、仏教と結びつけて論じることは、哲学者の井筒俊彦や宗教学者の中沢新一も行っています。

222884.jpg


<ドゥルーズと下降道>

ドゥルーズは、ベルグソンを継承して、存在・精神を、「持続」=「強度」=「差異」=「多様体」の一元論で捉えます。
これは、多様なものが互いに結びついて多様な生成を行っている状態です。

そして、その度合いである「強度」の違いを、本質的な違いとして問題としました。
この度合いの違いは、「深さ」と表現されることもあります。

ベルグソンは、その様子を逆円錐の図形で示しました。

bergson_ensui.jpg

逆円錐の底面ABが「強度」が最も高い「精神(霊)」的な状態で、「純粋持続(純粋記憶)」と呼ばれ、頂点Sが「強度」の最も低い「物質」的な状態で、「純粋知覚」と呼ばれました。

そして、ベルグソンは、神秘家の神秘体験、直観の状態を、「強度」の高い状態と解釈しました。

ですから、神秘主義の「上昇道」、つまり、神=一者へと至る道は、ベルグソンにとっては、最も「強度」を高めることであり、これは、あるものが他のものと結びつき生成関係になることです。
一方、「下降」は、「強度」が低くなり、錯綜した生成関係が分離、取り消され、固定されることです。

ベルグソン自身は、「上昇」を「弛緩」、「膨張」と呼び、「下降」を「収縮(収約)」と呼びました。

・上昇:純粋記憶へ、弛緩・膨張
・下降:純粋知覚へ、収縮

ドゥルーズは、神秘主義についてはほとんど語りませんが、ベルグソンを仲立ちとすることによって、強引ではありますが、ドゥルーズの哲学を、神秘主義の「上昇」、「下降」の問題として考えてみます。

神秘的意識である「強度」の高い状態には、天に向かう「上昇」の方向とは逆に、大地的、身体的な方向に向かう場合もあります。
そして、ドゥルーズは、非身体的なもの(観念的なもの)と身体的なもの(感じられるもの)を区別して論じることもあります。

ですから、分かりやすく天への「上昇」と、そこから地上へ戻る「下降」の2つと区別して、大地的、身体的な方向に向かう場合を「潜行」、そこから日常へ戻ることを「浮上」と表現して、ドゥルーズの哲学を解釈します。

・上昇:観念的なものの高い強度へ
・下降:観念的なものの低い強度へ
・潜行:身体的なものの高い強度へ
・不浄:身体的なものの低い強度へ

神秘体験には、体験をした後、結局はもと通りの日常に戻るだけになってしまうとか、逆に、まともに日常を営めなくなってしまうことがある、といった問題があります。
そうならないためには、自由で創造的になりながら日常に戻る必要があります。

ベルグソンも同様に考えて、「真の神秘主義」の条件として創造的であることをあげ、それに対して、ギリシャの神秘主義を観照主義、仏教を生命否定的、現世否定的と批判しました。

ドゥルーズが戻り道で重視するのも、この創造性(差異の産出)であり、この点でベルグソンを継承しています。 

また、ドゥルーズは、「内在の哲学」であることを重視し、徹底的に「超越」を否定しました。
彼が神秘主義や東洋思想にあまり触れないのは、そこに潜む「超越性」を警戒していたからかもしれません。
神秘主義的な流出論が垂直軸で語ったことを、ドゥルーズは内在論的な奥行き(深さ)の軸で考えたのですが、この点も重要です。

以上の観点から、ドゥルーズが出版した著作から順にいくつか取り上げて、以下に簡単にまとめます。
ただし、本ブログは哲学がテーマではないので、ドゥルーズ哲学の解釈に際して、正確性を保つことを気にせず、なるだけ分かりやすく比喩的に解釈します。


<ベルグソニズム>

1966年に出版された「ベルグソニズム」は、ベルグソン哲学をテーマにした書です。

ドゥルーズは、この書で、「下降」に当たる「収縮」の2つの様相を区別して、「収縮-並進運動」と「方向付け-回転運動」と表現しています。
そして、後者を目指すべきと主張しています。

「並進運動」は、下降するに従って、「現実化」、つまり、自己同一性を持ったものとして、分離、固定化してしまう運動です。
これは、もと通りの日常に戻ってしまう道です。

これに対して、「回転運動」は、「上昇」と「下降」の回路を持ち、「下降」しても一定の「強度」を保って、内面の深層的存在の様々な変様を生み出す運動です。
これは、「下降道」において創造性を保つ道です。


<スピノザと表現の問題>

1968年出版の「スピノザと表現の問題」は、スピノザ哲学の表現をテーマにした書です。

ドゥルーズは、この書で、アカデメイア最後の哲学者、新プラトン主義のダマスキオスが使った概念、「繰り広げ(展開、エクスプリケーション)」と「包み込み(コンプリケーション)」を取り上げました。
これらの概念は、「差異と反復」でも使われます。

「繰り広げ」は、神が世界を創造する、つまり、「下降」における概念です。
ですが、ドゥルーズは、これらの概念の背景にある思想について、新プラトン主義における汎神論的表現であると解釈しました。
そして、これが中世・ルネサンスのキリスト教新プラトン主義を経て、スピノザにも影響を与えたのです。
つまり、彼らの世界観では、一者は、世界を流出するだけでなく、そこに「内在」します。

その時、重要なのは、結果(世界)が原因(一者)とは異なる、という点です。
強度的な多様体を「繰り広げる」と、同じものにはならない、似たものにはならない、ということです。
こう考えることによって、「下降道」が創造的となるように担保されるのです。


<差異と反復>

1968年出版の「差異と反復」は、ドゥルーズの最初の主著とされます。

ドゥルーズは、この書で、現代哲学=「差異の哲学」(本質を認めない立場)の側から、「同一性の哲学」(本質を認める立場)とされるプラトン哲学を転倒しています。
つまり、プラトンをベルグソン的に読み直します。

プラトンは「同一性(表象=再現前)」の哲学の方向性を示したのですが、それを完成させたのはアリストテレスであり、プラトン哲学の中にはこれに抗する側面もあったと、ドゥルーズは言います。
そして、プラトン哲学をその抗した方向に転倒します。

ドゥルーズは、「イデア(理念)」を「強度多様体」と捉え直して、多様体からの、個別的なものの分化、発生を論じます。

「理念」は、実在的、潜在的、観念的、差異的ですが、可能的、現実的、抽象的、本質ではありません。

・差異の哲学 :実在的、潜在的、観念的、微分的
・同一性の哲学:可能的、現実的、抽象的、本質的

そして、思考されるものの「理念」への「上昇」は、「差異化(微分-差異化、ディフェレンティエイション)」と表現されます。

一方、「下降」は、「理念」が個別的で「現実的」、固定的な「表象(概念、イメージ)」になることですが、これは、「異化(異化-分化、ディフェレンシエイション)」とも表現されます。

ですが、「上昇」と「下降」が、結局、もと通りの日常へ、「習慣」へと戻ってしまい、「理念」が「習慣」の「根拠」になってしまってはいけません。
このような「下降」を「時間の第1の総合」、「上昇」を「時間の第2の総合」と表現します。

この「下降」は、「多様体」としての「理念」が「差異」、「強度」を失って固定的な「表象」となり、「同一性」に限定されて「現実化」することです。

ですが、「下降」が「強度」を保ちつつ、個別化することも可能です。
この道は、「時間の第3の総合」と表現されます。
これは、ニーチェ的な永劫回帰する時間であるとも言われます。

・下降  :時間の第1の総合:異化-分化、収縮
・上昇  :時間の第2の時間:微分-差異、膨張
・永劫回帰:時間の第3の総合:強度を保った個別化

「時間の第3の総合」では、プラトン主義が転倒され、個物は「コピー」ではなく、「シミュラークル」になります。

つまり、個物(概念、イメージ)は、「イデア」という「モデル」に対する似像、模像(コピー)であれば、「同一性」に限定されます。
ですが、「モデル」を目指さない多様な変様体である「シミュラークル」になれば、純粋な創造、差異の産出が可能になります。

「差異と反復」では、言語やイメージの次元と、感じられるものの次元を分けます。

言語的な次元では、「理念」という多様体、差異が、「微分的」、「潜在的」という表現で語られます。
一方、感じられるものの次元では、「強度」という錯綜体が、「深さ」という表現で語られます。

言語的な「理念」への道が「上昇道」、感じられるものの「強度」への道が「潜行道」であるとも言えます。

この書では、「強度ゼロ」のことを、ベーメ、シェリング由来の「無底」とか、「密儀」、「ディオニュソス」とも表現しました。

「強度」に関しては、ダマスキオスの使った、「繰り広げ(展開、エクスプリケーション)」と「包み込み(合わせ含み、交錯、コンプリケーション)」、及び、「巻き込み(折り込み、インプリケーション)」という3点セットの概念で語られます。

「巻き込み」は「潜行道」を、「繰り広げ」は「浮上道」を意味します。
そして、「含み込み」は様々な「巻き込み」の総体的なつながりを意味します。

「浮上道」、つまり、「繰り広げ」という個別化においても、強度を失う道ではなく、強度を保つ道が目指されます。

・上昇:理念へ、微分化、潜在化
・下降:表象へ、分化、現実化
・潜行:強度へ、繰り広げ
・浮上:延長へ、巻き込み


<意味の論理学>

1969年に出版された「意味の論理学」は、「差異と反復」を受けて発生を論じますが、非身体的な「表層」からの発生と、身体的な「深層」からの発生を区別し、その関係を語ります。

「表層」からの発生では、ルイス・キャロル的なパラドクス、ナンセンスや、ストア派が参照されます。
また、禅にも「表層」のナンセンスがあると書いています。
ちょっと意味合いが違うと思いますが。

一方、「深層」からの発生では、現代演劇の創始者とされるアントナント・アルトー的な分裂症的言葉や、前ソクラテス派が参照されます。
ちなみに、アルトーは、ルイス・キャロルは深層を持たないと批判しました。
また、「深層」の身体に関しては、「細分化された身体」と「器官なき身体」があるとします。

・下降:非身体的な表層からの発生:キャロル的パラドクス、ストア派、禅
・浮上:身体的な深層からの発生 :アルトー的分裂症、前ソクラテス派


<ミル・プラトー>

1980年に、ガタリと共著で出版した「ミル・プラトー(千の高原)」に、「いかにして器官なき身体を獲得するか」という章があります。

「器官なき身体(以下、CSO)」というのは、アルトーに由来する言葉で、「意味の論理学」でも論じられ、「アンチ・オイディプス」では重要な概念として扱われました。

「CSO」は、器官=構造を持たないのではなく、多様な構造が関係し、生成、変様、消滅している動的な多様体を意味します。
「CSO」は、強度の極限としての「強度ゼロ」とも表現されます。

また、「強度ゼロ」を、「タントラ的な卵」とか「タオ」とも表現しています。
「CSO」の構築について、カルロス・カスタネダが使うメキシコのシャーマニズムの言葉で「ナワール」とも表現しています。

また、「器官なき身体」を「大地」とも表現して地質学的な比喩表現も行います。
そして、「強度」を安定したシステムのうちに閉じ込めてしまうものを「地層」と表現します。

ドゥルーズは、「CSO」に関して、「タイプ」と「様態」、「総体」の3つを区別しています。

「CSO」の「タイプ」は、「CSO」の作り方、「強度ゼロ」の作り方のことです。
つまり、「潜行道」、「巻き込み」の種類のことでしょう。

「CSO」の「様態」は、作られた「CSO」の上に起こることです。
ベルグソンの三角錐と同じく、「CSO」は、様々な強度の違う領域を生み出すのです。
つまり、その「浮上道」で起こること、「繰り広げ」の種類のことでしょう。
これを、「強度の産出、流通、循環」と表現しています。

CSOの「総体」は、「CSO」の様々なタイプ、様々な様態をつなげたものです。
これは、「包み込み」のことでしょう。
これを「強度の連続体」とも表現し、この様々な「CSO」の「強度」がつなげられ、「強度ゼロ」という頂点に向かわない状態を「ミル・プラトー」と表現します。

・CSOのタイプ:作り方  、強度ゼロ  、巻き込み
・CSOの様態 :起こること、強度の産出 、繰り広げ
・CSOの総体 :つなげる 、強度の連続体、包み込み

そして、「諸強度の領域」と「強度の連続体」を持つような「CSO」を目指すべきとして、この「CSO」を「充実したCSO」と表現します。

これに対して、2種類の否定すべき「CSO」として、「空虚なCSO」と「癌のようなCSO」をあげます。
それらの「CSO」を持つ例として、それぞれ、麻薬中毒者とファシストがあげられます。

「空虚なCSO」は、「地層」を粗野に破壊してしまうために、諸強度を産出しません。
その結果として、「地層」が、日常の秩序が、再びより重くのしかかります。
強烈な神秘体験が、日常を否定し、日常と結び付けられないような状態はこれに当たるのでしょう。

「癌のようなCSO」は、「地層」の中に形成されて増殖します。
神秘体験でカルト宗教にハマってドグマチックに閉じこもるような状態は、これに当たるのでしょう。

これらを避けて、「充実したCSO」を獲得するためには、まず、一つの「地層」に落ちつき、そこから脱出することを試みて、新しい「大地」の小さな断片を手に入れることが必要だと言います。

また、カスタネダの言葉で、「トナール(日常意識の世界)」を一気に破壊するのではなく、「ナワール(変性意識の世界)」の攻撃をかわすために「トナール」を確保しつつ、時を良く選んでそれを縮小していく、とも書きます。

・空虚なCSO  :地層を破壊 、麻薬中毒者
・癌のようなCSO:地層内で増殖、ファシスト
・充実したCSO :地層から逃走、生成変化

このように、「いかにして器官なき身体を獲得するか」は、神秘主義の問題として考えれば、様々な「潜行」、「浮上」をつなげること、そして、神秘体験の後に、今まで通りの、あるいは、今まで以上に抑圧的な日常に戻ってしまうことを避けて、日常を創造的な状態に変えることをテーマとしている、と読み変えることができます。


(試論・初稿)


nice!(0)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。